8 感じた愛しさ 病める My Mind
うれしい。
『魔王』が目の前にいて、うれしい。
『魔王』から力を感じて、うれしい。
『魔王』の責めを受けて、うれしい。
なぜそう思っているのだ。
いや、この際それは後だ。
なぜそれらを感じるのだ。
これはあの娘の記憶。私の経験ではない。
なのに、経験したかのように感じられる。
私が感じられるはずのない感覚。
私が意識できるはずのない感情。
記憶を可視化しただけでなく、実感まで追体験しているなんて。
こんなの、はじめて。
けど、楽しくはない。
こんなの、かなしい。
目の前に、ずっと好きだった人がいて。
その人が、見たことない顔をしていて。
その人が、わたしを殺そうとしていて。
その人が、そうしているのが嬉しくて。
その人が、私を見ているのが嬉しくて。
その人が、私に触れてるのが嬉しくて。
それだけ、ただそれだけでも嬉しくて。
そう感じてしまっていることが……かなしい。
「お前が……お前が、奪った……」
「へ、陛下ぁ…………わたしを わたしを……」
土着種の娘、リュシアは膝をついて、今にも鬱ぎ込んでしまいそうに哀しげな顔をした……『魔王』コアイを見上げている。
首の絞められた跡が苦しい。刺された肩が痛む。
けれど、それが『魔王』に与えられたものだと悟って……
その人に、少しだけでも縋りつきたくて……娘は立ち上がろうとする。
しかし娘が踏み出すより早く、『魔王』が歩み寄ってきた。
「あ゛あっ!? くッ……んあ゛あっ……」
まただ。先に刺された辺りを、また刺された……痛い、痛い……熱くて、痛い。
それらが伝わってきて、彼女と同じように呻き声をあげてしまいそうな。
そんななかで彼女は、苦しそうな呻き声を上げながらも、『魔王』へ優しく手を添える……そうする理由が分かってしまう。
そうできる理由が、私には分かってしまう。
激しい苦痛とは別に、いやもしかしたらその奥に……確かに感じられるから。
嬉しいのだ。暖かいのだ。
傷口の熱さとは違う、ぬくもりが……確かに感じられるのだ。
勝手に感じているだけ? そうかもしれない。
それが勝手な思い込みだとしても……それでも、娘には、私には……はっきりと暖かいのだ。
「私の、このような姿がっ……嬉しいのか!!」
娘の様子に何を感じたのかはわからないが、『魔王』はその悄然とした表情には不似合いな……張りのある硬質な怒声をあげた。
娘に向けられたその声と、髪を掴み上げられる痛み……それらは不快なもののはずなのに。
「フフ、うれしいに、決まっています……」
「好きな人が、はじめて見せてくれる顔で、はじめてさわってクレている……うれしくないわけがありません」
彼女が心からそう思い、そう感じていることが、私にも伝わってしまう。
今なお邪険にされているのに、とてもまっすぐな……いじらしい娘。
しかし私には分かっている。このあと彼女の心は壊れてしまう、生命だけを救われて。
私はなぜか、それを可哀想に思ってしまう。
他の誰の死に様にも、そんな感傷は持たなかったはずなのに。
そしてこの娘の今後、待ち受けるであろう未来は……私にすらまるでわからない。
心配だと、助けたいと、心から思ってしまう……
他の誰の……恋人を喪った『魔王』の慟哭にも、そんな同情は湧かなかったのに。
私には、どうしても……彼女のことが…………
わけも分からず私はその一心に支配されて、胸が張り裂けそうになって……気が遠くなっていった。
……………………Reboot……disabled…………
……Can't launch default mode……safe mode, too……
「おねえちゃん、だいじょうぶ? おきて?」
外からヒトの声がした。
「Abandon her, owe no mercy…………IT will be handed over to "Zehn"(彼女は見捨てよ、情け容赦など負うものなし……それは『第十番』に引き継がれる)」
私の内側から大きな声が発されていた。
「きゃあっ!?」
「にっ、にげろファウズ!」
外からヒトの声がしたあとに、何人かの足音がした。
夜明け前だろうか、薄暗く冷たい空気を吸って私は目覚めた。
意識を失って、取り戻したあとでも……やはり私は、彼女の行く末を心配していた。助けたいと願っていた。私の中に、もはや歯止めとなるものはなかった……
私の中にはもう、務めについての理解も義務感も……ごくごく希薄な部分しか残っていなかった。
私は、彼女のために……彼女に寄り添いたい。
しかし、私に何ができるのだろう?
私はただ、この星の歴史を記すだけの身。
誰かを助けたこともない、
誰かを救えたこともない、
誰かを愛せたこともない。
彼女が愛した『魔王』コアイでもない自分に、彼女を支えられるような力があるのだろうか。
いま、私にできることは……この星の過去を、別の可能性を、未来を……見直すことくらい。
私には他に、何もできない。
けれど、何もしないでいるわけにはいかない。
ならば、せめて……『魔王』から学んでみよう。
彼女が愛した『魔王』から、私が知ることのできる『魔王』から。
私には、『魔王』コアイのような見目麗しさはない。
だから『魔王』の代わりにはなれないかもしれない。
それでも。
私は、『魔王』の過去を視る。
『魔王』コアイは森のなかの川辺で、椅子に座り眠っている恋人から目を離さないでいる。
コアイは長い間、体勢を変えることも、目を逸らすこともしない。
……『魔王』の感覚や感情はまったく伝わってこない。
もちろん、眠る恋人の感覚や感情も伝わってこない。
やはり、私が感じ取れるのはあの娘の感覚、感情だけらしい。
『魔王』はいったい何を考え、何を感じているのだ?
恋人の目覚めが待ち遠しいのか? いやそれなら、起こせばいい。
恋人の寝顔を見ているのが楽しいのか? 身動き一つもしないでいられるほどに?
難しい……
「ん……まぶし…………」
どれほどの時間見つめ続けていたかすら分からなくなるほど待っていると、あるとき恋人が目覚めた。
「おはよう、スノウ」
それに気付くや否や、コアイは恋人に声をかける。
「今日はここで「きゃんぷ」をしよう」
「んと……キャンプ? あっうん、もしかして準備してくれたん?」
「ま、とりまカンパ~イ」
「はー、きれいなとこだね〜……けどおつまみがないのはつらい!」
コアイと恋人は酒を飲んでいるらしい。
「つかここ川だよね……川なら、魚とれないかな?」
「私は魚の捕らえ方を知らない、どうすれば良い?」
「とり方? う~ん……そうだ、ちょっと耳貸して」
コアイが恋人になにやら耳打ちされている。
のち、コアイは魔術で大きな石を一つ浮かせ、別の岩に強くぶつけていた。
「ひゃッ」
しばらくすると、水面に大小の魚が浮き上がる。
「拾って拾って! なるべくおっきいやつね!」
コアイと恋人は川に入り、水面の魚を拾い集めた。そして焚き火を熾して、二人で当たりながら魚を焼いている。
そうしながら、恋人がコアイの隣でいたずらっぽく笑っていた。
二人とも、楽しそうではある。
ならば『魔王』のように、または恋人のようにあの娘と触れ合えば……少しは彼女を癒やせるのだろうか?
よくわからない……もう少し、『魔王』の記憶を探してみるか。




