ふれあいに惚けたように
喉が息を通してくれなくて、苦しい。
胸の内がきつく締められて、苦しい。
苦しくて、熱くて、痺れて。
けれどそれは、全く不快でない。
それどころか、とても心地良い。
そう感じるのは、彼女が側にいるからだろうか。
或いは、彼女が私に呉れたものだからだろうか。
どちらなのかは分からないが、どちらにしても……私はとても…………
コアイはスノウの身体に伸しかかるのを避け、転がるように隣へ倒れ込んだ。
つまり一旦身体を離したのだが……彼女は直ぐに起き上がり、逆にコアイへ身体を被せてきた。
見上げたなら、彼女がいる。
手を伸ばせば、彼女がいる。
抱きしめると、彼女がいる。
いま、身体のすべてが、彼女の存在を確かめている。
息に触れると、彼女がいる。
声に触れると、彼女がいる。
瞳に触れると、彼女がいる。
手の届く先に、彼女がいる。
私より確かな、彼女がいる。
私より暖かい、彼女がいる。
いま、私のすべてが、彼女の存在を悟り喜んでいる。
間近にいる彼女が、顔を近付ける。
私に触れてくれるのだろうか。いや、彼女の顔は触れる間際で止まった。
彼女は目を閉じている。私は胸の内が暴れて苦しくて、どうにか少しだけ息を吸う。
すると彼女の甘い香りがした気がして、何故か気持ちが安らいで……私も自然と、ゆっくりと目を閉じていた。
やわらかい。スノウだ。あつい。
唇に触れた、そこに彼女がいる。
熱く伝わる、確かに彼女がいる。
あたたかい。ふわふわ。あつい。
私はそれが、堪らなく嬉しくて……唇の熱が身体中へ燃え拡がったように感じる。
その熱された、私の背を……彼女の手が撫ぜる。
少し冷たい手。
私の熱は、その手に伝わっているのだろうか。
肌の熱さは、胸の響きは、瞳の潤みは。
吐息の湿りは、全身の震えは、歓びは。
彼女の手に、彼女に……伝わっていたら、嬉しい。
けれど、それよりも……彼女を喜ばせられていれば、いっそう嬉しい。
この夜の二人は、酒食も忘れ時間も忘れて、ただただ触れあっていた。
翌朝。
窓から差す陽の光を感じて、コアイは目を覚ました。目を開くと視界の下、胸元にスノウの頭が寝転がっている。
コアイはなんとなく、そこに視線を向けながら手を添えた。そうすると、嬉しくもあり恥ずかしくもあり……どうにも笑えてしまった。
けれども、ぐっすり眠っている彼女を起こしては悪いと考え、なるべく声を殺す。そう心掛けたものの。
軽く手を添えた、彼女の頭……
そこに生え揃った、滑らかで艷やかな黒髪の……
つい、撫でてしまった。
「う~ん」
「っ!? ん……」
それに反応してか彼女の頭が上がる、同時に彼女の柔らかな髪がコアイの肌をくすぐる。
コアイは細やかな触感に身体を揺らしてしまい、彼女を起こしてしまった。
「んあ〜……あ、おはよう」
「ん、ああ……おはよう、スノウ」
「あさかぁ、お腹すいたね」
二人は一先ず宿を出て、朝食をとることにした。
「おはようござ……って、アンタいつの間に女を連れこんでたんだ?」
宿の出入り口前、二人に声がかかった。
コアイは昨夜宿賃を払っていたため、そのまま宿を去ろうとしたが……宿の主に呼び止められたのだ。
「いや色男ってやつかねェ……しかし見つけたからには」
何となしに男扱いされているのは捨て置くとして……ここへ来た時は一人だったのを思い出す。
コアイはどうしたものかと考えたが……
「追加料金を払ってもらうよ、まだ一人分の宿代しかもらってないからな? 二人分もらわんとなあ?」
そう言いつつも主は笑っている。どうやら、金さえ払えば文句はないらしい。
それなら別段問題もない。コアイは支払いを済ませ、スノウの手を取って外へ出た。
二人は町中に漂う匂いを頼りに飲食店を見つけ、肉串とスープにありついた。
その味はというと、スノウ曰く「ちょっと味薄いけど、まあ……普通?」という程度らしい。
そして朝とはいえ酒を頼もうとしなかったあたり、けして満足はしていない……とコアイは捉えた。
そう感じてしまうとコアイは……此処での飲食が目的でないとはいえ、彼女に申し訳なくなる。
「済まない」
「えーどしたの?」
彼女の表情は、不満げという程には見えないが……喜んでもいない。
それがコアイには辛くて、俯いてしまう。
けれど。
「今回なんかいつもより変? なんかあった?」
「いや、大丈夫……それより」
けれど、心配そうに覗きこまれるのも辛い。
要らぬ心配はさせたくない。
コアイは……時折でも、そう考えられるようになったらしい。
「……食事を終えたら、今日は馬で西の国境を越えよう」
「よくわかんないし、まかせる!」
「良し、では行こうか」
スノウの返事を聞き、己を奮い立たせようとコアイが立ち上がったところ……隣のテーブルから声をかける男がいた。
「なぁ、兄ちゃんたちちょっといいか?」
立ち上がったコアイもまだ座っていたスノウも、男に注目する。
「何か用か」
「西の境を越えるって話だが……今日ルルミウズ川を渡るのは無理だぞ」
「……何故だ、ここは国境に近い町だろう」
コアイは困惑する。そう言ってはみたが、その根拠はどこにもない。
「え、いや? ここはカーフィル、西の境のルルミウズ川はもっと西側だ。兄ちゃん道に迷ってないか?」
「良く分からない」
言われてみれば確かに、コアイは迷っているのかもしれない。正直なところ、昨日は道のりよりも……スノウのことを考えて進んでいたから。
「あ、地図とか無い?」
コアイはスノウの声に振り向いて頷いた。食器を除けつつ、懐から地図を取り出してテーブルに広げて見せる。
「おお、よさそうな地図持ってるじゃないか……て、ん? この字、どこかで見たような?」
この男は、ソディの筆跡に見覚えがあるらしい。しかしそれは今、コアイにとってどうでも良い。
「まあいいか、この町、今いるカーフィルは……この地図には書かれてないんだが、だいたいこの辺りだ」
男が指し示した場所は、国境よりはむしろタブリス領の中央寄りやや北、領内の中心都市であるプフル城下に近い場所だった。
「……そうなのか?」
コアイは現在地が、国境沿いに並ぶ三つの町のどれかだと考えていたが……どうやら勘違いをしていたらしい。
「ああ、だから今から、一番近いシャッタールへ行くとしても、だ……」
「うん、どんな感じ?」
「移動時間でいうと、休まず馬を走らせても明日の昼までに着けるかどうかってとこだよ」




