星にひとり月灯りに想い
コアイはただ馬を駆り……夜が更け、明けるのも意に介さず、ひたすらに西進する。
と、背に受けていた日射しが顔の左側へと回り込んだ頃……馬の行き脚が緩んだ。
どうやら霊薬の効果が切れたらしい。しかし跨がる馬からは、特に疲れたような様子は感じられない。
軽やかで規則正しい蹄の音からも、脚運びに問題のないことが伝わってくる。
かの霊薬……二日続けて与えるのは避けるべき、と聞いている。
問題なく走れているようだから、このまま走らせよう。
それにしても、本当に……辺りに岩と砂しか見当たらない。
水どころか草すら見当たらない。確かにこれなら、飲み水を用意しておけというのもうなずける。
多分、彼女はこんな景色を喜ばない。さっさと先へ進もう……
コアイは馬の脚を止めることなく、自然な速さで走らせていると……やがて視界の左右を横切る川が見えた。
川の岸まで近付いて、馬に川の水を飲ませ一息付かせた。
西の小川から流れを遡れば城市パルミュールに辿り着ける、と聞いている。
しかし川の流れは驚くほど穏やかで、どちらが上流なのか直ぐには見分けられなかった。
コアイは馬が水を飲むのを止めてから、近くの砂粒のうちなるべく細かそうな辺りを一摘みして、指で擦り潰しながら水面に浮かべてみた。すると粉のように水面へ広がった砂粒の一部が、僅かに左へ曲線を描く……
コアイは川沿いに北上して……日が落ちた頃、要衝と呼ばれる街にしては意外なほど小さな城市、と湖が見えた。
もう少し近付いて、湖の畔に立つ城市、城壁をよく見ると……城壁の一端が湖に浸っていた。
言い換えるならば、その城市は湖の一部を城壁の内側へ囲い込んだような構造をしていた。
外からではその理由も良く分からないが、それに考えを巡らせるよりも、一先ず街へ入るべきだろう。辺りも直ぐに暗くなる。
そう考えて城門へ向かうコアイの耳に、鐘の音が三度届いたが……特に気にせず、歩を進める。
篝火に照らされた城門はぴったりと閉じており、その前に二人組の番兵らしき男達が立っていた。
「ようこそパルミュールへ、と言いたいところだが」
「荷を運んでるのかい? いや、そもそも商人じゃなさそうだね……旅かい?」
「すまないが、荷を運んでいない者は夜間城門を通れぬ規則なのだ」
この街は、これまでに訪れた城市よりも少し出入りが厳しいらしい。
過去、コアイが「魔王」と持ち上げられていた頃も……人間の統べる城市は、概ねそんなものだったと記憶している。
人間の街を攻めては、城門を破ったことを功として誇る……そんな魔族の話を聞いたことがある。
どれほど堅固な城門、城壁であっても人間の建造物など容易く破っていた……むしろ力加減に苦労することすらあったコアイにとっては、何故そんなことが誇りとなるのかまるで分からなかったが。
「朝までは通さぬ、ということか」
「ああ、日没後は門を閉じてる。けれど警備兵と荷を運ぶ商人だけは例外として通してやる……というのがこの街の決まりなのさ」
番兵の一人は気安い様子で、特に尋ねていないことまで話す。
「なんで商人は例外なんだ? って顔だな」
「ふむ、聞いた話では昔、隊商が街の近くで荷を抱えたまま野営していたところ、山賊に夜襲されて全滅してしまった……という事件が何件かあったらしい」
もう一人の番兵は、やや静かな印象を与える。
「金目のものを持ってるかも、って思われたらまあ……そうなっちゃうよね」
それならそれで、コアイにとっては何ら不都合でもないが……
「そうなのか」
そんなことなら、コアイには関係がない。
だが、この場で一悶着起こす意義もない。
コアイは馬首を返し、適当なところで夜を明かそうと考えた。
「すまないな、兄ちゃん」
「もう少し早ければ、宿でも『お館』でも案内できたんだけどね」
このときは何故か、「兄ちゃん」と男扱いされたことが……少しだけ気にかかった。
そのためコアイは一度振り向いて門番を見たが、
「どうした? もしかして『お館』に行きたくて急いでたとかかい?」
コアイの意識は馴染みのない言葉へと移っていた。
「……『お館』?」
「なんだ、知らないのか……ってああ、そうかそうだよな……兄ちゃんならそりゃなあ」
特に意図もなく聞き返したコアイだったが、番兵はコアイを見て何やら嘆いている。
何が言いたいのだろうか?
『お館』とやらについて説明するでもなく、ただコアイを見て俯いた門番の意図が理解できないが……
コアイは何も言わず、城門から離れていった。
城市から少し離れて……コアイは腰を降ろせそうな場所を探してみた。
やがて大小いくつかの岩が集まった砂場を見つけて、コアイは下馬し馬を放した。
コアイは砂場の一角に座り、岩の一つへ背中を預けてみる。
時折馬の鼻息やいななきが聞こえてくる中、コアイは夜空を見上げてみる。
雲のない冬空、月の出ていない夜空で星々が瞬いていた。
もしかしたら、スノウと共に眺めるのも良いもの……かもしれない。
とは言え、夜冷えの厳しくないこの地方でも……冬の夜に焚き火もせずでは、彼女には寒いかもしれない。
かと言って、焚き火の明かりの横では……この星々の瞬きを、十分には楽しめないかもしれず……
などと思いを馳せて、コアイはスノウの不在を実感した。
彼女の不在が身に染みて、コアイは不意に淋しくなった。
コアイは懐から、折り畳まれた紙……彼女の描かれた肖像画を取り出して、じっと見つめていた。
月が昇り肖像画を優しく照らしても、雲がそれを邪魔立てしても……身動ぎもせず見つめていた。




