内に外にとただよう熱に
宿の主との話が少し長くなっているが、スノウが話し声に目を覚ます様子はない。
「北門の門衛……」
「ただあの爺さんなあ、たいてい話が長くなるんだ。お客さんは急ぎの旅ってわけじゃなさそうだけど、まあ気をつけなよ」
主は微かに薄ら笑いを浮かべながら、コアイの呟きに応えて補足を加える。
「それほど長く話し続けるのか」
「ああ、長い。本当に長い」
主は肯定の言葉とともに薄ら笑いを少し色濃く、はっきりさせていた。
「それに道中で日が暮れるとやっかいだからな」
「問題があるのか?」
「そりゃつり橋の途中には明かりがないからな、足元が不安だ」
「つり橋……なのか」
コアイは止まらない主の話から、いくつかの情報を得ていく。
「ああ、崖と崖を渡す橋だからな。普通の川辺に架けられてるような橋とはわけが違うし、とにかく風で揺れるから気をつけなよ?」
「揺れる?」
「そうそう、馬を連れてくならなだめ方にも気をつけないとな。なんかの拍子で暴れたら……」
このあたり、コアイにはピンとこない話が続く。
「下は川だが、城壁よりも数倍は高い場所だ……落ちたら死ぬ、ってのは言うまでもないだろう?」
と、ここまで話を聞いて……コアイには少しだけ気になってしまうことがあった。
落ちたら死ぬ、か……
私も同様なのだろうか? 『聖域』で護りを万全にしていても、耐えられぬのだろうか?
わざわざ試すようなことをする気もないが。
「馬が暴れて足場の間に挟まっちまって、引き上げられなくなってしかたなく……なんてこともあったそうだ。橋自体が切れて落ちる、とまでは考えすぎかもしれんがな」
「わかった、気を付けよう」
コアイは素直に、少し長い助言を聞き入れることにした。
コアイ自身はともかく、スノウが危険な目に遭わないようにと。
話し終えて満足したのか、宿の主は部屋に背を向けた。
それに合わせてコアイは、戸を閉めてベッドに戻った。
スノウはまだまだ、目を覚ましそうにない。
コアイはそっと隣に寝転がり、体を寄せる。
肌と肌が、少しだけ触れた。
「ん〜っ……」
彼女が寝返りを打つ。横に振られた彼女の手がコアイの顔に当たり、そのまま覆いかぶさった。
あたたかい手。
無意識のことだろうが、彼女は今も私に触れてくれている。
とても、嬉しい。
コアイはそこへ手を添えたくなったが、彼女を起こしては悪いと思いとどまった。
自然に投げ出された手をただ受けとめて、心地好い。
ただ受けとめて、顔から彼女のぬくもりを受け取る。
熱い。とても熱く感じる。
昨日と同じように、熱い。
昨日…………
昨夜のこと、普段よりも一層濃密だったこと。
彼女の熱で、最早前後不覚となっていたこと。
朧げながら思い出した。
それにより、身体の奥底から余韻が引き出される。
昨日から呼び起こされた余韻が、心身を疼かせる。
身体の内側が、あちこち揺れ動くのを感じる。
頭の奥が、胸の奥が、肚の奥が、あたたかい。
ずっと、このあたたかさに……浸っていたい。浸っていられたら、それだけで……嬉しい。
コアイはスノウのとなりで、少し居眠りして……昼過ぎに目を覚ました。
スノウは肌の熱さを保ったまま、今もまだ眠っている。
それにしても、何故こうも熱を持っているのだろう。
以前にもこんなことが……いや、今は肌の震えや、粟立ちもない。寝息も安らいでいる。
苦しそうな様子ではないし、気にすることはないか……
コアイは静かに、大きく息を吐いて目を閉じた。
身体から力が抜けるのを感じて、眠りに落ちそうになったところ…………
柔らかいものが触れた感触。
「んっ!?」
それに戸惑って目を見開くと、視界は完全に塞がれていた。もちろん、彼女の顔で。
それを認識したときには、がっしりと頭を掴まれていて……
柔和なくせに刺激的な前方と、細い指なのに力強い後方が不調和で……ありながら、妙に収まりがよく思えてとても安心した。
そこで安心していると、全身が熱いように感じた。
彼女と触れ合っている部分から熱が拡がるような、あるいは身体の内側から熱が生まれているような……どちらとも分からないまま、どうにもできないでいた。
しかし、それも長くは続かない。
彼女がコアイの頭から手を離していたから。
動きの自由を得た頭は、直ぐに思考の自由を失うから。
ふたりは、昨日と同じように。
少しだけ昨日と違ったのは……コアイは途中から、彼女の肌の熱さをあまり感じなくなっていた。
何故かは分からない。熱さは弱まっていたが、痺れや甘さ、心地好さは変わらなかったから。
そして一つだけ、何となく……朧げに、昨日とは違っていた気がしている。
浮かされるなかで何度も聞こえた、「もっと……」という呻き声の声色が。
「……ごめん、お腹すいたね」
彼女の声が耳を震わせて、けれど彼女の手触りが感じられない淋しさに震えて……コアイは目を覚ました。
「たぶん朝っぽいけど、ごはんあるかな?」
一人分ほど空けた先できまり悪そうに笑うスノウに、コアイは思わず手を伸ばしていた。
それに呼応するように伸びてきた彼女の手を強く握ると、ひんやりとしていた。
その感触は、僅かに残る眠気を吹き飛ばす……と同時に、自身の内側の熱さを強調する。
「まずは町へ出て、腹ごしらえをしようか」
その熱の自覚を振り払うように、コアイは声をあげた。




