古いいらだちを棄て
「さっき飲んだ三種類の瓶詰め、ね」
「用意できるか?」
「運がいいね、今ならどれも新品出せるよ。ただ三本持ち帰りだと飲み食いの分とあわせて、けっこうな値になっちゃうけど……大丈夫かい?」
そうコアイに問う男は、指を一本立てた。
「構わない」
実のところコアイにはその意味が完全には分かっていないが、高価だという意味合いくらいは理解できた。
ただしコアイはそのことを、特に気にしていない。
値段は問題でない。
問題なのは、彼女が好んでくれるか……その一点だけだから。
後から出てきた、大きな魚の身を焼いたらしい料理……を食べていたため、先に出てきていた煮込み料理は既に冷めていた。コアイはそれを匙でつつきながら、酒の用意を待つ。
すると冷めた煮込み料理も、何故か……昨日別の店で食べた同名のものよりも、妙に面白く感じる。
具材は肉や菜のかたちが残っているようで食べ応えがあり、ソースには微かに生命のような匂いが口に広がるのを感じられる。更に食べ進めていると、それ等が何となく……彼女に喜んでもらえそうなものだと思えてくる。
他にも、奥に盛られていた薄黄色の塊が少し崩れてソースに浸かっているところをすくい取って食べてみると……上手く言葉には出来ないが、彼女が好みそうなものだと思えてくる。
やがて、給仕の男が酒瓶三本を抱えて戻ってきた。
ちょうど料理を食べ終えていたコアイは、金貨を一枚出してみる。
「ありがとう! そういえば、ポクーロー聖堂へは行ってみたかい?」
男はコアイから金貨を受け取りながら別の話題を振ってきた。
「ポクーロー……せいどう?」
コアイは聞き返した「聖堂」という言葉の響きに、あまり良くない印象を抱いていた。
「時間があるなら、見に行ってみたらどうだい? 正面から見ても塔が何本も並んでて格好いいし、何より内側の壁に飾ってある……描いてある? 女神様とか聖人とか、あと神話の時代の絵とかがきれいなんだ。ここに寄ってくれた旅人にもたいてい好評だよ」
「……そうなのか」
コアイは男の説明にあまり惹かれない、それどころか……
「女神」なる言葉に対して良くない印象どころか、はっきりと不快感を覚えている。
どこか懐かしく、そして疑いようのない拒否感。
ただ、コアイは……今はそれに触れたくないと思った。
だから、一先ずそれを無視するように努めてみる。
「ここからだと、中央の執政府をはさんで反対側の……少しこっち寄りにあるから、そんなに遠くもないよ」
「そうか」
コアイは男の案内を冷淡に聞き流して席を立つ。
コアイの短く突き放したような返答を聞いてか、男の眼差しが少しだけ弱っていた。
「またお越しくださいね! 酒と笑顔の『牛喰屋』をよろしく!!」
やや落胆してなお、それを僅かにも感じさせまいとするかのような、張りに満ちた男の声。
その声で奇妙な台詞を投げかけられながら、コアイは酒場を立ち去った。
コアイは一度宿に戻り、酒瓶を部屋に置いてから再度外出した。
昨日、宿の女主人に聞いた通り……大通りへ出てから街の中央へ向かって進み、石造りの壁に彫られた紋様が細やかなものに変わった辺りで……装飾品らしき絵を掲げた店が見つかった。
「いらっしゃいませ」
店へ踏み込んだコアイに、着飾った女が平静な様子で声をかけた。
「贈り物になる装飾、装具を探しにきた」
コアイは率直に用件を伝えてみる。
「贈りものですか、そうですね……ペンダントなどいかがでしょう。すぐに見本をお持ちしますね」
女は壁沿いの棚からいくつかの装飾品を持ち出し、布を敷いたトレイに乗せてコアイに見せてきた。
「当店では、領内で採れる玉緑石のペンダントを多数揃えています。この大きさの石を用いたものなら、一本でもかなりの存在感があるかと存じます」
確かに、女が見せているペンダントの石はどれもコアイの手で握りしめられるかどうかというほどの大きさで、それが輝きを放つ様は十分な美しさを有していると思えた。
「今回お持ちしたのが、この地方を代表する良質な玉緑石三種です。淡く透き通る美しさのダイオラス、緑鮮やかな発色を見せるディマナス、落ち着いた色合いが上品なウバロラス……一つだけ手に取ると同じような玉緑石に見えますが、並べてみるとその繊細な違いがお分かりになるかと」
コアイはそれ等に三者三様の美しさを感じていたが、実際のところこれ等を彼女が気に入るかどうかは……あまり自信が持てなかった。
しかしその懸念とは別に、コアイは何故か昨年の……ある時のことを思い出していた。
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「なれば、帰り支度をしようか」
「あ、その前に……」
彼女は何かを取り出し、それを持ちながら私の前髪に触れた。
私は頭に軽い重みを感じながら、スノウを眺める。彼女は少し退いた後、己の前髪に何かを触れさせながら言った。
「ふふっ、おそろい!」
彼女の前髪を見つめながら、己の前髪の重しに触れてみる。
私も彼女も、同じものを身に着けている。たとえ離れていても、どこかに私と同じ装飾を身に着けた彼女がいる。
そう意識すると、とてもあたたかい。
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あれは……二度目に彼女を喚んで、川で水浴びをして、それから……彼女を本来の世界へ帰そうとした、あの時。
別れる前に、彼女が着けてくれた小さな髪飾り……
お揃い、そう言って彼女は微笑んでいた。
長い間、存在を忘れてしまうほど自然に、
長い間、私の髪に着けられていた髪飾り。
お揃い、そう言って彼女は微笑んでいた。
お揃い、たとえ遠く離れ暮らしていても、
同じ物、互いをつなぐ物を着けていると、
ふたり、そう意識しながら過ごせたなら。
きっと、それはとてもあたたかいだろう。
そして、今……二人の「おそろい」は一つ。
それが、他にあれば……きっとあたたかい、
あれば、あるほどに……もっとあたたかい。




