胸の熱さに応えるように
焦げた肉と脂の乾いた匂いと、濡れた新芽のような湿気た匂いが混ざり……テーブルの周りに広がっている。
テーブルを挟むうちの一人は、特にそれを気に留めない。
もう一人は、それを存分に味わいたいと五感を働かせる。
スノウはコアイの前で目を閉じて、すぅ~ と息を吸っていた。
その表情は……料理とは、食事を楽しむ彼女とは別の姿をコアイに想起させる。
思い浮かんだ彼女の姿はコアイの胸の内を、脳裏を、唇を……むず痒くさせる。
「ん〜〜……いいにおい、おいしそう……これはお酒なきゃダメでしょ〜」
と、いつの間にかスノウは目を開いてコアイへ向け、笑いかけていた。
しかしコアイが彼女へ向けていたのは顔だけ、その意識はあまり彼女へ向いていなかった。
彼女の表情に想起させられた、少し熱く呆けた……浮かれたような心地が強くて。
「ねっ?」
「え、あ、そ、そうだな」
コアイは彼女の聞き返す声に意識を引き戻されて、慌てて返事をする。
「ん? どうかした?」
「お待たせ、今日出せそうなお酒だけど……」
彼女が顎先に手を添えながら心配そうな声をあげた頃、給仕の女が二人の側へ戻ってきた。どうやら酒の在庫を確認しに引っ込んでいたらしい。
「今ならラッキかオペがおすすめだね。西のラッキか東のオペか、なんてね」
ラッキは水を混ぜると白濁する、風味爽やかな強い酒。
オペは果実の香と、蜜のような甘さを兼備したワイン。
どちらも、彼女に飲ませたことがあるはず。ただ、以前に入手したのは確か紫のオペだったから、薄色のオペはまだ飲んでいないかもしれないが。
折角なら、未知の酒を飲ませてやりたかった……とコアイは考えてしまう。
しかしそれはどうやら、要らぬ心配だったらしい。
「んー、この料理なら甘すぎないほうがいいかな、ラッキのほうをください」
対面の彼女は、眩しいほど目を輝かせていたから。
「ふぅん、なるほどね……」
給仕は何やら満足そうに微笑んでいた。その理由はコアイには分からない。
「たしかに、私でもそうするかな? ああ、お兄さんは?」
「同じのふたつで!」
「あいよ」
給仕は何やら楽しそうな笑顔を見せた。もちろん、その理由は分からない。
ただ、彼女がコアイの意を確かめずに酒を二つ注文した理由は、少しだけ分かる。
彼女はコアイが同じ場で、同じものを飲み食いすることを愉しみたいのだろうと。
それが少しだけ分かるようになったから、コアイはけして口を挟もうとはしない。
「待ってるうちに冷めてももったいないし、食べよっか!」
「分かった、そうしよう」
「いただきまーす!」
酒が来るのを待たず、彼女は串焼き肉の一切れにかぶりついた。
「ん〜……」
彼女は小さな唸り声を漏らしながら、口に入れた肉を噛んでいる。
その様子を見ていると、噛むごとに表情がゆるんでいくように感じた。
「……うまっ」
肉を飲みこんだ代わりに、呟きが出てくる。
……この一連の所作を見届けて、コアイは自分の手元にある肉串をスノウ側の皿に移したくなってしまう。
「なんかわかんないけどラム肉ってやたらおいしいよね、ほら食べてみてよおいしいよ?」
コアイは串を差し出そうところで牽制され、スノウへ伸ばそうとした手をやむなく引っ込めた。そして彼女と同じように、肉一切れを口にする。
しかしコアイにはやはり、それが美味だと判らない。
食物の味を感じても、その良し悪しがよく判らない。
だから、彼女が美味いと評した料理から感じる味こそが美味、なのだと……考えることにしている。
もっとも、コアイにとってはそれで十分だった。
彼女が喜ぶ料理を探しやすくなるなら、それで。
「はいよ、ラッキ二杯ね。二人分だから水は水差しで持ってきたよ、自分たちで好みの量を足してちょうだいな」
給仕は大きめの杯に少し酒を入れて、水差しと共に運んできた。
言われた通りめいめいが杯へ水を足して、白く濁らせたところに口をつける。
「あっやっぱこれ、お口リセットしちゃうやつだ」
「良くないのか?」
「いやいい感じだよ! このほうが味にあきないし」
二人は何度も羊肉を頬張っては酒を飲み、やがて串数本を食べ切った。
「おいしかった~……じゃあ次はスープにしよっかな」
コアイは先の肉串と同様、彼女が肋肉や珠菜を交互に食べるのを真似ながら食べてみる。
彼女が言うには、羊の出汁が良く出ている美味いスープらしい。
コアイにとっては……若干、昔吸い取った獣の生命のような臭いがするだけの汁だったが。
「この丸い野菜がちょっと苦いの、アクセントになってていいね〜」
彼女はスープを少しずつ味わいながら酒を追加し、やがて完食した。
ただ、スープを食べ切る頃には何故か彼女の口数がめっきり少なくなっていたが……二人はそのまま麺料理にも手を付け、半分ほど食べ進めていた。
と、スノウはふと上目遣いでコアイに視線を向けてから……残っていた酒を飲み干した。
そして杯を置いて、徐ろに立ち上がり……コアイの隣に移ってきた。
彼女はぴったりと、コアイの腕に寄り添っている。
「ねえ……あのさ、宿……戻ろっか?」
「町を歩いてみなくて良いのか?」
「うん、今日はいいや……早くもどろ?」
彼女の声がどこか辛そうに感じて、コアイは直ぐに宿へ戻ろうと立ち上がり……
立ち上がったときも、給仕に支払いをしているときも……しがみつくようにコアイの腕へ身を寄せる彼女の身体が、やけに熱っぽかった。




