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思い浮かべ想われて

 騒がしさを引き連れて、酒の匂いが鼻先に届いてくる。


 どうやらこの辺りに数軒の酒場が固まり、賑わっているらしい。


 コアイはさしあたり、最も手前の酒場へ入ってみることにした。

 出入り口で足を止めて屋内を見渡すと、これまでに訪ねた酒場と比べて……壁や調度品の装飾が多く、またそれ等は均整がとれているように感じた。加えて、どうやら女の客が多いらしいと見える。

 そのまま辺りを眺め続けていると……客の女のうちの一人がコアイを見て、同卓している女達に何やらそそくさと話し掛けていた。


「いらっしゃいませ、おひとりでしょうか?」

 別の女がコアイに声を掛けてきた。コアイは静かに頷く。


「では奥の席へお着きください」

 案内に従い店の奥へ歩き出すと、コアイはふと複数の視線を感じた。



 先程目にした女達のほうから、熱い視線を思わせる何かが感じられる。


 ある者は、少し縮れた前髪を指でもてあそびながら。

 ある者は、口をキュッとすぼめて姿勢を正しながら。

 ある者は、軽く握った右手と前腕を胸に寄せながら。


 しかしそれ等はいずれも、コアイには何の意義もないことである。

 コアイはそれ等を意に介さず、カウンターの椅子に腰掛けた。



「こんにちは、ようこそ『魔術燈』へ。早速ですが、ご注文はいかがなさいますか?」

 コアイは応対したカウンターの奥の男を、妙に愛想が良いと感じた。


「この辺りに、名産の酒や料理はあるか」

「アクアフという酒がこの辺りでの定番です。癖が少ないので料理に合う、強めの酒ですよ」

 コアイの問いに、向かいの男は笑顔を絶やさず答える。


「もし強い酒がお嫌いなら、普通のワインもあります」

「その酒でいい、料理はどんなものがあるのか」



 経験上、酒の強弱とやらはコアイ自身にはなんら関係しない。

 それよりも、彼女……スノウのことを思い出してみても、彼女が酒の強弱を気にしていた記憶はない。

 で、あれば……そのような事柄を、コアイは気に留めない。



「料理は……最近この辺りではストローガという肉料理が流行っています、この機会にいかがですか?」

「分かった、()ずはそれを()れ」

コアイは先に聞いていた名物、クラースイのことは後回しにしようと考えた。



「では、お先にアクアフをどうぞ」

 コアイの前に大小の酒器が供された。


「大きい器は水です、お好みでお口直しにどうぞ」

 小さい側がアクアフなる酒らしい。コアイは早速飲んでみる。


 すると、水のように透き通った味気なさが口から喉を通っていった。



 ……これは、少し辛い水? ではないのか? それとも定番とはそういうものなのか?


 コアイは訝しみながら、器に半分ほど残った酒を一息に(あお)ってみる。

 するとやはり味気ない。


「これがアクアフとやらか?」

 コアイは思わず、男に(たず)ねていた。


「あ、はい左様ですが……」

 男の笑顔が少し固く見える。


「そうか……もう一杯()れないか」

「かしこまりました」

 疑問を解けなかったコアイは、この酒をもう一度試してみることにした。

 出された酒を今度は少しずつ、隣の水と交互に飲み比べてみる。

 するとやはり味気ない。これに比べたら、先に飲んだアルキなる酒には……口の中を洗われるような辛みの爽やかさと、鼻に抜けるような香りの清々しさがあった。



 水との違いがあまり分からない……これが定番となるほど人気なのか?

 いや、私にはどうも分からない……


 人間の彼女になら、これの良さが分かるのだろうか?


 だがもし彼女にも不評だとしたら、そんなものを飲ませるのは心苦しい。

 どうすべきか…………



 コアイが思い悩んでいると、深めの皿が供されていた。

 皿の中央に肉と菜らしきものが入り混じった具材が盛られ、その周辺を赤茶けたソースが囲っている。


「こちらがストローガでございます。お酒をお飲みですので、芋や穀は付けておりません」

「これはどのような料理なのか」

 コアイにとっては、出された料理は見覚えのないものであった。そこで一先(ひとま)ず説明を求めてみる。


「牛の肉を一度蒸してから、じっくり柔らかく煮込んだ料理でございます。元々は歯の弱いご老人のために考えられたものなのですが、肉の旨みや風味がよく出ていると広く評判になっております」


「そうなのか」

「長々と失礼いたしました、どうぞお召し上がりください」


 肉料理……確か、エルフは「臭い」と言って口にしたがらない料理。

 しかし今、目の前の皿はまるで臭みを放っていない。


 コアイは具材を(さじ)ですくい取り、口に入れてみる。

 すると悪くはない、彼女が喜びそうな味わいが……多少は感じられる。

 

 しかしそれは、彼女の笑顔を想起させるほどのものではなく。

 残っていた酒で肉の風味を流してみても、彼女の笑顔はなく。




「ところで、この辺りにはクラースイという名物があると聞いて来た。それを()れないか」

 料理を食べ終えたところで、コアイは名物クラースイの話題を切り出した。


「申し訳ありません、今年の分はもう無くなりました」

「そうなのか」

「春に獲れる高級なクラースイの一種も存在するのですが……あいにく当店では取り扱っておりません」

 男の笑顔が少し曇ったように見える。


「収獲量自体が少ない希少品で、ほとんどが漁師や産地近くの有力者に食べられてしまうのです。そのため、ここまではなかなか流通しません。私も食べてみたいのですが……余談でしたね、失礼」

 男の話を聞いて、コアイも希少なクラースイのことが少し気になった。しかし当面は、入手できそうなものを買い集めるべきだろうと考え直す。


「食事以外で、この辺りに名物はあるか」

「そうですね……商店街の一角に、この辺りの宝飾品や工芸品を集めた店があります。覗いてみてはいかがでしょう」

 男の笑顔はいつの間にか平静に戻っていた。


「奥方への贈り物なら、そちらが最適でしょう。ご多幸をお祈りします」

「ん……ああ」

 コアイは返事をしながら、少し顔が熱いのを感じていた。



 一度宿へ戻ろうと、銀貨四枚を支払って出口へ向かうと……何やら惜しむような様子で視線を向ける女達がいた。


 ある者は、コアイへ真っ直ぐに身体を向けて見据えている。

 ある者は、コアイに気取られぬためか流し目だけを向ける。


 しかしそれ等はいずれも、コアイには何の関係もないことである。

 コアイはそれ等に興味を示すことなく、店を出て行った。

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