膝にうかべてかけて
「お~いし~……」
のんきな声も可愛らしい……スノウの声を聞いてそう感じているコアイ自身も、のんきなのかもしれないが。
「このお酒ヤっバい、おつまみあったらカンペキなんだけどなあ」
彼女はコアイの膝に乗せられたまま、何度となく酒瓶の飲み口を顔へ持っていく。
その後ろで、コアイは彼女の声を拾って考える。
おつまみ……酒肴か。しかし食べられそうなものは、酒の他には未調理の菜くらいしか積んでいない。
確か、蒸すのが良いという話だが……ここでは薪も水も乏しい上に調理器具もない。ここで火を熾し、そこへ魔力を送り続けることで薪の不足を補い、火を焚き続けたとしても……そのまま直火で焼くくらいしかできそうにない。
「おいしくて……からだふわふわ…………」
コアイの思考にはまるで関係ないかのように、目の前でつぶやく彼女の先から胸のすくような香りが届いてくる。
それに連れるように、彼女の声が小さくなっていき……
「おいしいけど、おいし…………」
また眠ってしまったのか、やがて声は聞こえなくなった。
コアイは彼女の寝顔を思い浮かべて笑みが漏れたのを感じたが、それは気にせず考えを巡らせる。
これから彼女と二人、どう過ごそうか……差し当たり、彼女が食事をとれるように手配すべきか。
以前に二人で野営した森のような場所を探すか、もしくはこのまま人間の街ヘ向かうべきか。
そもそも、野営地となるような場所があるのだろうか。
行きの道中で見た川は流れが速く、川辺も拓けておらず……以前の野営地そばを流れていた川とは様子が違っていたように思える。
しばらく考えこみながら馬を走らせていると、いつの間にか夜が明けていた。
コアイは改めて、地図の記述を確かめてみようと考えた。しかし地図はアルグーンを発つ前に荷車へ放り込んでいた。
地図を見るためには荷車まで取りに行かねばならないが、そのために彼女を除けるわけにもいかない。
コアイは片手を手綱から離し、口元へやり……指先を齧った。そうして開いた新しい傷口から血縄を起こし、地図のありかを確かめようと後方へ振り向いた。
なるべく首だけを回し、身体を動かさないように。
そうして樽の横に転がり丸まっている地図を見つけて、血縄で手許へ取り寄せた。その間、彼女は特に声を発することもなく、そのほかの反応も示さない。
コアイは彼女に変わりのないことを確かめられたところで、また笑みが漏れたのを感じていた。
手にした地図に一通り目を通した限りでは、川に近付くのは良策でない……とコアイは思った。
やはり、デルスーへ向かったほうが無難だろうか。
ただ、あの戦士達や襲撃者が街に残っていなければ良いが……
それでも、彼女は食料を欲している。
私とは違う。
私は、彼女の求めを満たしたい。私よりも。
ところでコアイの心中には、それとは少し別の何かが引っかかっている。
それは、川に関係しているような気がするのだが……その原因となる事柄についてはっきり思い浮かばず、悩んでいた。
と、そこへ……
「王サマぁ、おなかがすきましたー……」
だしぬけにそう言った彼女の頭は下がったまま。
「あ、起こしてしまったか?」
頭を下げたままの彼女が、コアイの声に応えた様子は見られない……
どうやらただの寝言らしい、とほっとしたところで……前方から届く匂いが微かに変わっていた。
爽やかさとはほど遠い死臭と、それに群がる獣の臭いが……わずかに混じっている。
コアイはその臭いで、遂に心中の引っかかりの原因を思い出した。
……そうだ、この先は……アルグーンとデルスーの間を流れる川の北側、橋の手前。
つまり………このまま進めば、数日前に討ち果たした襲撃者達の死体が多数転がっているだろう……そんな場所に出てしまう。
彼女に、そんなものを見せることになってしまう。
……彼女には、人死にの臭いなど味わわせたくない。
コアイは慌てて馬を止め、再び地図を手に取った。
確か、西へ迂回すれば別の橋があるということだが……どれ程離れているのだろうか?
しかし、結局地図を見てもよく分からなかった。コアイは仕方なく、臭いを感じないことを目安にして南西へ進んでみた。
「王サマー……おはよう……」
しばらく進んでいると、日が西に傾きはじめたころ……運良く、川と橋が見えた。
それを知ってか知らずか、ちょうど彼女は目覚めていた。
「うぅ……あたしハラヘリッス、割とキツいッス」
振り向いた彼女の目が、とても弱々しく映る。
彼女が辛そうにしている、いつまでも迷ってはいられない…………
「この橋を渡った先に、人間達の住む街がある。一緒にそこへ行こう」
コアイは人間の街……城市デルスーへ向かうことを提案した。
「人間の町? いいよ! いいけどさ、名前とか決めとかなくて大丈夫?」
寝ぼけている……わけではないのだろうが、彼女は妙なことを言い出す。
「……名前?」
「そうそう呼び方とかさ、つか人間の街で王サマのことバレたら……若干マズくない?」
言われてみれば、とコアイは省みる。
実のところコアイは、この度訪れた人間の街では一度も名乗っていなかった。それで特に不都合はなかったから。
決闘を求めてきた戦士達や襲撃者の他には、コアイの顔を知る者がいなかったらしい。それで、特に恐れられた様子もなかったのだろう。
……となると、今回は「魔王」として顔を知られている可能性もあり得るのだが。
懸念は浮かぶものの、コアイにとっては彼女の空腹を満たすことが最も優先すべき事柄となっていた。
「……そうか、なら良い名を考えておいてくれないか。急がせるが、回り道をしているから時間はある」
「りょ! とりあえず飲んでハラをごまかしとく!」
彼女は何やら返事しつつ、また酒瓶を口に運んでいた。
コアイも一口だけ酒を分けてもらい、喉をうるおしてから馬の尻を軽く叩いた。
「そろそろ城市が見えるぞ、良い案は浮かんだか?」
夕暮れ時になって、右手だけが赤く染まった城市デルスーが目に入る頃……コアイは彼女へ声をかけた。
彼女はすっかり眠りこけていた。




