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心には重い想いとて

 注文を聞いた給仕らしき男の笑顔が一層深く、柔らかくなった……コアイはそう感じた。


「よしきた、じゃあさっそく用意させてもらうよ」

 男はそう言って、料理の注文を取らずに去っていった。

 コアイはその不手際には気付かず、ただ酒が運ばれてくるのを待つことにする。


 酒を待っていると、近くのテーブルから話し声が聞こえてくる。



「そういや、例の緊急依頼の話……聞いたか?」

「例の……と言うと、詳細不明の討伐依頼、のことかい? あれ失敗したらしいね」

「ああ失敗……それどころか、依頼を受けた奴らが未だに誰も帰ってきてねえって話だぞ」

「えっ、一人も? それはさすがに……いや、なんか嫌な予感がしたから受けるの止めといたんだけど、どうやら正解だったみたいだね」

「標的は秘密だとか指示に従えとか……いろいろ条件付けてたからなのか、やたら報酬高かったんだよな。けどお前に乗って、断って助かったみたいだ」

「ま、僕も金に困ってたら参加してたと思うよ。お互い運がよかったらしい」

「ハハッ……改めて、俺たちの悪運に乾杯」

「おいおい、僕まで悪人扱いかい? まあいいか、乾杯!」



 コアイは男達の会話を聞き流し、ただ酒を待つ……



「お待ちどおさま!」

 やがて、給仕の男が戻ってきた。


「とりあえず、特にお客さんの評判がいい二種類を持ってきたよ」

 男は三つの器をコアイの前に差し出す。


「向かって左の器がコランデルとペトシル、右の器がモルスリンを使ったものだって話だよ。んで、横の大きいのは水だ」

 コアイには男が何を説明しているのか良く分からなかったが、差し当たり酒器を上から覗いてみる……すると左側の酒は少し緑を、右の酒は僅かに朱を帯びているように見えた。



 それにしても、どの酒場でも酒に水を添えるのは……何故なのだろうか。

 以前に西の酒場で飲んだ酒は、水と混ざることで白く濁ってみせるという興味深いものだった。故に水が用意されていたのだろう。

 ここの場合は……器の中味を見比べさせるためだろうか? と、コアイは想像してみる。



「あ、飲み方かい?」

 コアイが黙って酒を眺めているのを、飲み方を知らないためと捉えたのだろうか。給仕の男が説明を加えた。


「始めはそのままチビチビ飲むのがおすすめって聞くけど、まあ好きに飲むのが一番だよ。いきなり水で割ってもいい」


 コアイは男の勧めに従い、()ず左の器を手に取りゆっくりと口に含んでみた。

 香木のような甘く濃い香気を口中に感じたが、それは()ぐに弱々しく消えていった。それが消えた後の残り香が、とても爽やかで……



 何故か彼女の表情が、脳裏に浮かぶ。


 あの時、タラス城を攻めた日……

 エルフ達への助力を願う、彼女の困ったような表情と……潤んで揺れていた黒い瞳。

 それを目にして、揺れることなく彼女の願いを受け入れた己の心。


 そうだ、私は、彼女のために……


 どこか軽やかな、胸のすくような心地がする。



 気付くと酒は空になっており、給仕の男は居なくなっている。


 コアイは別の器に注がれている、朱を帯びた酒も口にしてみた。

 それは酒とは思えぬほどに甘酸っぱく、飲み込んだ後も微かな風味を残し続けようとしているかのように……浅い香気をじわりと拡げてくる。


 コアイは直感した、これは間違いなく……彼女が好むものだと。

 そしてそれと同時に、彼女の表情が脳裏に浮かぶ。



 あの時、彼女と出逢った日……

 何故かも分からないまま、じっと見つめていた彼女の寝顔と……後に丸々と開かれた澄んだ瞳。

 それを目にして、すっかり彼女に惹き寄せられていた己の視線。


 そうだ、私は、彼女に………………


 どこかあたたかな、胸の(うず)くような心地がする。




 酒を飲み干したコアイの口から、あたたかで爽やかで、心地好い吐息が漏れた。


「その様子だと、気に入ってくれたみたいだね」

 いつの間に戻ってきたのか、余韻を感じているコアイの横に給仕の男が控えていた。


「よい酒は飲む人の心を開き、あるいは気付かせるもの。飲む人の記憶を呼び起こし、辿らせ、あるいは築かせるもの……だと、聞いたことがあるよ。お兄さんにとってもよい酒だった……かな? それはそうと、次の一杯はどうする?」

 男は気分が良いのだろうか、つらつらと語りかけてくる。


「これの別種があるのなら、試してみたい。それと……料理を()れないか、貴様の勧めるもので良い」

「あ、そっか料理……すみません、すぐ用意します」

 コアイの指摘を受けて、給仕の男は少しだけ口調を慎ましくしながらそそくさと離れていった。



 コアイが酒と料理を待っていると、再び近くのテーブルから話し声が聞こえてきた。



「よっ、金持ちのくせに男二人とはしけてんなあ」

「あん? ああ、なんだボリスか」

「口の堅いお前さんたちと、飲みながら話したい気分になってな」

「口が堅い? 他に話し相手がいねえ鼻つまみモンだってだけだろ」

「へっ……緊急依頼の話は聞いてるか?」

「さっき、僕らもその話をしてたところだよ。誰も帰ってこないって?」

「そうそう、で、あの依頼持ってきたヤツな……噂では例の紋……」

「へえ……それは気づかなかった、けどやっぱり受けなくて正解だったということかな」

「だな、もしあの連中なら……あの連中が金で解決しようとするなんて、ロクな話じゃねえだろうし」



 コアイは男達の会話を聞き流し、ただ酒と料理を待つ……


「お待ちどおさま!」

 やがて、給仕の男が戻ってきた。

 男は料理が盛られているらしい深めの器と、酒が注がれているらしい器を手にしていて……それらをコアイの前に差し出した。

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