夜にふたり身体を寄せて
「では、明日を待つとしようか」
コアイは改めて……今度は徐に立ち上がる。
「うん、ちゃんと起きれるように、帰って早めに寝よっか」
スノウはそう言いながら、されど席を立たず……コアイを見上げていた。
夕方、上目遣いにコアイの顔を見上げていたのと同じように……潤んだ目を見開いて、少し口元を緩めながら見上げていた。
少なくともコアイには、そう見えた。
スノウの顔を見下ろして、そう感じたコアイは……胸の奥が軽く焦れたのを振り払うように、顔と目をそらしていた。
二人は酒食もほどほどに……酒場を出て、宿へと引き返す。
コアイは酒場の出口でスノウの手を取り、先ほど来た通りへ戻ろうとしたが……繋いだ手を軽く引き返された。
「ねえ、さっきとは別の道とおってみない? さんぽってか、ちょっと街の中も見てみたいし」
街並みを見たいと、彼女は言う。
彼女がそう言うなら……その願いを叶えたいと、コアイは念う。
二人は、行きの中央通りとは別の通りを歩いてみることにする。
一本外側の通りを、二人で歩く帰り道。
「ん〜? この辺、なんかカベばっかりでワンパだね?」
左右を見渡しながらそう言う彼女の様子につられるように、コアイも左右の建物へ目をやってみる。
すると彼女の言う通り、壁ばかりで……奇妙なほど窓が少ないことに気付いた。
……と、コアイはふと思い出した。
この街へ入ったときに門番へ訊ねた話を、門番から聞いた話を。
「その『お館』とやらと、宿屋との見分けは付くのか」
「窓が多く開いてるとこはだいたい宿屋だよ。『お館』は窓を少なくしとかないと、覗こうってヤツが出てきて俺たちの仕事が増えちゃうからさ」
窓の少ない建物……もしかしたら、左右に見えるこれ等が人間達の言う『お館』なのだろうか……?
コアイは何となくそれを確かめようと思い、スノウの手を引くように少し壁際──道の端へ寄ってみると、人間の荒い息遣いのような音が伝わってきた。
さらに耳を澄ますと、それは確かに外壁から漏れ聞こえているようだった。
「どしたの? って、なんか……きこえる?」
途切れ途切れに弾む息、何かに耐えるような、あるいは身悶えしたような小さな呻き声……
コアイは気付いてしまった。
それは、あの時の……自分の脳裏に響く音や声に、少し似ていると。
一度そう考えてしまうと、心が、全身が熱に蹌踉めいてしまう。
二人で宿に戻った後のことを想像して、胸を熱くしてしまう。
胸が、いや身体中が切ない気がして、手を強く握ってしまう。
握った彼女の手がとても熱く感じて、熱に浮かされてしまう。
彼女の熱に浮かされて、ただ抱き締められたくなってしまう。
ただ抱き締められて、彼女だけを受け止めたくなってしまう。
「なんか、ここって……その……」
彼女の握り返す手が、力強く、熱く感じる。
彼女も、同じ熱を抱いていてくれれば嬉しいと思ってしまう。
彼女も、私に熱を感じてくれていれば嬉しいと思ってしまう。
熱を感じて、夜は私と二人きりに、と思ってくれれば嬉しい。
「はやく帰ろ?」
もしかしたら彼女も、同じことを思ってくれたのかもしれない……
彼女の意識全てが私に向いていてくれるなら、私は……とても…………
そう考えると、コアイは嬉しくて、堪らなくて……指先、掌、背筋、脳裏、胸の奥、肚の底、いや……全身に、熱と疼きが飛び火していた。
「あァ、アンタかい? 息子が言ってたいい男ってのは」
甘く焦れながら宿に戻ると、窓口には見覚えのない老婆がいた。
「今日からは二人で泊まりたい。いくら払えば良いか」
コアイは老婆の言葉をとくに気にせず……以前、別の宿で追加料金を求められたことを思い出して支払いを申し出る。
「いンや、うちは一部屋いくらで貸してるからお代はいらないよ」
しかし老婆の返答は、コアイには意外なものだった。
「そうなのか」
「『お館』の部屋より、外で楽しみたいって客がいるから、そのためにねェ……」
老婆の言葉が意味するところは、コアイには良く分からない。
「まァその子は商売女じゃなさそうだけどねェ」
一方で老婆が何故そう見立てたのか、その点は僅かに気になったが……今のコアイにはそれよりも、よほど大事なことがある。
コアイは他に老婆へ声をかけることもなく、スノウの手を引いて寝室へと急いだ。
寝室に入るや否や、コアイは思わずスノウを抱き寄せて……彼女の身体を抱いたまま、仰向けにベッドへ倒れ込んだ。
つまり、彼女を上にして、ベッドに寝転がった…………
「スノウ、済まない……」
「……なにが?」
「お願いだ、早く、私を…………」
コアイは何か頭を働かせるでもなく、自然に願いを口にしていた。
スノウを抱き締めたまま、素直に口走っていた。
「私は……そなたに、私を」
続くはずのコアイの言葉は、何時しか止まっていた。
言葉を紡ぐ唇を、塞がれていたから。




