蠢く者を討ち取って
荷車を牽く馬の上で揺られながら、コアイは周囲の様子を見ている。
小高い丘から川、橋へ向かって下っていくと……ところどころ、身を隠せそうな場所があることに気付いた。
遠目に見える対岸も、橋、川沿いから離れるほど高い……おそらく、似たような地形なのだろう。
昨日の襲撃者は、ミリアリアといったか……人間の神を奉ずる教会に属する、暗殺部隊という話だった。
統率の取れた動きをしていた、戦力となる人間達を揃えるのに大した時間はかからないだろう。
力の弱い組織ではないだろう、この辺りの地形を把握するのに大した時間はかからないだろう。
コアイはそんな考えを巡らせながら辺りを見渡し、ゆっくりと橋を渡った……
すると橋を越えてしばらくした辺りで、高台から反射した光が目に入った。
広野の物陰に隠れる、眩しいほどに光輝くもの……それは草木や獣、石といった……自然の産物ではなかろう。
このような場所での人為的な存在、それは。
「これぞ必……」
コアイは敵らしき存在へ『光波』を撃とうとして、ふと思いついて詠唱を止めた。
今は、敵の一部を攻撃するよりも、まず敵の矢を防ぎたい。
矢は、飛んでくるもの。即ち、空を舞うもの。
ならば、空を……先に制してしまえ。
「目標付近へ斉射二連、のち包囲陣を保ったまま接近! 目標はヘム橋から真北、約三十ペーデス!」
と、敵手もコアイの姿を捉えたか……昨日とはまるで異なる大声が響いた。
一時射撃を、射手の存在を知られる難点を承知の上で、目標地点の一帯を精密に、逃げ場なく矢で覆う。それも、毒矢で。
標的の死傷率、攻め手の損害、いずれの点でも最善に近いであろう必殺の形。
しかし、それは……相手が人智の及ぶ存在であれば、の話である。
「構え!!」
何処からともなく、大声の続きが聞こえた。
しかしコアイは、それを気にせず目を閉じ、風を想起し……詠唱をはじめた。
「幾百の弦よ、幾千の鏃よ」
「所を知り射てよ、果を知らず駆けよ」
「普く裂けよ、悉く穿てよ」
「射てぇッ!!」
叫び声に一拍遅れて、四方からコアイの荷車へ向けた矢が殺到する!
「『天箭』」
しかし、詠唱に応えてコアイの周囲に狂風と礫が巻き起こり……飛ぶ矢を逸らし、あるいは風刃が矢を折り叩き落とす。
後に放たれた二の矢も、先行した矢の嵐と同様に薙ぎ倒され、あるいは斬り伏せられていく。
それ等が、矢を放った者達に届いているかどうかは分からないが……暴風の中心たるコアイの傍には、何も届いていない。
「弓矢も効かないか!? ええい! 背教者を囲め!」
「奴に刃は通らんらしい、魔術士を前に出せ!」
『天箭』による暴風が収まった頃、少し慌てたような叫び声が聞こえた。どうやら襲撃者達のいた場所までは、暴風も石弾も届いていなかったらしい。
襲撃者達は何故か、コアイの名を呼ばない。
コアイの名すら知らぬ訳ではないだろう……であれば、こうまで執拗に、危険を冒してまで命を狙う必要はないはず。
おそらく、知っているか否かとは別の、何らかの理由があるのだろう。それはコアイに一切関係のないことではあるが。
「私に何用だ」
コアイは己を囲む人間達へ事もなげに問いかけた。
まるで、彼等がコアイの命を狙っていることを知らぬかのように。
まるで、自身に向けて放たれた矢など存在しなかったかのように。
現実に……コアイの周囲には、鏃の一つとして落ちてはいない。
しかし、襲撃者の大半も……その事実を見やってもいないようであった。
「背教者……背教者は、殺す!」
コアイの右手から声が聞こえた、その方向へ目を向けると……人間達は誰しも、顔を赤くしてコアイを睨んでいた。
「殺ス……コロス……」
コアイの左手からも声が聞こえた、その声の主達は……どこか虚ろな目でコアイだけを見据えていた。
何れも、平静な様子には見えない…………
コアイはそれ等を見て、何故か不快に感じた。その理由にはまるで見当もつかないが、何故か……あの声に良く似た不快さをコアイの心中にもたらしていた。
あの天から響く女の声から感じていた……存在すら許したくないと思える、どうしようもない嫌悪感。
この者達は、あれに似ている。
「魔術だ、何でもいい! 全力で撃て! 背教者を裁け!」
「風よ我が刃よ、『突風剣』!」
「我が内なる熱よ、彼のものを焼き付けよ、『火球導法』!」
「空に揺蕩う正道の光に願う、闇を清め聖導し給え! 『白光貫術』!」
指揮の声に従ってか、コアイの四方から様々な詠唱が聞こえてきた。
それに伴って、襲撃者達から魔力の膨れを感じることができたが……それ等はどれも、コアイが興味を持てるほど、気に留めるほど強い魔術、魔力ではなかった。
コアイは己に向かって放たれた多様な魔術を受け止め、微かに浮かんだ失望と煩わしさを振り払いながら再度詠唱する…………
「幾百の弦よ、幾千の鏃よ」
「所を知り射てよ、果を知らず駆けよ」
「普く裂けよ、悉く穿てよ」
「『天箭』」
広野に響いていた音、そのうち川の流れと風の流れを除いた……あらゆる音が止んでいた。
そこに、コアイとコアイを乗せた馬以外の命はもう残っていない。
コアイは指を齧り、開いた傷から血縄を取り出す。そして馬の歩む先で転がる、進路の邪魔になる死体だけを血縄で退けながら北上していった。
そして進路を妨げる死体が前方に見られなくなったころ、目的地アルグーンへの道筋を確認しようと地図を広げた。




