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ころがしてうかべて

 コアイはとりあえず、供された匙で器の中身に触れてみる。

 匙を入れた感触からすると、どうやらあまり固いものではないらしい。


「見た目を嫌がる人もいるがな、まあがんばって食ってみてくれよ。なんなら、目をつぶって口に入れちまうといい」

 店主にそう言われて、コアイはむしろ外観をよく見てみようと考えた。


 中身をすくい上げてみると、匙からあふれた赤い粒が器に戻っていく。それ等の多くは一粒ずつこぼれていったが、一部には数粒の塊のまま落ちていくものもあった。


 一つ一つの形は、人間や獣の目玉に似ているようでもあるが……あれとは色も大きさも違う。

 そして、あの時の魚には……こんな赤い球は付いていなかった。

 魚から取れるものだと言っていたが、これは一体なんだろうか?



「ははっ、そんなにまじまじと見てくれると何だかうれしいね。ひと口食べてみたところで、説明するとしようか」


 コアイは匙で球体を口へ運んでみる。すると口の中で、張りを感じさせる球が転がって……はじけた。


 噛んだ部分から液体が勢い良く飛び出て、その臭いが口に拡がっていく感覚。

 昔……()のままの肉、命に喰らいついたときのような。



「こいつは、オンコウラって魚の……(はらわた)の一部を取り出して、塩漬けにしたものさ」


 少し懐かしく、されど今ではあまり身近でもない感覚。

 それは兎も角として、その味は何となく……スノウが好みそうなものだ、と直感した。

 彼女が美味しいと喜んでいた時の焼魚に味が似ているような、そんな気がしたのだ。



「旨みと臭いが口に残ってるな? そこで、クイッとアルキを飲んで洗い流すんだ。やってみな、気持ちいいぞ」


 コアイは酒器に残っていた酒を(あお)ってみる。すると口の中で、少し辛い水ですすがれたような爽やかさを感じていた。


「な? さっぱりしたろ? これでまた食って、飲んで、食って……と気持ちよくくり返せる。西や南のワインじゃこうはいかねえ」


 コアイは勧めに従い、もう一度赤い球体を食べてみる。

 今度も少し懐かしさを感じながら、隣で同じ味を楽しむ彼女を想像していた。


 この、繰り返し……彼女は気に入るだろうか。




 料理を味わっていたコアイの耳に、ふと店主とは別の声が聞こえた。


「おーい、切り出してきたぞ〜」

「お、ありがとよご隠居。ついでと言っちゃなんだが、この兄ちゃんにタラーの説明してやってくれよ」

 店主が老人から氷? 雪? の塊を受け取っている。


「ふむ、タラーとは……魚の氷漬け、東のギレミから伝わった魚の調理法じゃ」

 老人が語り始めた。


「冬に魚を獲り、それを東の山で集めた雪で押し固めて凍らせる。で、魚がカチカチに凍ったらできあがりじゃ。あとは食べる前に魚を取り出して、身を薄く削いですぐ食べるか、少し待って溶け出したところを食べるのがタラーじゃ」


 コアイは静かに説明を聞いていたが……魚を雪で押し固める、という説明がピンと来ない。

 というのも、魚を押し固められるほど大量の雪がある、雪を集められる場所があるということを想像できなかった。


 それは、たまたま過去のコアイが冬のエミール近郊を訪れていなかったことと、過去の時代は現在よりもう少し温暖だったことが主な原因である。

 が、それは今のコアイにとってどうでも良い。


「凍らせた後で焼いたり煮炊きしたりしたら、それはタラーとは呼ばぬそうじゃ」

「あ、話し中すまねぇ。まずは三切れ削りだしたぜ」

 コアイの前に一皿が出された。そこには赤みを帯びた肉片らしき一口大の塊が三つと、ひとつまみの塩が盛られていた。

 その肉片の赤みは、先程の球体に少し似ている。


「どの魚を凍らせても良いらしいが、一番美味いのはクラースイを採れない小ぶりなオンコウラをタラーにしたもの……だと言われておる。そしてその色が、まさに美味いオンコウラの身の色じゃ」

 コアイは肉片をじっと見つめてみる。すると少しずつ肉片が形を変え、そこから汁が滲み出てきた。


「よう凍っとるのう……この辺りの魚は一度凍らせると、焼かずとも腹を下さぬようになるらしいのじゃ。凍らせておけば、塩漬けにせずとも腐りにくくなるという効果もある」

 コアイの心にはもはや、老人の話が届かなくなっていた。コアイは肉片の一つを見つめたまま、別の肉片を口へ放り込んだ。


「元々は、食料を集めにくい冬に食べるものだったそうじゃよ」



 夏だというのに、それはとてもひんやりとしている。

 例えるなら、真冬の風をしんしんと受けた剣身に触れたときのように。


 しばらくそれを感じていると、少し甘い汁が口に流れてきた。


 ……それは、彼女の笑顔を想起させていた。



 コアイは実のところ、タラーなる肉片の味よりも強く……自身の脳裏に浮かぶ彼女の笑顔に、気を取られていた。



「ご隠居、いつもの……ギレミの話はしなくていいのか?」

「豊かなひげ、小ぶりだがたくましい身体、ゴツゴツとした手足を持ったギレミたち……東の山でも彼らの姿を見なくなって久しい、もはや語る意義があるかどうか」

 肉片を飲み込んだコアイは、次の一片に意識を向ける。


「おや、ご隠居ともあろう方が珍しい。どういう風の吹き回しだい?」

「わしが若い頃の話だが、エルデーネの修道士たちが東夷……東の山を越えた先の、更に東の地……から引き上げてきたのも、彼らに会うことがなくなったからだという話じゃった。もう東の山にも、その先にも彼らは住んでおらんのだろう」


 長々と話し続ける老人達を放って、コアイは次の一切れを口に入れてみた。


 今度は、先程のような冷たさを感じなかった。

 しかしその分だろうか、肉片が先程よりもずいぶん甘く感じられた。


 そしてそれは、きっと彼女が喜んでくれるものだと…………




「ふぅん……それならそれで、その、エルデネ? の坊さんたちはなんで東の地を開拓しようとしなかったんだろな」

「それはおそらく、修道士たちの目的が開拓ではなかったからではなかろうかな。彼らはあくまで、彼の地へミリアリアの教えを伝えるために……」



「……済まないが」

 コアイは老人達の話を遮った。


「ん? ああ、すまねえ兄ちゃん、おかわりか?」

 店主の視線はコアイの前の食器、あるいは酒器へと向いているらしい。


「これ等を持ち帰ることはできるか?」

「持ち帰り? う〜ん、夏だしなあ……クラースイなら外でも二日は持つと思う、今晩宿でつまむくらいならまったく問題ないぜ」

「二日……」

 答えを聞いたコアイは落胆した。二日では、居城まで帰れない。


「だがタラーはちょっと無理だ。夏場に溶かして放っておくと遅くても次の朝までには臭くなってて、とても食えたもんじゃねえぞ」

 コアイはさらに落胆した。宿へ持ち帰ることも難しいとは。



 ここでなければ、彼女にこれ等を食べさせられない。

 しかしこの街は、果たして彼女を()べるほど……安全だろうか?


 悩ましい。彼女には喜んでほしい、けれど彼女を危険に晒すようなことはしたくない。

 それは、避けなければならない。



 コアイは何時の間にか注ぎ足されていた酒を飲み干して、それでもなお悩んでいた。

 そして再び注ぎ足された酒を飲み干して、また悩んでいた。

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