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初夏のよるに夢見て

 人間の街のなか、宿屋のある一部屋。

 二人向けの部屋、眠る女と眺める女。



 更け始めた夜の月明かりが窓から入り、淡くスノウの寝顔を照らしている。

 コアイは夜のひとときを、ただそれを見つめ、見つめ続けて過ごしている。


 彼女の横で、同じように月明かりに照らされながら。

 部屋の灯りを点ける時間すら惜しんで、傍を離れず。


 彼女は、表情もなく眠っている。

 彼女の寝息は宿に着く前から変わらず穏やかに見える。表情が曇っていないことからも、彼女が苦しみ、悶えているわけではないと推し量れる。

 そう考えると安心する。安心して、傍にいられる。


 コアイは心穏やかに、夜のひとときを過ごしている。




 どれほどの間そうしていたかは分からないが……ふと、戸を叩く音が聞こえてきた。


「お客様、ナナイの森亭のご隠居が料理を持ってこられました。開けてもよろしいですかな?」

 コアイは入口に視線を向けたところで、早くも料理のことを忘れかけていたことに気付いた。

 が、それは大した問題ではない。コアイはもう一度彼女の寝顔を見て、変わりのないことを確かめてから……返答しつつ立ち上がった。


「構わない」

 料理……彼女が起きなければ、届いてもあまり意味がないのだが。

 と少し憂いつつも、一先ずコアイは戸口へ向かい、戸の横の壁に備えられた蝋燭に火を灯す。


「では失礼しますぞ」

 開かれた扉の先には、宿の主と老人が並んで立っていた。

 宿の主がテーブルのある方向を指差しながら何かを呟き、のち老人がテーブルの方へ進んだ。それを目で追うと、老人はなにやら箱状のものを背負っているらしい。

 老人はテーブルの横まで歩いたところで、テーブルの下から椅子を一脚引き出した。


「こいつを使うと、背筋を伸ばせるから体によいと聞いたのですが、ちと骨ですな……よっこらしょ」

 そして背のものを椅子に乗せて、額の汗を拭った。



「先ほど注文なさっていた料理と、追加の酒をお持ちしましたぞ」

 老人はそう言って、箱から料理を取り出している。

 だがそれを味わうべき人……スノウはまだ眠っている。


「ふむ、道中で少し溶けて……今が丁度食べ頃でしょうかの」

 老人はそう言って、手元の料理に目を細めている。

 だがコアイにとっては……彼女が起きないうちは、どんな美食も珍味も食べ頃ではない。


 コアイは何も言わず、老人が作業する様子を見ている。それでいて、意識は彼女の様子に向けている。


 最後に箱の外側に括りつけられていた酒瓶をテーブルに置いて、老人は再び箱を背負った。

 コアイは用が済んだと考え、老人に金貨を一枚渡す。


「おっと、料理のことばかり気にしていたせいか釣りの用意を忘れましたわい……夜のうちに、主人に渡しておきましょうぞ」

「ご隠居、相変わらずですな……お釣りは朝まで預かっておきます、それではお邪魔にならぬうちに失礼しましょうか」

「ん? おっとと」

 宿の主は苦笑する老人を急かすようにして戸口へ押し出し、コアイへ会釈してから退出していった。



 人間達は、何故か足早に去っていった。

 コアイには、その理由は分からない。とは言え、それは好都合だから問題はない。


 コアイは再び二人きりになれた部屋の中で、五感をすべて彼女へ向けた。


 テーブルのある側からは、彼女との間が少し遠い。ここまでは、彼女の寝息は届かない。

 コアイは膝立ちでベッドに上がり、彼女へ近付く。


「……ん〜」

 すると彼女は目を閉じたまま唸り声を上げて、右手を中空に伸ばしていた。


 コアイは無意識に、そこへ左手を伸ばしていた。

 すると彼女の手が、突然コアイの手首を掴んだ。


「あっ……」

 声が漏れた。

 と、それを自覚するや否や彼女に手を引かれたように感じた。


 今度は声こそ漏れなかったが、コアイの身体はろくな抵抗もできず彼女の上に引き寄せられていた。

 コアイは真下の彼女へのしかからないよう、肘と膝を立てて身体を支える。



 ……また、だ。

 彼女に手を引かれると、いつも……身体の力が抜けたように感じて、ふらついてしまう。


 私に手を引かれたとき、彼女は同じように感じているのだろうか。

 もしそうだとしたら、次に彼女の手を引くときは……彼女が転ばぬように、気を配らねばならないな。


 ……などと、その直後には考えていた。



 しかし、何時までも眼前に留まるスノウの寝顔は、少しずつ……少しずつ、じわじわとコアイの意識を灼いていく。


 加えて、何時の間にかコアイのうなじに伸びていたスノウの手が……それを、急激に早めていく。



 頭がぼうっとして、思考がぼやける…………




「ぅんっ!?」

 コアイは何かに気付いて、とっさに顔を引いていた。

 気が付いたときには、既に……彼女と同じ場所に、コアイの唇が触れていたことを感じている。


 あたたかくて、ふわふわしていた。

 けれど彼女に悪い気がして、直ぐに離れた。


 彼女の手で顔を寄せられたのか、それとも自ら彼女へ顔を寄せたのか。まったく分からない。記憶がない。

 ただ、彼女は今も変わりない表情で眠っている。


 ならば、おそらくコアイから彼女に……そうコアイは推測した。すると……

 彼女の変わりない様子とは対照的に、コアイの胸中はドクドクと強く脈を打ち続ける。



 私は何をしているのだ!?

 彼女が酔い潰れて眠っているのをいいことに、勝手に唇に触れるなど!

 起きなかったから、良いようなものの……彼女が嫌がったら、どう償うつもりなのだ!?



 ……けれど。


 でも、私には、何か……とても、それが…………




 それ以上、コアイの思考はまとまらなかった。

 コアイが「償う」などという発想を浮かべられるなど、それはそれは珍しいことだろうに。

 その発想を、省みることはできなかった。


 頭と唇に熱を感じながら混乱し続け、何時しか目の回るような心地を覚えて……コアイは身体を反転させて、スノウの隣に横たわっていた。



 偶然にも頭を支える位置に置かれた、彼女の左腕がとても好ましく。そして何故か、とても頼もしく思えた。

 そこに寄り添いながら、彼女の横顔を見つめていると……とても、心が安らぐ…………

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