ふたり掛けで駆けて
森の内側を支配しているような静けさも淋しさも……彼女が隣にいれば、少しも気にならない。
彼女さえいれば、私は。
コアイは森の中、スノウと寄り添いながら馬を御す。
眠る彼女の右腕をしっかり抱えて、けして離さないと支えるように。
あるいは、けして離れないでほしいとしがみ付き、縋るかのように。
出発時に興奮しすぎていたからなのか、荷が増えているせいなのか……出発時の勢いは夢か幻かというほどに、馬の速度は落ちていた。
しかしそれも、隣に彼女がいる今なら少しも気にならない。それどころか、むしろ長い間車に揺られる楽しみ……なのかもしれない。
彼女の温度を意識しながら、ゆっくり馬を駆けさせていると……夕方ごろになって彼女の声が聞こえてきた。
「んあ……王サマ?」
「起きたか」
コアイは馬を御していることも忘れ、彼女へ顔を向ける。
「いきなり近いなぁ、ふふっ……ってあれ、なんか木の感じがいつもとちがう?」
近い、確かに近い。
だがそれは腕を組んでいる以上致し方ないことである……とは言え、彼女もそれを嫌がっているわけではないように思えた。
「なんつーか、北国っぽいアレ?」
「それほど違っているのか? そなたにはそれが分かるのか」
コアイは彼女の言葉を聞いて木々に目をやってから、視線を正面に戻して進路の具合を確かめる。
そうか、大森林以外の森に入るのはこれが初めてだったか。
……それにしても、彼女は……私が気付かないことも、敏感に察している。
私は、同じように彼女のことを察せているのだろうか。
「う~ん……」
彼女は顔を上げて、虚空を見上げるような仕草をした。
「酒が欲しいなら、後ろに瓶が積んである。飲むと良い」
「ん~……まだいいや、おやしみぃ」
コアイの勧めは彼女の希望に沿っていなかったらしい。彼女は答えながら、組み合っているコアイの腕に少し力を込めてきた。
そしてそのまま、コアイに身を寄せて……また、眠ってしまった。
身体を寄せあいながら、一人は手綱を握り、一人は眠りながら車に揺られている。
やがて、月明かりが疎らになった木々を照らし出した。
もう少しで、森を抜けられそうだ……と、その時。
「んっ……」
彼女が声を上げた。目覚めただろうか。
「……いだだっ……」
と思いきや、何やら痛みにもだえている。
「王サマ、ごめんだけどちょっと止めて」
「どうかしたのか」
一先ず馬を止めてやると、彼女はすぐさま林道に降り立って尻の辺りをさすっていた。
彼女にも足元が見えるように、コアイは魔術で辺りを照らしてやる。
「おしり痛い……キツい……」
「……何故だ?」
「ガタガタ揺れまくるし……王サマは辛くないの!?」
コアイの感覚では、森の中の道はそれなりに均されており車の揺れはそれほど大きくなかった。
……そもそも、斥力を発して微かに身体を浮かせることで席からの衝撃を無視できるコアイには、彼女の苦痛は実感し得ないものであろうが。
「私はなんとも無いが……どうすれば良いだろうか」
「王サマはおしりも強いのかぁ……」
どうすれば良いのだろうか、コアイは悩む。
「あれ敷いていい?」
コアイが悩んでいると……彼女は荷車の端に置かれた、幌にするために積んである布地を指差していた。
何重かに折った布地を彼女の尻に敷いて、再び馬車を進める……
「ふう、なんとか耐えられそう……」
始めは良かった、森を抜けるまでは。
「んっあだだだだだいだいいだい!?」
森の中の林道ほどに均された地であれば、十分な対策だったのだが……森を抜けた先の荒れ地では、不足であった。
「や、ヤッバ……泣きそうだよ」
彼女の表情を見ると、泣きそうというか既に涙が浮かんでいる。
どうすれば……と、コアイは自身と同様に彼女を浮かせれば良いことに気付いた。
しかしコアイの魔術による斥力は、自身の身体の周囲に均等に張り巡らせるものである。彼女の下側だけを指向して彼女を浮かせる、ということはできない。
……ならば、私が彼女と馬車の間に入っていれば?
コアイは斥力の起こる距離をできるだけ短くしてから、彼女を膝の上に乗せて……身体の左右から腕を回す格好で手綱を持ってみる。
「なんか子どもみたい……しょうがないかぁ」
コアイは少し申し訳無く思いながら、馬を進ませる。
「ってえっすごっ、なんか浮いてるみたい!?」
不満気だったはずの彼女は、いつの間にか楽しそうにしていた。
それは良いのだが、実際やってみるとこの体勢は……少しまずい。
鼻先に彼女の頭が来ていて、髪が鼻先をくすぐってくるような気がする。草原の風の匂いとは別の、とても良い匂いがする……気がする。
そして、私はそれを楽しんでいるような気がする。
それは彼女に悪いことのような気がして、まずいと思えてしまう。
「話してもいいー?」
「ああ」
悪いはずが無い。コアイは頷きつつ、耳に意識を集中させる。
「最近……つかずっとなんだけど、就活がちっともうまくいかなくてさ」
「しゅうかつ?」
しゅうかつ……コアイにとってそれは、何となく大まかな意味が伝わる程度の言葉だった。
「……それは、仕官のことか?」
「しか? 違うよ歯医者になりたいわけじゃないよ」
「良く分からぬが、困っているのか」
彼女の世界には、悩みの種が多いのだろうか。
それならば、いっそ…………
「……もしそなたが」
「あー、ごめん暗い話しちゃったね、うん、飲んで忘れようそうしよう!」
少しの間ののち、コアイは提案を切り出そうとした……が、彼女は既に考えを切り替えていたらしい。
……彼女が飲みたいと言うなら、そうしよう。
私はそれで良い。
コアイは一度馬を止め、荷車に積んである酒瓶のひとつをスノウに渡してやった。
「そなたに渡すために買ってきた。良い酒だ」
「そのまま……まっいいかぁありがとう!」
彼女は酒瓶の封を切り、口を付ける。
「わっちょっと待って、これめっちゃさわやか……ふわぁ……」
「王サマも飲まない? おいしいよ……って飲酒運転になんのかなあ?」
「そなたが止めるなら、飲まないでおく」
どうやら彼女の見識では、酒を飲んで馬車を御すのは良くないことらしい。
彼女がそう言うなら、私はその通りにしたい。
「あ~でもここなら別に……パトカーとかいないし……飲んじゃえ、はい」
彼女はそう言って飲みかけの酒瓶を手渡してきた。
彼女が口を付けた酒瓶。彼女の口。
コアイは何かを連想してしまい、心を乱しかけた。
けれど、口にした酒がとても爽快で……そんな心の乱れを洗い流してくれていた。
(おことわり)
本文中で馬車を御しながら飲酒していますが、日本では運転するのが馬車や馬であっても飲酒運転にあたります。マネをしないでください。
(海外でも飲酒運転として罰せられる国があることを確認しました)
余談ですが、運転手ではなく馬に酒を飲ませて運転した場合は飲酒運転とは別の条項により罰せられます。マネをしないでください。




