介抱もすなる魔王さま
眠るスノウの身体を抱き上げてみたところ、彼女は何時も通り酒臭い。それでいて、その寝息が普段よりも弱々しいことに気付いた。
その音のする方へ目をやると、心なしか顔色も青白いような気がする。
抱いた不安感が喜びや期待、熱情を少しだけ鎮める。
コアイは彼女の身体を揺らさないよう……抱き上げたまま徐ろにベッドの横まで歩いていった。
そのあと、彼女の身体を手放す際にも……徒に衝撃を与えないよう優しく、彼女を寝かせる。
そうしてから、コアイは椅子を一脚ベッドの側へ寄せた。
今は彼女に触れず、少し離れた椅子に座って彼女の様子を眺めることにする。
元気な身体で心身を熱くしている自分が隣に寝転んで寄り添うのは、何となく気が引けたから。
ずっと近くに座って、彼女を見ていた。
するといつの間にか、日が落ちていた。
寝室が闇に沈む前に、灯りをともした。
「ゔ、ん〜…………」
灯光が瞼の奥に入ったせいだろうか、彼女は濁ったうめき声を上げながら……むず痒そうに寝返りを打った。
その、本来の彼女には不似合いな……それでいてどこか可愛らしい声が、コアイの身体も意識も釘付けにする。
コアイの意識を、灯りから彼女へ向けさせて。
コアイの身体を、燭台から椅子へ向かわせる。
「んぐ……み、みず…………」
そんな、全身全霊を向ける相手から……水を求める声が聞こえた。
求めるならば、早くそれを与えてやりたい。
いや、しかし……今は側から離れたくない。
コアイは人を呼ぼうと立ち上がり、立ち上がったところで躊躇いを覚えて座り直した。
この姿の、今の彼女から離れたくない。
目を離したくない。離せない。
と思わず膝の上で両手を握り、唇を噛んだところで……コアイは机上で少し埃をかぶっている小さな魔導具の存在を思い出した。
通伝盤と呼ばれる、エルフ達が遠く離れた者と音声通信を行うための魔術機巧がある。
その原理を応用した、より小型で扱いの簡単な……同じ魔導具を持つ特定の相手に魔力で発信し、光や音での合図をさせるだけの単純な代物……らしい。
それは声を伝える機能すら省く単純化と引き換えに、一人でも難なく持ち運べるほどの小型化と魔力さえ具えていれば子供でも容易に扱える簡便さを得た、画期的……らしい、魔導具。
リュシアの放逐の後、その魔導具の開発はしばらく手付かずだったが……最近になって、近隣の村に住む機巧好きの魔術師が残されていた記録を基に開発を再開したらしい。
それで、何日か前にコアイ達へ試作品が届けられていた……という顛末である。
しかし、コアイはそれを渡された際にはあまり興味が湧かなかった。そのせいか、試作品を渡された翌日にはその存在を忘れていたのだった。
これは、確か……魔力を持つ者がここの出っ張りのどれかを押しこむと、対応した相手側の魔導具が音や光を出す……というものだ、と聞いたような。
それで、これが鳴ったら寝室に駆け付けるから、使ってみてくれ……と、誰かが言っていたような……そんな気がする。
もし彼女の側に留まったままで、人を呼べるなら……好都合だ。
一度試してみるか。
コアイは素早く立ち上がり歩き出し、机上から魔導具を手にして、直ぐさまベッド横の椅子へ戻った。その前後で、彼女の様子は良くも悪くも……変わりないように見えた。
そうして持ち出した魔導具はコアイの手に納まる程度の大きさをしており、その上部に三つ、側面には一つだけ小指大ほどの出っ張りがある。
コアイは上部の出っ張りのうち、真ん中を指で押し込んでみた……すると間を置かず、自身と魔導具の周囲に微弱な魔力の流れが生まれたのを感じ取れた。
……これで、この微かな魔力の動きだけで……効果が発動したのだろうか。
確かに、何かが作用したことは間違いない。それは理解したが。
コアイは暫く、彼女だけを眺めて様子を見ることにする。
それほど時間の経たぬうち……と感じるほどの間を置いて、戸を叩く音がした。
「入るがいい」
「王様、やっとあれ使ってくれたのか……あ、いやええと……」
やってきたのは大男アクドであった。
アクドは何時も通りの態度を取りかけて……何やら戸惑っていた。
「ごきげんうるわすう、陛下」
丁寧な言葉使いを心掛けているのだろうが、まだまだ拙い。
コアイは大男のそれを、拙いだけでなくあまり似合わないと感じている。
だが今は、それよりも重要なことがある。
「水を飲ませたい。それと、食事は少し後にしてくれないか」
コアイはスノウが横たわるベッドに目配せしながら用件を伝える。
「ん……承知だ! あ、承知すました!」
アクドは合点のいった様子で頷くやいなや、猛烈に駆け出していった。
大男が戻ってくるのを少し待って、運ばれてきた水差しを受け取って。
彼女の横に腰を下ろして、空いた手で体を起こして、その背を支えて。
飲み口の先を咥えさせて、ゆっくり水差しを傾けて、中身を飲ませて。
こくっ、こくっ……と彼女の喉を潤す音が小さく聞こえる。
彼女に目を向け、その音に耳を澄ましていると何時の間にか水差しは空になっていた。
薄目を開けて、今なお飲み口に縋りつくような彼女の表情が……妙にコアイの胸を締め付けて焦らさせる。
彼女を心配し気遣いたいと思う心情と、彼女のしぐさに何か昂ぶるような熱意が……胸中で絡みあって、コアイを惑わせる。
ただ、どちらの気持ちが優位であったとしても……彼女の側にいたい、ということだけは確かで。
それは、良く解っている。
「ぅん……」
彼女のうめき声は水を飲ませる前と同じようではあるが、表情が少し安らいだように思える。
コアイはまた、優しく彼女を寝かせて……休ませることにした。
今はこれ以上彼女に触れず、少し離れた椅子に戻って……
ただ、彼女を見ていた。




