4 LONELY HUMAN
裏路地から出られない。
だって、私なんか変だ。
胸が痛い。
頭が重い。
胸があつい。
頭がにぶい。
身体が震える。
意識が惚ける。
身体がよろめく。
意識がひりつく。
これは、身体の不調? 休眠環境が予測ほどよくなかった、とか? そのツケが今になって出てる?
といっても、この身体もあと千日は使えないのだから、休眠状態が良かったとしてもそろそろガタが来る……そんなものかもしれないけど。
いや、そもそも……具体的に身体の不調が起きたのなら……なにか通知があるはず。けど通知も警戒触も、なにもない。
いま感じている、身体の不調ではないこれは……なんなんだろう?
わからない。どうにもわからない。
これを収める方法が分からない。
これを収めるべきなのか、放っておいていいのか判らない。
これをなぜ感じているのか解らない。
……いや、そのことにだけは少し心当たりがある。
いまも、気を抜くとすぐに意識させられてしまう……あの記憶のせいだ、たぶん。
『魔王』コアイと、その恋人の。暖かい日々、熱い一夜。
それ以外にも『魔王』の、その恋人の……過去の記憶やあり得た可能性を、私は記憶したはず。そのはずなのに、はっきり意識できるのはいつも……二人の記憶。
食卓をはさんで語り合う二人、
夜の森で憩いながら連月を見る二人、
湯の上に皿を浮かべて酒を飲む二人、
後ろから抱きかかえた格好で馬車に乗る二人、
邪魔者もなく静かに眠る二人……
それらのなかでも、特に強くはっきりと意識でき……いや、意識させられるのは……枕を重ねる二人の姿。
ああ、またダメだ。
少しおさまったような気がしたのに。
また、頭が、胸が。
私は一晩中、裏路地に隠れたままうずくまって……頭を抱えていることしかできなかった。
朝、それも日が高くなってからやっと……表通りを歩けるくらいに落ち着けた。
とりあえず落ち着いて、街中を歩いて……これまでと同じようにふるまって、なんとか……
と考えていた矢先に、出くわしてしまった。
一人でとぼとぼ歩く『魔王』に。
遠く向かい側から歩いてくる『魔王』コアイは沈んだような顔をしているけど、やはり美しく……とにかく整った面がまえをしている。
絵に描いたようなそれは、現代のヒトや土着種の顔つきとはひと味違うとても整然としたもので……まるで原初のヒトのようだった。
原初のヒト……私も画像でしか見たことがないけど……この星にヒトを造ったグループが思い浮かべていた理想の美人、に似せて造られたという話を聞いたことがある。
『魔王』の顔つきは、どこかそれに似ている。ということは、『魔王』コアイは……長命なこの星の土着種ではな
と、積み上がりつつあった推測が急に吹きとばされた。
一人で馬にまたがりながら恋人を想う『魔王』。
一人で風呂に浸かりながら恋人を想う『魔王』。
一人で荒れ野を歩きながら恋人を想う『魔王』。
一人で食事をつつきながら恋人を想う『魔王』。
『魔王』の姿から伝わってきたそれらの記憶、それらすべてに共通する……暖かい、熱くはないのに焼き焦がされるような……恋人への一途でまっすぐな想いが、私の頭の中を吹きとばした。
私は足を動かせなかった。
頭がまっ白になっていた。
なぜかわからないけれど、『魔王』一人の記憶がうらやましく思えて、私は何もできなかった。
なぜかわからないけれど、私は『魔王』と恋人の二人の記憶ではなく……『魔王』一人の記憶のほうをうらやましいと感じていた。
その、『魔王』コアイが一人……私の横を通りすぎていった。
その姿は、とても満ち足りているようには見えない。なのに、なぜか……とてもうらやましい。
うらやましくて、いたたまれなくなって、はずかしくなって……また私は裏路地に逃げこんでいた。
他人を愛するということ、他人に愛情を抱くこと……
ほとんどの者は、いつかそれを知る。いつの日か、そうなる……らしい。
という話を、子どものころ聞かされたのを思いだした。
私には、今までその意味が……子どものころに聞いた話が、大人になってもわからなかった。
それが、私が使命を受けてこの星に残された理由のひとつだとも聞かされている。
しかし。
長い長い時間を孤独に生きたらしい『魔王』コアイすら、例外ではなかった。
やはり、ほとんどの者はそうなってしまうらしい。
長い長い時間を静かに眠っていた私も、いつか誰かを……そうなるのだろうか。
ただ、今ではそれが……そうなってしまうことが、とてもうらやましく思える。
私もいつか、いつの日か……
もしそうなってしまった時、私は使命を忘れずに……いられるのだろうか?
それとも、使命を捨てて共に……そうまで思える誰かに出逢うのだろうか?
寂しそうに人を想って望む一人の姿が、私の思考を冒す。
幸せそうに寄り添って眠る二人の姿が、私の意識を侵す。
どうやら『魔王』は、強く自覚した使命を持っていなかった。
使命を自覚している私は……この星で私がなすべき使命、それを忘れるほどの誰かにめぐり逢ってしまうのだろうか。
……できることなら、許されるなら、私も……そんな誰かに逢ってみたい。
そう、思ってしまった。けっして使命を忘れてはいけない、はずなのに。
愛しいと想える誰かに、逢いたい。
そう思ったことを自覚してからは……頭は重くもなくなり、考えもすっきりしていた。
そして気がつくと、先ほどまで色濃く漂っていた『魔王』の力……彼女がまとう粒子の匂いがすっかり薄れていた。




