こころ喜び向く先の地に
「西……アンゲル地方とやらヘ行ってみよう、その装飾品の名産地を訪ねてみたい」
コアイは何時しか、自覚できるほど浮かれていた。
「彼の地まで、どれほどかかる?」
「おっ、そうだな……タブリスの向こうだから少し遠いが、馬を休ませながら進めば心配ねえよ」
「あ、そうそう馬といえば……」
3人とも良い意味で緊張がほぐれているのか、和気あいあいと話が進む。
「リャンハイ村のカチャウから、例の馬用の霊薬を一壺買っておきましたぞ。使い方についても聞いてあります」
『例の馬用の霊薬』とは……健康な馬にひと掬い舐めさせると、馬は猛烈な勢いと速度でかつ疲れを知らぬかのように延々と野を駆け続ける……女魔術士カチャウの作る練薬のこと。
以前、北のエミール領から戻ってくる際に使ってみたが……元気の無かった馬が一口で雄々しく猛り、激走する姿をコアイは良く覚えている。あの速度でよく荷車が壊れなかったものだ、とも。
「あ〜あの変な女か、あいつ話長かったろ? 伯父貴」
「話も長かったが……初めは挨拶にすら戸惑ってた娘が、霊薬の話になった途端すらすらと淀みなく語り始めたから、儂ゃびっくりしてのう」
挨拶の苦手な女魔術士……と聞くと、コアイも何となく覚えている。確か、目が隠れるほど前髪の長い、いまいち会話の成り立たない変な女だった。
そして、変な女だと……女魔術士のことをそう評したときに、「王サマはあんまし人のこと言えないでしょ」とスノウに笑われたのも覚えている。
そんな夏の日のことを思い返していると、コアイは彼女の笑顔を思い出して、それにつられたように笑みをこぼしそうになって……口元に拳を当ててごまかす。
「おや、陛下もあの変わった娘を思い出しましたかな?」
ソディに顔を見ながら問われた。
一旦離席して、部屋の隅から壺を持ってきたところだったらしい。
「いや……なんでもない」
どうやらごまかし切れてなかったらしい。
コアイは少し気まずく感じる。
「で、これがその薬壺ですな……壺の意匠は、まあ……好き嫌いが分かれそうですが」
「……これを俺が持って一人で歩いてたら、笑われちまいそうだな」
薬壺を見ると薄い青地に、花と仔馬らしき絵が黄色の線で描かれていた。色味も絵も子供が好みそうな、柔らかな印象を与える。
「俺だと笑われそうだが、まあ王さ……陛下ならもしかしたら大丈夫かも」
「何か問題があるのか?」
何の不都合があり、何故コアイなら大丈夫かもと言うのか……コアイには良く分からない。
「うん、見た目がちょっとなあ……」
「あの娘は壺作りにも定評があります、確かにあまり見かけない色合いと手触りですが……あの娘の好みで焼いたものでしょうか? 壺を返してくれ、とは言われておらぬのですが」
コアイにはあまりピンときていないが、他二人ともが明らかに渋い顔をしている辺り何かしらの問題があると考えるべきなのだろう。
「何なら別のツボに詰めかえとこうか?」
「任せる。旅に持っていければ、私はそれで良い」
二人に任せてしまったほうが良いことも多々ある、ということはコアイもよく理解している。
「それより、霊薬の使い方を聞いておきたい」
「そうでしたな、失礼いたしました……食べさせるのは一日に一度、また二日続けて食べさせるのも避けたほうが良い……とのことでした」
「……それだけか?」
「はい、気軽に使える自信作だとも話しておりました。それであの効力……まったく大したものです」
あの女に、そんな踏み入った会話ができたのかと少し思いつつも……
コアイにはそれよりも、大事なことがある。
彼女への贈り物を、早く見つけたい。それと。
「気を付けよう。ところで、遠く西へ往くとなると……長くここを空けることになるが」
この城、この森の平穏も……彼女の望みだろうから。
「問題ないか?」
「大丈夫でしょう。さらに北西の、王都寄りの地域では稀にきな臭い話を聞くこともありますが……」
以前にエミール領内で奇妙な人間達に襲われたのは、その関係だろうか?
さほど強さは感じなかったし、二度の襲撃以降は姿を見せないが。
「少なくとも領内では、ここ最近の数月ほど……組織的な、怪しげな動きは見られません。それに今……冬場なら、有事のあった際も森の西側を重点的に守ればなんとかなるでしょう」
「北側は道が悪くて軍装ではまともに動けねえし、軽装で森に入ってきたらそれこそ楽勝だからな」
「そうか」
「それにしても陛下、我らのことを慮っていただけるとは」
ソディは珍しく、満面の笑みを浮かべている。
「まこと、ありがたきことです」
「そうと決まれば、俺はとりあえず馬と外套を用意するが……荷車は要るかな?」
「荷車は要らぬ、外套も要らないと思うが……必要か?」
コアイは過去の移動を思い返して、馬のみで良いのではないかと考えた。
荷車があれば荷物を多く運べるが、スノウを乗せるにはあまり適していない。
道が悪ければ尻を痛めるし、馬が激走すれば身体が飛び出してしまう恐れがある。
馬と霊薬を使うなら、彼女は抱きしめたままで移動するべきだろう。
それに、そのほうがあたたかい。
「外套はあったほうがいいぜ。もしかしたら野宿になるかもしれんし、たまに砂混じりの強い風が吹くからな」
「そうか、なら任せる」
野宿……もしそうなるなら、二人寄り添って一着の外套に包まって……
いや、彼女に野宿をさせられるような安全な場所が見つかるとも限らない。
しかし、やってみたい気もする……布地で彼女と、一まとめになって……
コアイは野宿という言葉にあれこれ考え込み、黙ってしまった。
「え〜っと……? まあよし、そろそろ準備にかかるとしようか!」
「そう慌てることはないぞアクドよ。どのみち地図の用意に時間が掛かるからの」
「ならそっちは俺も手伝うよ」
「いや、要らぬ。待ち時間には書を読み込んでおけ。なにしろお前は絵心が無さすぎるからの」
「ぬぅ……」
二日後、馬と路銀と地図と、外套と……霊薬を詰め替えた壺が用意された。
「お待たせいたしました、陛下。では、良き旅を」
「森を抜けたら、なるべく馬に水を飲ませとくといいぜ」
「分かった、助かる」
「あちらの冬は乾いていますからな。もし焚き火をなさるなら火の扱いにもお気をつけくだされ」
コアイは城外へ出たところで一旦下馬し、霊薬を掌で掬って馬に与える……




