まなびて習う魔王さま
「どちらにせよ、気乗りしない様子を見せつつ……それでも具体的な話をされたときには、はっきり断る心づもりですのでご安心ください」
老人ソディはそう言って目を細める。
「これまで同様、その辺りは貴殿に任せる」
コアイには、特に注文をつける気はない。
「しかしその話、私でなく貴殿等にも……受けたくない理由があるのか?」
しかし疑問に思った点は解決しておきたい。
「儂は妻も子も亡くした身のうえ、この通りもう年寄りですからの。妻や子らの魂の平穏を、静かに祈っていたいのです」
少し顔を下げたソディの視線がぼんやりと……遠くなったように見えた。
「と、いうのは本心ではありますが……体のいい断り文句でもありましてな」
と、顔を上げて小皿に盛られた珠菜を一つ口へ放り込む。
「ん、そうなのか」
「陛下なればまだしも、儂らではどう考えても……あちらこちらで、要らぬ諍いの種になりますからな」
「何故だ?」
ソディには懸念が浮かんでいるらしい、コアイは話を聞いてみることにする。
「まず、第一に……人間の妻を娶ること自体は、先程もお話した通り……本人が納得しておるなら、儂らは口を挟みません。他の者も皆、そういう習わしゆえ」
第一……理由がいくつかあるらしい。
「ただし、共に暮らすためにこの大森林に人間を入れるということになると……それを倦む者、人間の侵入を疎む者が間違いなく居るでしょう」
現在、人間が大森林……エルフの本拠へ立ち入る際にはヤーリット商会の通行許可証が必要とされている。それは、エルフの中でも特に人間を嫌い、人間と会いたがらぬ者へのソディの配慮だと聞いている。
「少なくとも現状では、エルフ達の代表格とも言える儂らが私心から招き入れたとなれば……騒ぎ立てる者が必ず現れます」
エルフ達の人間に対する嫌悪感、敵意は根強いらしい。
「なるほど、しかしそれは私でも同じではないか?」
そしてコアイはその状況がもたらし得る一つの問題を、以前から気にしている。
人間と思しきスノウが森の中に居るのを見て、危害を加えようとする輩が居るやも知れぬ……と。
だから、スノウを連れている時は極力、エルフの村へ近付かないようにしている。
けして彼女を傷つけぬために。
「いや、陛下なれば話は別でしょう。陛下がおられてこそ、我らは今この独立した暮らしを取り戻せたのですから」
しかしソディはコアイの懸念を否定する。
自分たちにはその程度のコアイの振る舞いを非難する意義も、そんな資格も無いということだろうか。
「話がそれてしまいましたな、第二の理由……こちらがより重大な問題なのです」
「ふむ」
「人間の王族や貴族が、なぜ血縁やそれによる結びつきを重視するか……」
長話で喉が乾いたのか、ソディは一旦話を止めて酒を少し口にした。
「家の縁で結ばれた味方を作ること、そして土地や財産を受け継ぐ権利を得ること」
「それに意味があるのか? どうも腑に落ちぬ」
縁故やそれに付随する権利意識……それに頼ろうとするどころか、そんな概念や実感すら持ったことのないコアイに解るはずもない。
「例えば次の代で、土地の相続権を主張する……それを侵略の理由にするのです」
コアイはともかく、エルフ達も人間ほどそれ等を重視しない……ならばそれ等は、人間の習わしでしかないのではないか?
