迎え斬りてたずねて
客室の窓から届く、ボソボソと誰かが呟くような音の重なり…………
が、止んだ。
それに代わって、妙な臭いが風に乗って届いてくる。
それは香木だろうか香草だろうか、どうにも珍奇で……それでいてどこか草木を思わせる類いの臭い。
しばらくして、それが再びボソボソと呟くような音を伴いだした。
コアイはベッドに腰掛けたまま、視線を窓に集中させて待ってみる。
するとやがて、微かな魔力の揺らぎが生まれた…………
と、突然部屋の中が明るく照らされ、それに少し遅れて囁くような声が聞こえた!
「背教者! 背教者を討て!!」
「神よ! お力を! お力を!!」
部屋中が灯りに照らされたことで、数名が窓から侵入してきたのがはっきり見える。そのうちの一部は囁き声をこぼしながら、その他は固く口を閉じてコアイへ向かってきた!
「背教者め……主の刃、その身で神妙に受け止めよ!」
言葉の強さに不似合いな小声。
侵入者達は少し距離を取ってコアイを囲み、手にした短刀を向けている。
……理由は知らぬが、寝込みを襲ったつもりなのだろうか。わざわざ、御苦労なことだ。
コアイは呆れ半分、感心半分といった心地で侵入者達の様子を見ていた。
侵入者達の魔力が高まる気配はない。
「私に何の用だ」
コアイは訊ねてみる。
「……余裕のつもりか?」
「ふ……我らは、主への信心深き騎士たちを殺めし……背教者を裁きに来た」
「神に代わり、裁きを……」
コアイは彼等の小さな返答を聞いたが、その目的はどうにも分からない。
主……神…………
ただ、聞き取れたこれらの言葉から……コアイは以前に感じた根源的な不快感、拒絶感を少し思い出す。
あの風変わりな人間の男を倒して以来、すっかり聞かなくなった……不愉快極まりない女の声。
コアイがそんなことを思い出していると、短い掛け声が聞こえた。
「否、問答は無用。やれっ!」
掛け声から間を置かず、前列にいた侵入者達が同時にコアイへ飛び掛かってくる!
侵入者達は真っ直ぐに短刀を突き出して、コアイを刺し、あるいは切り付けようと……して、当然のようにその切っ先を逸らされた。
「なっ!? 捌かれた?」
「いや、触れた感覚は……」
「ならば」
動揺する前列の者達、その奥から詠唱が聞こえる。
「風よ我が刃よ、『突風剣』!」
魔力に象られた小さな風刃が、人影を縫うようにしてコアイへ向かってくる。
しかしそれはコアイに届く程の力を持っていない。風刃も、それに呼応し一拍遅れで突き出された短刀も……コアイに肉薄することすら無い。
「くっ、効かぬのか!?」
「おい何やってる、痕跡を残すなよ!」
侵入者達全体に動揺が広がっているらしい、そのとき室内を照らす光が明滅した。
「むっ……皆、退くぞ!」
「チッ……」
侵入者達は光の合図を皮切りに、一人ずつ窓から逃げていく。
それは驚くほど整然とした、僅かな不手際すら感じさせない鮮やかな動きだった。
コアイは彼等の動きに感心しつつ、最後に逃げる一人へ狙いを定めようと残りの数人に意識を向けた。
そしてその外見と、魔力の質を記憶する。追撃のために。
コアイが準備万端、待ち構えるなか……続々と逃げゆく侵入者達の、最後の一人が窓に足を掛けた。
それを見てコアイは立ち上がり、侵入者を追いかけようとした矢先……灯りが消えた!
突然の暗転に、コアイの視力が奪われる。
しかしコアイは、間取りの記憶と魔力を頼りに窓辺へと取り付いた。
そして窓の外に感じる魔力の一つを狙い、詠唱する。
「風よ牙よ届け、『疾風剣』」
先に侵入者のひとりが放ったそれとは比較にもならぬ、強固で鋭利な風刃が屋外を駆ける。
風刃を飛ばしたコアイは窓の外、風刃の行き先ではなく月明かりの届かない屋内に目を向けることで暗闇に目を慣らす。
少しの間そうしていると……やがて外から小さく悲鳴が聞こえた。コアイは窓から身を乗り出して悲鳴の元へと歩み寄った。
コアイが放った風刃に切り刻まれたらしい人影が一つ、血を流し倒れている。
近付いて様子を確かめると……人間の男らしき人影は既に事切れているらしかった。
先を行く者達は悲鳴に気付かなかったのか、それとも見捨てて逃げたのか……それはコアイには知る由もないが。
人影を見下ろしていたコアイは、ふと地面からの淡い光の反射を感じた。光の見えた辺りに目をこらすと……うつ伏せに倒れた人影の左手の下、鞘に納められた短刀が落ちていた。
先程使われていたものだろうか、と考えたコアイはそれだけを手にして部屋へ戻ることにした。
「どうかなさいましたか、ネズミでも出ましたかな」
部屋に入ると、宿の主がいた。
コアイは手に入れた短刀について、主に訊ねてみることにした。
「これを知っているか?」
コアイは主に短刀を鞘ごと手渡す。
主は短刀を受け取り、あちこち眺めてから……口を開いた。
「失礼、それは私の口からは言えませんなあ……」
主はそう言いながら机に向かい、そこからコアイへ手招きしていた。
コアイがそこに近付いてみると、主は羽ペンと紙を取り何やら書き出した。
主の手先に目をやると、そこには
【まず、私が教えたということは、どうかご内密に……】
と、書かれていて……そこで主の手は止まっていた。
主の手から腕、身体のほうへ目を移すと、主はじっとコアイを見据えていた。
コアイは主の顔を見ながら、うなずいて見せる。
すると主の手が再び文字を記し始めた。
【この短刀の柄に彫られた紋は、ミリアリア教会の汚れ役を担う、暗殺部隊の徽章と言われているものです。彼らは何らかの方法で短刀に強力な毒を仕込んでいます、取り扱いにはご注意を】
主は手を止めていた、コアイは主の手から羽ペンを取って続けて書き込む。
【何故知っているのか、何故教えてくれるのか】
主はすかさず羽ペンを取って、コアイの書き込みに文字を連ねた。
【昔の話ですが、私も彼らには苦い思い出があるのです。敵の敵は味方、ということでご納得いただければ】
「それはそうと、もう夜も遅いですから、どうぞ今日はお休みください」
主は一言声に出してから、部屋から去っていった。
コアイは改めて、ベッドに寝転がって考える。
面倒だ……
面倒だが、一度こちらから動いてみるか。
まずはこの街から離れてみよう。そうすることで、酒場の戦士達、あるいは教会の者共……どちらか一方くらいは広野へ誘い出せるかもしれない。
と考えるが、それも少し面倒な気がしてしまう。
けれど、私は……彼女にあの料理を食べさせてみたい。彼女と一緒に、あの料理を食べたい。そのためになら。
彼女を笑わせられるなら。
彼女を楽しませられるなら。
彼女を喜ばせるためになら……
そのためになら、私はどんなことでもやり遂げたい。




