鍛えてみたい魔王さま
すみません、副反応ダウンとその後の業務挽回等で遅くなってしまいました。
と、突然藤子A先生の訃報が……
様々な作品をありがとうございました、ご冥福をお祈りいたします。
人間は、いろいろな鍛錬法を知り、あれこれと実践しているらしい。
ならば、私は…………
人間のそれ等に倣って、強くなれるように。
彼女に触れられるほど、強くなれるように。
さて、どの方法から試してみようか。
現時点でのエルフ社会においては最も人間の習俗に詳しい者の一人と言える、老人ソディから届けられた手紙に……人間達の鍛錬法の要点について解説がしたためられている。
また一部の鍛錬法については、その概要に至るまで小さな字で注が付けられている。
その注釈は、人間以外には馴染みの薄そうな語句、または鍛錬法に付けられており……そこにはおそらくソディの、コアイに対する細やかな気遣いが表れているのだろう。
しかしそれは、今のコアイには容易に感じ取れない類のものである。コアイは純粋に手紙の記述を読み取り、理解しようとしていた。
そして、それはそれで……コアイにとって、容易には理解できないものであった。
長い時間走る、山を登る……
滝に打たれる、燻される……
食や酒を断つ、欲を捨つ……
それ等で何を得て、どう強くなるというのだろうか?
人間の精神はそれ等で研ぎ澄まされ、そこに魔力の高まりが生まれる……のか?
それとも、それ等が異なる作用を起こして、何らかの力が身体に宿る……のか?
私には分からない。
しかし、現にそれ等が、弱い筈の……人間達を強くしているのなら。
私はそれ等を……人間達の真似をしてでも、強くなりたい。
とりあえず、いくつか試してみよう。
意味があるかどうか、分からなくても……試してみれば良い。
そしていつか強くなれると、信じていれば良い。
あの時だって、そうして……あたたかく生きていけたのだから。
コアイは延々と机に向かい、机上の紙とにらめっこしている…………
と、日が傾き始めた頃になって……いくつかの鍛錬法を組み合わせて同時に試せないか、と閃いた。
結局どの鍛錬法を試すかは決められていないのだが、それも組み合わせの可否次第で決めることができる。
そう思いついたコアイは、更に詳しい説明を聞こうとソディの居室を訪ねた。
「おや陛下、わざわざ儂をお訪ねになるとは珍しいですな」
ソディは机に向かい、何やら書をしたためているところだったらしい。椅子に腰かけたまま手を止めて、戸先のコアイへ振り向いていた。
「むさくるしい部屋に粗末な椅子で恐縮ですが、どうぞお掛けください」
ソディは立ち上がって机の向かい側の椅子を引き出し、コアイを迎え入れようとした。それを見たコアイは軽く頷いて、椅子に向かって歩み寄る。
ソディは椅子に手を添えてコアイを待っていたようだが、コアイが半分ほど歩いた辺りでぴくりと身体をはねさせて飛び出し、目を見開きながら机上の書類を片付けだした。
どうやら、コアイの手に紙が握られているのを目にしてのことらしい。
しかし、何故急にそんな行動を取ったのかは……コアイにはあまりピンと来ていない。
ともかく、コアイは片された机上に早速紙を拡げる。
「貴殿にもらった説明だが、これらのうちで組み合わせて行えるものはあるだろうか?」
「組み合わせ? ふむ、なるほど……」
二人して机上に目を落とす。
「すぐに思いつくのは、徒歩で山奥へ入って高地へ登ったのち、滝行……滝に打たれてくると、これで二種類ですな」
老人ソディの姿勢は、身を乗り出して机に片肘をつき、顎に指を添えたもの。
「しかし、それだけでは然程特別なことでもないように思えますな……」
「どういうことだ」
コアイも十全に意識を机上に向けているが、理解は及ばない。
「山奥の滝へ歩いて向かい、そこで一時過ごすなら相応の準備が必要でしょう。食料など、相応の荷を背負って当然……手ぶらではないはず」
「そうなのか?」
食料を例に出されても、それを必須としないコアイにはどうも分からない。
「それに、身体中を水に打たせられるほど大きな滝は、山奥でなければ見つからぬような」
「滝……に大小があるとは聞いているが」
コアイは悩むほかない。と言っても、ソディの知見によって先程より具体的に悩めてはいるのだが。
そもそも、よくよく考えると……コアイは滝というものを目にした記憶がない。
書物でその名や、それを用いた比喩に触れたことはあるが……
「ともあれ、ここから近い滝というと……東の山林へ向かうのが良いでしょうかのう」
城から出て東、湖に流れ込む川を遡る。
川の流れに沿って、林道から外れ森を突き進んでいくと徐々に土地が高くなり、更に遡ればそのうち……滝が見つかるのではないか。
とソディが語るころ……
「おーい伯父貴、夕飯はどうする?」
野太い男の声が部屋中に響いていた。
「最近は荷をしょってあちこち登山するより、一月くらい山ごもり……山で自給自足して住むやり方が主らしいぜ」
「なるほどのう、生活しながら己を鍛えるのか」
アクドは人間の社会で過ごした経験があるためか、より実情に近い知識を持っていた。
「山奥なら、邪魔も入りにくいしな……で、俺が王様を山ごもりに連れていけばいいのか? それならついでに俺にも」
「ならん。そうやって座学から逃げようとしても、儂の目は誤魔化せんぞ?」
「ぬ……俺も王様の魔術習いたいんだがなあ」
確かに、以前そんな話をしていたか……
いつの間にやら会話の外にいたコアイは、ふと思い出す。
「俺も、もうちょい強くなっといたほうがいいと思うんだけどなあ」
「物事には優先度というものがある。それに陛下も、一人で己と向き合いたいことじゃろうて」
そこまで考えてもいなかったが……
引き続き会話の外にいるコアイは、ただ当惑していた。
結局コアイは一人、滝を目指し歩き始めることになった。
特に必要というわけではないが、大きな壺を一つ背負って東へ……川の上流を目指す。
それが壺である必要性は皆無だが……そこにソディの手紙と、スノウの描かれた絵と、彼女がくれた小物数点を入れることで荷を背負う意義にして。
それは酷く曖昧な道程だが……そこにはコアイの想いがこもっていて、意欲があふれていて、コアイが望む姿があって。




