残り香を惜しみながらに
騎馬が陸地から橋板へと一歩、また一歩と近付き……やがて橋板に前脚が乗った。
きっ、と軽く軋む音が馬上のコアイ達へ届いた、と思いきや……横風の音がそれを、直ぐに消し飛ばしていった。
馬の歩みのまま後脚も橋板へ乗り上げ、今度は板からだけでなく周囲の蔦からも軋む音が聞こえたが……やはりそれ等も、再び吹き付けた横風にかき消された。
「風つよ、ちょっと寒いね……」
「寒いか、ならば早めに渡ろうか」
コアイは前方で少し震えたスノウの身を案じる。するとスノウは何故か顔を下に向けていた。
「あ、そ、そこまでキツくないし、てかアレだよあわてると危なそうだし普通で」
彼女は少し狼狽えた様子で、問題はないと応える。その理由は……コアイには良く分からないが。
「分かった、それなら景色を楽しもう」
「あっそだね、下より前見たほうがって言うし」
二人は前を向いたまま、馬をゆったりと直進させて……橋の中ほどまで来た辺りで日射しが目に入った。
雲に隠れていた西日が露になり、二人を照らしたらしい。
「まぶしっ、て……おお……」
スノウが片手を翳しながら声をあげた……と思いきや、早々に口を止める。
「いいねぇ、山のあいだに町が広がって見える」
左手に目をやると、眼下に広がる川とその周辺に拓けた街や道、農地らしき人の営みを感じられる。
その一方右手には、眼下から川の流れに沿って目線を上げた先にも手付かずの原野が広がっている。
「あ、こっちはモロに大自然って感じかぁ」
どうやらスノウも左右違った風景を見て確かめたらしい。
「見晴らしいいね〜……けど右側は町とか、なんもないのかな?」
「そのようだな。下流にのみ街が興り、上流の側には人が住んでいないのだろう」
右側、つまり北に見えるのは……以前『神の僕』達と闘った城市タフカウの近辺、そこからさらに西進した辺りだろうか。
タフカウの辺りは見渡す限りの広野だったが……大きな川は見えなかったはず。ここから見える川の流れは、あの辺りよりも大分西寄りなのだろう。
「夜景もきれいなのかな? 夜じゃそんな見てる余裕ないかもだけど」
「夜景……やはりそなたは夜景を好むのだな」
コアイは以前にも、二人で夜景の話をしたことを思い出す。
その時には、二人が夜景と聞いて思い浮かべる情景はだいぶ異なっているのだろうと思われたが。
「うん、夜景好き。キラキラしててきれいでしょ?」
「煌きを好むのか、ならば星を眺めるのも好きなのか?」
「あ~、星もいいねぇ、星座とかはわかんないけど」
彼女は星の輝きも好ましいと言いつつ、コアイには理解できない単語を口にしていた。
「せいざ?」
「うん、おとめ座とかやぎ座とか……知らない?」
「知らない」
コアイには何のことだか分からない。
「近くに見える星をつないでモノとか動物とか、絵みたいに見るんだけど……あ、ここだと見え方が違うのかな?」
「近くに見える星を結ぶ……もしや星官のことか?」
「せいかん?」
「私は良く知らぬが、むかし人間の書物で見たことがある。理由は忘れたが、数個の星の配置を書きとめて何かの予測に使うらしい」
コアイは何となくその概念を思い出したが、それは当時も今もあまり興味を引かれるものではなかったため詳しく説明できなかった。
「あ~、じゃあたぶんそれと似てるかな、よく分かんないけど」
「そうか」
特に話を繋げられなかったコアイを助けるかのように風が吹く。
風は橋を軋ませ、蔦をしならせて……心を揺らす。
「わ……ま、そんなことより落ちないように気をつけよう!」
「そうだな、先ずは向こうへ渡ろう」
「……できたら、つかまえてて」
……ほかにも取り留めのない話をしながら風景を眺め、やがて二人と一頭は橋を渡り切った。
馬の両脚が、揺るぎない堅固な地面を踏みしめる。
「いや~渡ったね~」
「そろそろ日も暮れそうだ、急ぎ山を下りよう」
「そういえば……こっからの道って?」
確かに、橋までは一本道だと聞いていた。しかし、橋を渡った後のことは何も聞いていない。
「……一先ず、道沿いに下ってみよう」
特に気にすることもないから話題にならなかった、ということかもしれないが……特に目印や手掛かりもない以上、道なりに進むほかに妙案はなかった。
道の均され具合を頼りに、暫く進むと……赤焼けの日が落ちかけた頃、道沿いに小屋を見つけた。
「もしかしてあのおじいちゃん、こっち側にも小屋建ててたの?」
「そうかもしれない、ここが使えそうなら……今日はここで休もうか」
コアイは小屋に近付くと下馬して、スノウを乗せたままの馬を引いて戸の近くの杭へ繋いだ。
「あっ」
それからスノウに手を貸して馬から降ろしたところ、彼女は着地の瞬間に何か察したような声を漏らした。
「どうした? 足を挫いたか?」
「あ、いやそれは大丈夫……とりま入ってみない?」
二人は小屋の戸に鍵がかかっていないこと、中に誰も居ないことを確かめる。
都合良く、この空き小屋が使えるらしい。二人は一旦室内の椅子に腰かけた。
「さて……夜は冷えるらしいから、私は薪を探しておこう。そなたは休んでいるといい」
「あ、ちょっと待ってね……」
彼女は立ち上がり、そそくさと物陰に引っ込んで……
「やっぱり……」
なにやら呟いて、直ぐに戻ってきた。
「あのさ王サマ、アレ持って……るわけないよね」
「あれ、とは?」
「ですよね〜……ごめんけど一回帰らせて!」
彼女の要望は唐突だった。
「構わぬが……随分と急だな?」
「一時間くらいしたら呼んでくれていいから!」
理由は分からないが、彼女は妙に慌てている。
「分かった、では……」
理由は分からないが、彼女がそれを求めるなら……応えぬわけにはいかない。
コアイがそう意識すると、間髪入れず指先から一筋の血が流れ出し……滞りなく、床に召喚陣が描かれていた。
「ホントごめん! 忘れてた! すぐ持ってくるから!」
彼女はそう捲し立てながら、コアイにギュッと抱きついて……一度深く息を吐いた。
「また、改めてそなたを喚ぼう」
「ホントごめんね、よろしく」
彼女は数歩後ずさり、召喚陣に足を踏み入れ……
スノウを元の世界に帰したコアイには、もはや小屋で休む理由は無かった。
コアイは直ぐに小屋を出て、夜の闇も意に介さず一騎駆け出した。
彼女の言う一時間、というのは良く解らないが……彼女が楽しめそうな場所に着くまでは、一人で進む。
橋上で彼女と見た景色、彼女と交わした言葉、彼女から届いた温もりを反芻しながら。