「そうなりそうな時は、係る者等をすべて人間のもとへ追い返せば良いのではないか。それでも攻めてくるなら……」
縁があろうと意に沿わぬのであれば、返り討ちにすれば良い。コアイからすれば当然の発想である。
「それは誰にでも出来ることではありません。好き合って番となった同士でなくとも、長く連れ添えば……多かれ少なかれ情がわくものです。子が居ればなおのこと」
「そういうものなのか」
ソディの話に耳を傾けてみるが、やはりコアイの理解はなかなか進まない。
「まあこたびの件については、問題は……こちらからも人間を攻めにくくなる、ということです」
と、話の風向きが少しだけコアイに身近な方へ向いた。
「儂は、少なくとも今は人間をほどほどに従わせておくのが上策と考えております。人間にはいくつも学ぶべき点があり、また人間との商いはエルフの生活を豊かにします」
そこまで話して、ソディは器に残っていた酒を一気に呷った。
人間には学ぶべき点がある、それはコアイにも納得できる。
確かに私も今、人間の鍛錬法を学びたいと思っている……
彼女のために、ではあるが。
「ふう……しかしアクドの代、それも百年ほど後ならば話が変わってくるやも知れませぬ」
一息ついたソディは追加の酒を手酌で注ぎ、のちコアイの器にも注ぎ足そうとして……中身が全く減っていないのを見て酒瓶を下げた。
「エルフの数も充分に増え、森の守りを固められるようになれば……再び人間と戦火を交える可能性も考えられましょう」
また酒に口を付けている。
「そしてそれは、その時の指導者……陛下とアクド達で決めることです。そのために儂は、その選択の……障害となり得るものをなるべく減らしておきたい」
今度は一息に酒を飲み込む。
「それは、儂が為すべき……この老骨に残る務めでしょう」
と、また酒器を手にとって目の前でひっくり返し……底に残っていた数滴を飲み干す。
「いやいや、話が長くなってしまいましたな。申し訳ありません」
「構わぬ、貴殿の考えを深く聞けた」
「鍛錬法については、少し調べて紙にでもまとめておきましょうかの」
「助かる」
コアイは寝室に戻り、とりあえず寝ることにした。
「ええと……陛下、陛下……」
戸を叩く音と、野太い声が聞こえて目が覚めた。
陛下、と呼んではいるが……この厚みのある声は老人ソディのものとは思えない。
何かあったのだろうか? と疑問が湧き、それがコアイの眠気を取り払う。
「少し待て」
コアイはベッドから飛び起きて戸を開ける。
「貴様か、どうかしたのか」
戸の向こうにはアクドがいた。
「んと……陛下におかれてはご機嫌うるわしくあらせられ、まこと喜ばしき輝かしき朝なりて……」
「……どうした?」
アクドらしからぬ、不自然極まりなく畏まった様子。
「伯父貴より書状をおあずけ……かりいたしたゆえ、お持ちになりました……? どうぞご笑覧? あれご参照? ください……」
何が言いたいのか良く分からないが、アクドは手紙を両手で差し出している。
「これをソディ殿から私へ、ということか」
「その通りでございで……ございます」
何がしたいのか良く分からないが、コアイは一先ず手紙を受け取った。
「では失礼いたすます」
どうにも状況が飲み込めないが……コアイはアクドが一礼ののち立ち去ったのを見て戸を閉め、渡された手紙を机に広げてみた。
するとそこには、人間が行う鍛錬についての解説があれこれと列記されていた。
走り込みや山登り……熟練者ならば、重き荷を背負いながら進むのが良い。
滝行や煙行、寒風行や火炎行……身体への刺激を忘れてしまうほど一心に、意識を集中させることが重要。
断食や酒、茶断ち、禁欲……徐々に心身の内側から湧き出てくる欲望を自覚しながら、それらを抑え込む。ただし断食の際は、やり過ぎて死ぬことの無きよう。
視覚や聴覚の制限……ある感覚を失わせることで他の感覚を研ぎ澄まし、それを長く維持して暮らす。
数十人と続けざまに試合……身も心も力の限り、すべてを出し切り使い切る。それができるなら、人数は問題でない。
私の知らぬ様々な鍛錬法があり、それぞれに要点があるらしい……
どれから試してみようか。
私は、どうにかして……彼女に触れられるだけの強さが欲しい。
コアイはこれまでに経験したことのない、強い意欲が心に燃えているのを感じていた。




