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私は、叛乱されない魔王に ~恋を知って、恋で生きて~  作者: 者別
余聞 人の統べる地の内にて
200/313

惑いの先へと向かう朝に

 コアイは一人、寝室の一角で立ち尽くしている。


 (もも)の辺り、ローブが貼り付いたような感覚……

 それを感じる位置、腿の内と後ろ側を目と手で確かめる。

 そこにはローブこそ貼り付いてはいなかったが、固まりかけの血糊が広がっていた。



 身体の内側……

 肩や腕、脚の外側なら、皮膚や肉を切られ血を流したことはある。

 たとえば昨年、『魔獣の王』と闘ったときにも……あちこちを切られ出血した。


 しかし胴や四肢(しし)の内側から血を流したことなど、(ほとん)ど記憶にない。

 強いていえば……初めてスノウを()んで、帰した日。

 体内に練り上げた魔力を放出しそこない、全身を貫かせてしまった……あの時くらいだ。


 あの時とは違い、身体のどこにも切られ、あるいは刺されたような痛みはない。

 先ほどまでじわりと感じていた身体の(だる)さ、重さも……今はまるで気にならない。


 何者かの魔術による遠隔攻撃は、どうやら止んだらしい。

 術者の狙いは判らぬが、恐らく出血も(じき)止まるのだろう。


 と、なると……街を探ってみたいが、一先(ひとま)ずこの不快な血糊を洗いたい。

 が、今は夜か。念のため様子を見つつ、朝を待ってみるか。



 コアイは静かに考えをまとめ、一旦ベッドへ寝転がった。


 血を失ったからであろう、久しぶりに空腹感を覚えつつ。

 眠りはせず、周囲に浮かぶ魔力の揺らぎだけは捉えつつ……




 やがて、気付けば……何事も起こらぬまま朝日が昇った。


 コアイは寝室を出て、宿の主に浴場もしくは水場の()()を聞くことにした。


「街の北側に浴場があるが、お客さん何日も部屋にこもってたろ? 北門から川へ降りて、先に洗濯してきたらどうだい」


 街の浴場では、服の洗濯が禁じられているとの話だった。

 ローブの内側にも血が付いているかもしれないことを考えると、まとめて洗ってしまうのが良いと思われた。

 季節は冬、川の水は冷たい。一般的には、常識的には水浴びには厳しい時期であるが……流水程度の冷たさであればコアイは苦にしない。

 コアイ一人であれば、問題はない。



 コアイは一旦馬を返してもらい、街の北門から出て川へ下った。そしてローブを着たまま細流へ踏み込み、(ひざ)丈ほどの深さまで進んだところで腰を下ろした。

 そして水中で腿をさすり、血糊を落としていくが……傷口がないため、水が肌にしみる感覚がしない。


 血を洗い流しているのに、それに伴うはずの感覚がない……それはとても奇妙に思えた。

 しかしそれは大した問題ではない、コアイは水に浸かったまま(しばら)く小川の流れを眺めて……スノウと水浴びをした日のことを思い出した。



 あのときは、森の中……水の中から見上げた彼女が、遠くに感じた。

 今では、足を踏み外し水の中へ落ちてしまうこともない。

 理由もなく、彼女を縁遠いものなどと感じることもない。



 コアイはスノウのために街中を探ることを思い出し、腿とローブに血糊が残っていないことを確かめてから川を出た。



 コアイは再び宿に戻り、馬を預けてから宿の主に教えられた酒場を訪れてみた。

 そこで出された酒と食事は特に興味をそそられないものであったが、コアイはただそれ等を血肉とするために平らげた。


「この街に何か、名物や名産などはあるか」

 食べ終えたところで、コアイは街について(たず)ねてみた。


「すまんが俺はこれから夜の分の仕込みで忙しいんだ、それにその辺の話ならアディル……あいつのほうが俺よりよく知ってる」

 店主はコアイの横、少し離れた席で酒を飲む二人組へ目配せする。

 それを察してか、給仕の女が二人組へ近付いて声をかけた。


「アディル、暇だろう? あの旅人さんに街のことを話してやってくれないかい?」

(ねえ)さんの頼みじゃ断れないね、悪いけどちょっと外すよ」

 二人組のうち一人が席を立ち、コアイの席へ寄ってきた。


「どうもこんにちは、俺はアディル。何を話せばいいかな、色男さん?」

「この街の見所や名物を知っていたら、教えてくれないか」

 コアイは男の挨拶(あいさつ)を流して、淡々と希望を伝える。


「まずここはサラクリート、アンゲル大公様がお産まれになった街として有名だよ」

「というか、今じゃあ他にはなんにもない、静かな街さ」

「まあね……大公様がお産まれになった街、といってもたまたまお産のときにご両親が立ち寄っていただけで、ここにお住まいがあったとかではないんだよね」

 アディルと呼ばれた男と給仕の女の掛け合いで、この街について説明してくれているらしい。


「だから、寄って見ていくような殿下(ゆかり)の場所とか、そういうのは何もないんだよ……ところで兄さんはどこから来たんだい?」

「エルゲーン橋を渡ってきた」

 それについては、別に隠す理由もない。コアイは正直に応える。


「へえ、今どき珍しいね。兄さんみたいに橋を行き来する人、減ってきてるのに」

「橋を渡る人が多ければ、この街にも活気が戻るんだろうけどねえ」

「今はみんな南の渡し舟だからね。おっとごめんよ、話を戻すと……エルゲーン橋の眺めはもう見たってことだから……」

 コアイは無言で(うなず)く。


「それなら、もうあとはお土産でも買って、先へ向かうしかないかな」

「おみやげ……大公(フェデリコ)クッキーとか?」

「まあ、ここでなくても……北でも西でも買えるけどね……」

 あまり期待はできないのだろうか。


「あ、兄さんは、これからどこへ向かうつもりなんだい? それとも、ここで何日か休んでくのかい?」

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