熱情を押しとどめて前に
「ああ、道案内か? ここからなら要らんじゃろうて」
コアイの横槍が功を奏してか、話が本筋に戻った。
「えっ適当!?」
「この先は道が曲がろうが登ろうが、素直に均されておるところを進めば一本道じゃ。分かれ道がないから、迷うはずもなかろう。ただ今から歩いていくとなると……橋に着いたあたりで日が暮れるかもしれんのう」
老人は馬に乗っているコアイ達をまじまじと見ていた。それで多少の懸念を抱いたらしい。
「じゃが馬があるなら、とくに寄り道をしなければ夕暮れ前には橋を渡れるじゃろうて」
「けっこう遠いの? 夜は危ない的な話だけど」
「そうじゃな、日が落ちそうならどこかで夜を明かして、次の日明るくなってから橋を渡るのがよいのう……そうそう、道中にいくつかワシが建てた小屋があるぞ。旅人が好きに使えるよう、鍵も開けてあるからの」
馬であれば問題はないだろう、と付け加えてから宿泊小屋の話をするのは些か不可解な気もしたが……それまでの会話の流れや長さを考えたらそんなものか、とコアイは聞き流した。
「今は少し朝晩が冷えて寒いかもしれんが、暖をとれるよう薪を置いてある。それに夏場よりは過ごしやすいはずじゃ」
「だいたい分かった、ありがとうおじいちゃん!」
「いやなんのなんの、気をつけてなぁ」
スノウが普段通りの朗らかな声色で老人に礼を言った。老人もそれに応えるようににっこりと笑ったようだ。
彼女の表情は、後ろに座るコアイからはよく見えないが……きっと普段通りのあたたかな笑顔をしているのだろう。
そう考えると、コアイもあたたかく包まれたような心地になれる。
「助かった、礼を言う」
コアイも自然と老人に謝意を示して、一層晴れやかな気分で馬に前進の合図を送った。
二人は老人の言葉通り、均された道を馬の行く気に任せて駆けていく。
山を登っていくこと、またその後に足場の悪い橋を渡ることを考慮し、馬の暴走を避けるため例の霊薬は使わずに進む。
それでも老人の言が正しければ、滞りなく歩を進めることで日没前にはエルゲーン橋へたどり着けると思われた。
コアイは前に座るスノウが時折り左右に顔を向けるのを眺めながら、馬を走らせる。
彼女が心地好さそうに、気分良く騎乗しているように感じて……それがコアイには心地好い。
前にスノウのあたたかな姿、後ろに柔らかな陽光……
二人は駆けていく。
特に言葉を交わさず、少しずつ高くなる地形と時々目にする小屋、規則的な馬蹄の音と振動、穏やかな日射しと澄んだ風を楽しみながら。
駆けていったその先に待つ景観を、楽しみにしながら。
「あ、また小屋建ってる……」
駆け続けて、背中に受けていた日射しが少し左に寄ったころ……ふとスノウが呟いていた。
「そういやさ、さっきもってか五軒くらい小屋あったよね。あのおじいちゃん自分で建てたって言ってたけど……何軒建てたんだろ?」
スノウがそう言いながら身体を屈めて、後ろへ振り向いた。
つまり、コアイの側へ、横顔を向けて……
スノウと目が合った。
目が合っただけなのに、触れられたように背筋がざわつく。
背が震える。身が焦がれる。力が抜ける。
また、彼女と目が合って……身動きができなくなった。
あの細い腕、掌、指に抱きしめられながら……身体の芯に触れられたくなる。
もっと、もっと触れてほしい、と思ってしまう。触れられてもいないのに。
どうしようもなく、彼女しかいない。
彼女の姿、彼女の声、彼女の匂い、彼女の肌触り、彼女の……
それ等と、彼女の言葉や想い出とが交じり合って、私を苛む。
私はそれに、悶えてしまう。
どうしようもなく、熱い。
それに抗うことすら難しいほどの熱に。
「ねえ、なんかめっちゃ顔赤いけど大丈夫?」
彼女の声。
心配して掛けられたはずのそれも、むしろコアイを熱情で苛む。
「えっ!? あ、ああいやその……大丈夫だ」
返答を連れて抜けた息が、湿気ているのに胸の中へ焼き付いている。
「ホントに大丈夫? すっごい赤いし、息荒いし、汗も……」
スノウは困ったような顔で唇を小さく結びながら、コアイの顔を覗き込んでくる。
「……無理してもしょうがないしさ、あそこで休んどく?」
彼女の視線。
心配して向けられたはずのそれも、むしろコアイを高熱で苛む。
あそこで、小屋で休んで……休んだら…………
日が暮れて、朝を待つ……朝まで二人…………
そう、考えてしまう。胸が高鳴るのを自覚してしまう。
そう、望んでしまう。頭が灼けるのを自覚してしまう。
しかし……コアイはそれではいけないと、どうにか熱を振り払う。旅の目的を忘れるべきでないと。
彼女に触れてもらうために、旅をしているのではない。
彼女に贈り物をするために、私は此処にいるのだから。
そう強く、強く己を律しようとした。
「……い、いや……早く橋を……橋へ向かい、渡ろう」
コアイはスノウの円い瞳から目を逸らして、馬を前進させた。
軽い目眩を感じて、手綱を強く握りしめて。
重い喉の渇きを感じて、生唾を飲み込んで。




