あついあつい魔王さま
朝から一人で眠って、次にコアイが目を覚ましたとき……まだ雨の音は残っているが、窓の外には闇が広がっていた。
おそらく、朝から日没まで眠っていたのだろう。それにしても、こう長雨が続くのはあまり気分の良いものでない。
コアイは立ち上がり、窓から身体を伸ばして空を仰ぎ見た。すると、暗がりからしとしとと雨粒が降りかかる。
それ等はコアイの皮膚まで届くことはないが、雨足が弱まっていることをコアイへ伝えている。
この程度の雨なら、外へ出歩くのも無理ではない……か。
コアイはそう考えを巡らせながらベッドから窓際、窓際から椅子、と寝室を歩き回ったが……その中で少し、身体に違和感を覚えている。
身体のあちこちの皮膚が、そわそわしているような。
そして胸の内も、そわそわくすぐられているような。
スノウに逢いたいと……何かに急かされているような。
ついさっきまで、逢っていたはずなのに。
けれど、そう感じるのなら……それを満たすために動こう、できることをしよう。
そう素直に考えられる。
そして、その時のためにも……私はもう少しだけ強くなりたい。
私に触れる彼女を、見て、感じて、確かめられる私になりたい。
「おお、お目覚めですか陛下」
既に日が暮れていることから、コアイは以前にもらった手記を携えてソディの居室を訪ねた。すると目当ての老人ソディの姿に加えて、椅子に座って縮まる大男の姿があった。
「前に教えてもらった滝行……あれは確かに効果があったようだ、他にも試してみたい」
「それはようございました……ところで、どの滝まで行かれたのですかな?」
コアイの言葉を聞いてか、ソディは穏やかに目を細めている。
「最初に見つけた小さな滝では意味を感じなかったから、その先にあった大きな滝に打たれてみた」
「ん、てことはもしかして……トマートの滝まで行ってたのか? だったら俺も連れてってくれりゃよかったのに」
「ダメじゃ」
滝の話に横入りしてぼやく大男アクドを、ソディが短くたしなめる。
「あそこの近くに、いい場所知ってんだ。修行のついでに、そこで甘い果物を取って来れたんだがなあ」
話しながら、自ずと果実の味を思い出したのだろうか。アクドは途中から目線と顎を上げて、生気の乏しい顔で……ぼんやり口を開けていた。
「あそこから少し下ったとこにいた、すばしっこい野馬の群れは元気かなあ」
アクドはそう言うが、コアイは道中でも滝の辺でも馬のいななきは一度も聞かなかった。
他の鳥や獣の鳴き声なら、聞いた気がするが。
「また気が散っておるのう……何を言おうとも、お主の修行はまず座学じゃ。もうしばらくはな」
「ぬ…………」
老人ソディはそれを嘘だと指摘しなかった。なれば滝の近隣に果実の生る木々があり、過去に野馬の群れがいたという話は事実なのだろうか。
と言っても、少なくとも馬の話はコアイにあまり関係がない。果実は……機会があればスノウに食べさせてみたいとも思うが。
「と、それはともかく……」
ソディは改めて、身体をコアイへ向ける。
「水の次は火、でいかがですかな? 陛下」
コアイは、相火行なるものを教えてもらった。
ソディ曰く、元は一部の魔族が裸で焚き火に囲まれて、皮膚を焼かれながら火に、己に向き合う訓練だったらしい。後にそれを知った人間が精神的な鍛錬として取り入れ、現代まで伝わっているのだという。
ただし現代の人間による相火行は、少し焼けるか、焼けないかの境目あたりの距離で焚き火や篝火に向き合い……火を司る御使とやらへ一心に祈りを捧げる、という意識を持って行うものらしい。
言われてみれば……過去に「火炙りに耐える修練」をしているという魔族がいたような、そんな話を昔、聞いたような……気がする。
確か……その者の髪や体毛がやけに縮れている、あるいは焼き切れてしまって焼け野原だ、などと周囲の者がからかっていた。
私には何が面白いのか分からなかったが。
その後、その魔族に肖ろうとした者が火を強めすぎて一人で大火傷を負ったとか……そんな話を耳にしたような。あれは何時頃の話だったろうか。
コアイは何故か、以前よりも……昔のことを鮮明に思い出せるようになってきた。
思い出せる内容に偏りこそあるものの。
しかし、それがスノウとの日々に役立つなら……コアイにとってけして悪いことではない。
「我々には御使などどうでも良いですが……これは遠出せずとも、薪を多く集めて火を熾すだけで、どこででも取り組めます。雨が止めば、明日にでも中庭でできますぞ」
「そうか、ならば晴れ次第試してみたい」
コアイはごくごく自然に、そう口にしていた。どうも少し気が逸っていたらしい。
「よし、薪を集めるくらい簡単だ。なら問題は火の始末だけだな」
「……させんぞ?」
と、大男アクドが張りのある声とともに勢い良く立ち上がるも……何かを察して顔を睨み上げた老人の圧を受けて、無言で肩を落として溜息を吐いていた。
次の日、ここ数日の雨模様がすっかり消え失せた城の中庭。
コアイはソディに手伝ってもらい、焚き火に三方を囲まれた態勢で地面に腰を下ろした。
「おや、少し火が強かったかな……?」
火の始末を心配したのか、ソディは水桶を足元に集めていた。
対してコアイは、無言で身体を焚き火の放射熱に曝す。
やはり、この火照りはあれに似ている。
スノウの向けてくれる言葉が恥ずかしくて、居たたまれない時に……顔や首筋が熱くなる、あれに。
コアイは彼女に、彼女の声に顔を火照らされたことを思い出す。
そしてひと度思い出されたそれは当然のように、彼女への想いをも思い起こさせてしまう。
すると火に当てられていないはずの、胸の、頭の……身体中の内側が熱くなる。
火に当たっている皮膚の表面にも熱があり……内心に熾る熱を逃さない。
内外でコアイを焼く熱に浮かされて、目眩がする。
目前の炎もやけに揺らいで見えて、ふわふわする。
何故か身体がふるえて、心地が良くて。
その震える指先を握りしめてほしくなって、視線のすぐ先に彼女がいてほしいと思えて。
少し淋しいはずなのに、心地が良くて。
心がやさしくふるえて、心地が良くて。




