うつろいを感受して
「なんだって!? まさか、奴が来てるのか!?」
怒声に遅れて、戸惑ったような声が聞こえた。
「見てみろよ、あの小ぎれいなすまし顔!」
「間違いないです! あんな冷たくてあやしげな美形、忘れるはずありません!!」
「そうか、俺は顔まで見てねえから分からなかったが……お前らがそう言うなら!」
コアイは騒ぎ声を無視して、店主らしき男の近くに着席しようとする。
「おい兄さんいいのかい? こっち来てるぜ」
店主らしき男の言う通り、コアイの許へ三人の男が歩み寄ってきた。振り返ってそれ等を見ると、三人はいずれも戦士、あるいは兵士といった風体をしている。
敵意を剥き出しにして近付いてくる者達。しかし彼等の、いずれからも……特に目立った力は感じられなかった。
コアイは彼等を見やるのをやめて、正面に向き直した……
「おいアンタ、ずいぶんつれない様子だが……ツラ貸してくれよ」
「……何用だ」
コアイは声に向き直すことすら面倒に感じて、身体を動かすことなく応えた。
……当のコアイにしてみれば、言葉を返すだけでも億劫であった。
「なんだ、ずいぶんスカしてやが」
「プレスター団……知らんとは言わせねぇぞ!!」
別の声が、最初に声をかけてきた男の少しおどけた言葉を遮った。
プレスター団……?
何処かで聞いたような名……とコアイは思ったが、それ以上のことを思い出す時間は与えられなかった。
「父の仇! 表へ出ろ!!」
最も年少なのだろうか、今にも襲いかからんばかりに目を剥いている若い男が声を張る。
「仇? それは、私を殺したいということか?」
「……アンタら、もめ事なら外でやってくれよ」
コアイは面倒に思いながら立ち上がり、男達を押し退けて店の外へ向かった。
「なっ!? テメェ、待てよ!!」
「ケンさん、追いましょう! やってやる、やってやるぞッ!!」
酒場の出入り口から少し離れた辻で、コアイは三人の男に囲まれている。
「ゲイロードの子ハビット、父の仇であるお前に決闘を申し込むッ!」
コアイに正対している若い男が、高らかに宣言しながら剣を抜いた。
剣を抜いた男を含め、周囲の人間達からは魔力を感じられない。コアイにとっては魔力を伴わない剣など、どれ程速く、鋭く、優れていても……
「仇よ、我が剣を受けよ!!」
若い男が力強く踏み込んできた。男は横薙ぎ、次いで袈裟がけと荒々しい剣筋を見せる。
しかしそれ等はけしてコアイに触れることのない、虚ろな刃である。
「って、待てよ立会いの口上がまだだぞ」
「別にいいんじゃねぇの、俺たち正騎士じゃねぇし」
「ま、それもそうか……そんならよ、いっそ俺たちも」
斜め後ろから聞こえた男達の言葉の後に、剣身が鞘の内を擦る音がして……
されどそれ等がもたらした追加の剣撃も、コアイの皮膚に触れることはなく。
「な、なんだよ、この技!?」
「見えない何かに剣をいなされてるようだ、これもこいつの魔術か!」
「俺と父さんの剣が、届かない……なんで…………」
「よく分かんねぇけど気持ち悪ぃ!」
何度も何度も剣を空振った男達が足を止めてわめいているのを、コアイはただ面倒に感じていた。
……何の楽しみも感じさせてくれない、つまらない者達。
取るに足らぬ雑兵が騒ぎ立てているだけの、退屈な場。
敵手と見なせる程の力も持っていない、味気ない者達。
ただの、邪魔者……
そう感じていながら、コアイには彼等を攻め……積極的に排除しようという心の働きが起こらなかった。
闘うこと、敵を討つこと、他者と争うこと…………
それ等によって感じられたはずの喜悦、高揚、充足、熱情……
溌剌、胸を押し拡げていくような活力…………
それ等が湧き起こらない、それ等をまるで感じていない自分がいた。
ただただ、目の前の弱い敵達を邪魔くさいと思っていた。
比類なき強敵……甦った「魔獣の王」との濃密な闘いを経たために、弱者との争いを楽しめなくなったのか。それとも、他者との闘争そのものに喜びを感じられなくなりつつあるのか……
今のコアイには、あまり解らない。
ただ、そのことについて考えてみたとき……コアイの胸中に浮かんだものは、何故か……いつもスノウが感じさせてくれるぬくもりだった。
「……用は済んだか」
コアイは誰に語りかけるでもなく、小さく吐き捨てた。
「ハァ、ハァ……なんで、なんでっ……」
「クっ、クソッ……」
「触れることもできんとは」
何度も何度も斬撃を試みていた男達は肩を落とし、あるいは膝を落とし、背を丸めて視線を落としている。
「諦めて立ち去れ、私の気が変わらないうちに」
コアイは男達が誰も攻めてこなくなったのを見て、退くよう促した。
男達から返答はなく、特に目立った動きもない。
コアイは改めて、酒場へ入ろうと踵を返す。
男達とは別の何人かがコアイを遠巻きに見ていたようだが、それは気にせずに酒場へ戻っていく。
「いらっしゃい……ああアンタか、大丈夫だったかい?」
コアイは特に答えず、先ほど着こうとしていた席に向かう。
「まあ大丈夫そうだな、何にする?」
「クラースイ、タラー……という料理が美味いと聞いた。それ等を食べたい」
コアイは宿で聞いたままに注文する。
「ああ、タラーか……ちょっと待ってくれよ」
注文を聞いて、店主は何故か店の奥へ引っ込んだ。
「ご隠居ぉ、タラー準備できるか〜?」
店主はなにやら大声を上げて、のち回答を得たらしい。
「大丈夫だそうだ。ただ少し時間がかかるから、クラースイを食べながら気長に待っててくれ。ところで飲み物はどうする?」
戻ってきた店主は飲み物を勧めてきた。
飲み物ならば、スノウのために酒を試してみるべきだろうとコアイは考えた。
「この辺りの酒が欲しい」
「ここらではアルキって酒を飲んでるよ」
「ならばそれを呉れ」
「そうだな……アンタここらは不案内なようだし、始めは「草」にしとこうか」
店主の話によると……アルキという酒には「草」と「白」の二種類があり、「白」は少し癖があり好みが分かれるとのことだった。
コアイは「ちびちびと、ゆっくり飲め」との勧め通りに、「草」のアルキを少しずつ飲んで料理を待った。
酒を口にすると、ピリッとした刺激を鼻と舌に感じた。ただそれだけだった。
彼女は、これを気に入るだろうか……と悩みながら何度か酒を口に運んでいると、深めの器と大きめの匙がコアイの前に差し出された。
器の中を覗いてみると、そこには瑞々しい赤く丸い粒がみっちりと集っている。
「これは……?」
コアイはふと疑問を抱き、呟いていた。
「これがクラースイだよ」
「魚の料理だと聞いているが」
「魚? ……まあ、魚から採れるから……魚料理だな」




