帰り路を寄り添って
あれこれと雑多な荷を積んだ馬車が、都市の門をくぐっていく。
そこには、馬車を牽かせる荷主の容姿に心惹かれる者はいても、荷主の強力に恐れ慄く者はいないらしい。
それは人の不明か、あるいは荷主たる「魔王」の変容か。
朝……コアイは宿を、都市アルグーンを発った。
宿の女主人が向ける、なにやら言いたげな視線に背を向けて……この街で買い込んだ野菜、酒、宝飾品を携えて。
休養が十分すぎたのか、荷車を牽く馬はいきり立っていた。
その気分に任せるかのように、馬は街を出た途端に駆け足を速めた。
早駆けしてはいけない理由など特に思い付かなかったから、コアイもあえて馬を制そうとはしなかったが。
結果、来た時よりもずいぶん早く南の森まで辿り着いていた。
留まる理由など特に思い付かなかったから、コアイは少し遅くなった馬の行き脚のまま森へ入っていく。
積荷が少し乱れていたが特に脱落や破損は見当たらなかったから、荷崩れはそのままで森へ入っていく。
アルグーン南の森は、進むごとに木々が密になって……奇妙なほど静かだった。
そこには人間どころか、鼠の一匹すらも存在しないかのような静寂があった。
風が吹き抜けなければ、木々や青葉のざわつきすら聞き取れぬ静寂があった。
馬の息遣いと足音と、車の進む音だけがそれを侵している。
ここにはおそらく、誰もいない。
私を害そうとする者、どころか私を見る者もいない。
そんな、場であるなら…………
コアイはその森の中の静寂に……さみしさと、一種のやすらぎを感じていた。
コアイが感じるさみしさと、それに伴いながらそれに相反するやすらぎ……と言えばそれは、そこに居ない彼女への懸想なのであろう。
そして、一度それを想起してしまったら……他には馬くらいしか居ない静かな森の中で、それを抑えることなど……コアイに出来るはずもない。
アルグーンに入った頃までは、未だ見えぬ敵対者、その存在と危険性を意識していたことが箍となっていた。その頃は、コアイの意識は自然と彼女の身の安全を優先していた。しかし今では、それ等の危険な存在がまるで感じられない。
いや、それでも街の喧しさの中であったなら、それらに気が散り懸想を抑え込むこともできただろう。しかしこの森の静けさは、寄る辺のなさ、懸想で満たすべき空白の存在を強く意識させるばかりであった。
もうどうにも我慢がならない、早く、早く彼女に逢いたい……
そのように、コアイの心は定まってしまった。
こうなってしまっては、彼女の描かれた肖像画を眺めて自身を慰めようとしても……意味はない。それどころか、彼女についての欲求をさらに強めてしまうだけであろう。
目先の適当な木に寄せて馬を繋いでから、焦りを覚えながら辺りを見回して、木々の間……少し拓けた場所をさがして、そこへ…………
置き土産の小物をそっと地面に置いて、もう一度周囲に……邪魔者なきことを確かめて。
彼女の小物に目を引かれて、少し名残惜しくも……本人に逢えるのだからと思い直して。
コアイは右薬指の先を噛んで表皮に血を滲ませ、召喚陣を描けと命ずる。
指先から零れ落ちた血は静かに流れて召喚陣を象どった。コアイはそれを見て左手を高く掲げ、指先を召喚陣に向ける。
そして、
「mgthathunhuag Moo-la-la!!」
現在この世界で用いられている言語とは質の異なる、召喚の呪文を発声した。
赤い血の線で記された召喚陣が、光を強める。召喚陣は薄暗い森林の一角を優しく照らす夕焼けのように輝き…………
やがて召喚陣が、術者の熱と願いを受け容れて────
召喚陣の光が薄れるとともに、その中心に横たわる人影が一つ現れている。
背を向けて横たわる人影の後ろ姿は、いつも通り……コアイの長い半生でも彼女以外にはあまり見覚えのない、風変わりな服装。そしていつも通りの黒髪。
今日も差し障りなく、スノウを喚ぶことができたらしい。
コアイは人影に駆け寄り、向こう側へ回って彼女の寝顔を確かめる。
いつもより弛んで見える口元に少しだらしなさと親しみを感じて、笑みをこぼしながら彼女の身体を抱き上げた。
そして彼女の半身に付いた土を払ってやって、彼女を抱いたまま立ち上がって、ひとまず荷車に乗せようとして……何処に乗せるのかを考える必要に気付いた。
周囲が静かとはいえ万が一ということもあるから、目の届く場所に居てもらうべきだろう。
ただそれ以上に……眠っていても、いや眠っているからこそ、傍に居てほしい。
もの言わず眠っていても、傍にいてくれれば……存在を感じていられるから。
コアイは眠ったままの彼女を横に座らせ、馬を進める……
馬の息遣いと足音、車の進む音に……傍らから届く彼女の寝息と温度が加わっている。
それ等ふたつが加わっただけで、それまでコアイが感じていた寒々しさはすっかり一掃されていた。
コアイは心軽やかに馬を駆けさせる……
と、あるとき車の揺れたはずみでスノウの身体が反対側へ倒れ込んでしまった。
彼女が目覚めた様子も、痛がる様子も見られないことは幸いだったが。
ただ、コアイはその安心感よりも強く、彼女が離れたことに悲しさを感じていた。
上手く言い表せないが、彼女が無事で嬉しいはずなのに……とてもさみしくなったから。
だからもう一度彼女を抱き上げて、今度は片手を彼女の腕に絡めて。
コアイは彼女と腕を組みながら手綱を持つことで、身体が離れて倒れることのないようにした。
すると彼女から伝わる温もりが一段と強くなって、自身の胸まで熱を届けてくるように感じた……それを心地好く思いながら、邪魔者の居ない静かな林道を進んでいく。




