惑いて機を待つその身に
コアイは困惑していた。
立ち寄った宿の個室で、一人考えを巡らせる。
何故か分からぬが、私は寝ている間に少し出血したらしい。
何者かから攻撃された、または現に攻撃されているのを私が認識できていないだけなのだろうか?
しかし、誰かが部屋へ入ってきたことに気付かないほど深く眠っていた……とは考えにくい。
それほど深く眠れたのは、彼女と共に部屋で休んだときだけ……のはずだ。
では……私が認識できていないだけで、遠く離れた場所からの攻撃を受けている……ということだろうか?
しかしこの場に、魔力の動き……どころか近辺に私以外の魔力は感じられない。
私の死角から、私にそれと察知させずに魔術をかけて、即ち私に知られぬまま魔力を作用させて何らかの効果を与えられるなら……それほどの技量の持ち主が、こそこそ隠れる必要があるのだろうか?
またそれほどの技量の持ち主が、今になって私を狙う理由があるのだろうか?
それに、何らかの攻撃を受けているのなら……もう少し、こう……
悩みながら、コアイは一人立ち上がりローブを脱いだ。身体のあちこちを目で見て、傷のないことを確かめてから……ベッドに腰掛ける。
身体の内に意識を向けてみると、少し怠い……なんとなく、気怠さは感じる。それは朝……この部屋に入った頃から感じていた。
今はそれに加えて少し、腰の辺りが鈍く重いような……そんな感覚もある。
だが、それだけだ。
動こうと意識すれば、とくに気にはならない……程度のもの。
これが何者かの魔術によるものだとして……この程度の影響を与えることに、何か意義があるのだろうか?
補助的な攻撃……他の者に私を襲わせるための援護だというなら、この程度は問題にならない。
また、この程度の補助を必要とする者、この程度の補助しか為さぬ者なら……問題にならない。
私一人なら、何時でも。
そこまで考えたところで、コアイは腰を上げてローブを羽織った。
そのとき不自然な何かが視界の端に映った気がしたが、コアイはそれよりも先ず部屋の窓へ向かって跳んでみた。
それによる苦痛や疲労感が起こらないことと、もう一つ……窓から見える範囲に人がいないことを確かめて……
「これぞ必殺、『光波』!」
コアイは窓から手を伸ばして、真上に光束を放つ……試しに魔術を使ってみた。
放たれた光束は普段より少し色がくすんでいるように思えたが、その径や濃密さは……むしろ普段より力強いとさえ感じた。
おそらく、魔力の減衰はない。肉体的にも魔術的にも、明確な不調には陥っていない。
やはり、問題になるほどの作用は受けていないか。
……しかし、襲撃の機を窺っているという可能性は……まだあり得るか。
現に今朝も、いつの間にやら眠ってしまった。常時、万全に彼女を護れる準備がある……とはいえないだろう。
今回は様子を見て、次回私が眠ったときに満を持して襲いかかる……という選択もあり得るだろう。
であれば今は、彼女を喚ばず……この事態を収めるのが先、か。
彼女と過ごす以上は、何時でも……彼女を護るべきだから。
……いや、そうではないかもしれない。
彼女と過ごせるときだけでも……彼女を護っていたいから。
彼女と逢えるときだけでも……彼女のために在りたいから。
と、コアイは再びベッドに腰掛けようとして……また血痕を見つけた。
今度は、ベッドの端……自分が腰掛けていた辺りに。
今も、誰かから魔術……攻撃を受け続けているのか?
それは考えにくい。それなら多少なりと怠さや苦痛が増すだろう……
まさか、先程座った際に斥力で鼠でも潰したのか?
そんなはずはない。それなら鳴き声の一つくらい聞こえるだろう……
コアイは新しい血痕にも、血術をかけてみる……
するとシーツ上のそれは迷いなく紐状に伸びて、一滴残らず窓の外へ飛び去っていった。
……これも、か。ということは、今も攻撃を受けているということか。
しかしやはり、私の周囲に魔力の動きは無い……一片の揺らぎすら感じない。
どうする? 大した傷、妨害ではないが。
私を狙う術者を探しに、街へ出てみるか?
それとも、此処で待ち構えて……根比べか?
待つよりは、攻めに行くほうが性に合っていると思う。
しかし、まるで手掛かりがない。
周囲には、私の『光波』以外の……魔術が作用した痕跡どころか、魔力の充溢すら感じ取れない。
私への攻撃と徹底した潜伏、もしそれ等を同時に行える魔術師がこの街にいたとしたら……全神経を魔術に向けているのは間違いない。だから、その姿が見つかりさえすれば……止めるのは容易い。
だが、街中の物陰や建物、部屋を全て探るのは面倒だ。
かと言ってこの街全体を破壊してしまうのも……人間の領地とは言え、少し気が引ける。
街を探せば、もしかしたら……彼女が喜ぶような名物や料理、酒があるかもしれないから。
……暫くは、此処で待ってみるか。
周囲に気を張り巡らせて微かな魔力の揺らぎも感知できるように意識を向けつつ、眠らぬように……
身体を動かさなければ、また出血が増さなければ一月は起きたまま待ち続けられるはず。彼女を喚んでいない以上、此方にはいくらでも時間がある。
待っていてやる、何時でも来い。
コアイは久方ぶりに闘争心が滾ったような心地を自覚しながら、椅子を一脚部屋の中央へ置いて腰掛けた。
眼は出入り口と窓を大まかに捉えつつ、意識を高め…………
視界が闇に沈み、光に満たされ、また闇に沈み……魔力の揺動は無く……
それを何度か繰り返した後、戸を叩く音が聞こえた。
無論、襲撃者が律儀に戸を叩くはずはなく、それ以上の動きは起こらなかった。
また視界が光に眩み、闇に拡がり……されど魔力は囁きもせず……
やがて戸を叩く音と、声が聞こえた。
「お客さん、もう五日も部屋にこもってるようだけど……大丈夫かい? 飲まず食わずじゃないのか? 生きてるか〜?」
襲撃者ではなさそうだ。コアイは声に応えず、魔力の感知へと意識を保つ。
「生きてるなら返事してくれ、でなきゃ入るぞ〜!」
やがて声と、戸を開く音が聞こえた。
「……何か用か」
コアイは座ったまま、部屋へ入ってきた男へ声をかける。
「あ、いやすまない……無事なら別にいいんだが」
コアイは宿の主が部屋から出ていくのを見つめて、気が散ってしまったのを自覚した。
そこで小さく溜め息を吐いて、何となしに立ち上がったところ……二つの違和感を覚えた。
ローブが腿の辺りに貼り付いていて、少し気持ち悪いこと。
それと、心身の軽い怠さや重さがすっかり消えていること。
本人は大真面目に対処しています。なにとぞご了承ください。




