やさしく気に留めて
「すー〜〜…………んふぅ」
彼女はコアイの膝の上で寝息を立てながら、少し身をよじった。
それに伴い、ややくぐもった可愛らしい声が漏れ聞こえてくる。
そしてそれが、コアイの胸の内側を撫でているかのような心地がする。
日没が近いため、前面に見える城市デルスーの右手の壁が赤く色付いている。
そこに向かって馬を進め、城市の北門へ近付くが……前に来た時とは違い、道中の左右に並ぶはずの杭や柵が少ない。
アルグーンへ向かい北上する際には気付かなかったが、城市の北側は畑や牧草地が少ないらしい。
更に進んでいくと、城門が開かれているのが見えて……そこへたどり着く少し手前で二度鐘が鳴った。のちいくつかの人影が城門から出てきて、コアイ達に顔を向けたところで足を止めていた。
コアイ達の様子をうかがっているのだろうか。
コアイは男達の動きを確かめながら馬を進ませてみる。が、コアイ達を見ている他に目立った動きはない。
動きのない男達との距離が大方縮まったころ、コアイは城門を見上げてみた。
すると門の上部に、意匠を凝らした看板らしきもの……扁額と呼ばれるものが掲げてあった。
それには『デルスー・ウザル』と書かれている。どうやら、以前に南門で見たものと同じ意匠らしい。
と、門の近くにいた男達の一人が荷車に駆け寄ってきた。コアイは近付く男を警戒して視線を移す。
「お、あんたもしかして……この前南門に来てた兄ちゃんじゃないか?」
男は特に得物を構えることもなく、コアイに声をかけてきた。
コアイは男の顔をよく覚えていないが、どうもこの男に会ったことがあるらしい。南門と言っているから、あの時扁額について語っていた男だろうか。
そして、少なくともこの男は、コアイがかの『魔王』だとは……今でも知らぬのだろう。
「ヒザに乗せてんの、あんたの娘さん……か?」
「違う」
コアイは男の問いかけを短く否定した。
そもそもコアイは、自身の子だとか親だとか……そのような存在をまったく知らない。
「……だよなあ、さすがに親子って年の子供じゃねえよなあ」
男は頷き、何やら納得した様子を見せる。
「てえことはアレか、そりゃまああんたのツラなら選び放題かもしれんが……ま、あんまし見せつけんなよ」
男はそう続けて、何やら笑っている。
「……どういう意味だ?」
コアイは聞き返した。但しそれは、その物言いと笑い声が不快というよりも……単にそれ等の意味や意図が分からないためである。
「あ、いやすまん、それよりもう閉門の時間なんだ。街に用があるなら、とりあえず中に入ってくれ」
男はコアイの疑問に答えないまま、閉門の作業に取りかかってしまった。
コアイはひとまず馬を進ませ、門をくぐった。
コアイは今回も男の先導で、以前と同じ馬を預けられる宿へ向かうことにした。
日没後の少ない人通りのなかで、多くの視線を感じる。
「ん……ん〜……寝ちゃったかあ」
しかし微かにでも彼女の声を聞くと、他からの視線など……まるで感じられなくなる。
「おはよ……って、ここは?」
「デルスーという街の中だ」
コアイの答えを聞いてか聞かずか、目覚めたばかりの彼女は辺りを見渡すように左右に顔を振っている。
「ああ、だからか……とりあえず降りていい?」
「……それは構わぬが、どうかしたのか?」
コアイはなんとも名残惜しく思ったが、彼女がそうしたいのなら止められない。
彼女は腰を浮かせながら横にずれて、コアイの隣に座った。
「人に見られてると、かなり恥ずかしいかも」
「……そういうものなのか」
「そりゃね……そういうものなの」
あれは、秘めるべき……人前では避けるべきことなのだろうか。コアイにはよく分からない。
分からないが、彼女が嫌がるなら強いることはしない。
けれど、また……人のいない所で、また彼女を膝に乗せてみたい。
そのことだけは強く自覚していた。
コアイ達は男に案内され、前回と同様に清掃の行き届いた、小ぎれいな宿に着いた。
「兄貴、客連れてきたぞー」
「いらっしゃ……ああ、この前の……」
この男……宿の主には前回、世話になった。
「じゃ、あとは任せたぜ」
門番の男は去っていった、入れ替わりに宿の主が早口でまくし立ててくる。
「おや、今回はお連れの方もご一緒ですか。何日、お泊りのご予定ですか?」
「特に決めていない」
「ではとりあえず一泊、以後は当日の昼までにお決めください。今からでは夕食のご用意ができませんので、今日は酒場で食事を取っていただけるとありがたく」
宿の主らしき男は流暢に、一通り説明を述べた。
「また馬と荷車を預かってほしい、それと」
「かしこまりました、それはそうと、例の噂……ご存知ですか?」
宿の主は目を剥いて笑みを浮かべながら、何かを言いたげにコアイの顔をのぞいてきた。
「……何のことだ?」
コアイには見当がつかない。
「おやご存知ではありませなんだか? お客様が出発された翌日かその次の日ごろのことなのですが、北の川沿いで大量の」
ぐぅぅ〜〜〜
気の抜けた低い大きな音が、何処からか……いや、コアイの隣から。
「あ、さ、サーセン……」
コアイの隣、音のした側で……彼女が下を向いて赤面している。
「先ずは酒場へ行きたい、その話は後で聞く」
コアイは無意識に彼女の手を取り、宿から飛び出していた。
良いお年を。




