人の街にたちよって
少しずつ、林道がガタガタと荒れ始める。
少しずつ、林道の左右で伸びる木々が細長くなる。
それ等はつまり、大森林の北端へと近付いていること……旧アルマリック領と旧エミール領の国境が近いことを意味している。
エミールは、概ね冷涼で乾燥した地域である。
但し夏とその前後には、ときおり急な大雨や嵐がやって来る。また冬には、しんしんと雪が降り積もる。
夏には大雨、冬には降雪が、エミール一帯を潤す水をもたらす…………
コアイは、荷車の車輪から伝わる振動で目を覚ました。
すると、馬が軽く駆けながら何かを気にしているような仕草を見せている。それに気付いたコアイは車上から馬の足元を覗きこんだ。
結果コアイが見た限りでは馬の足元に外傷は見当たらず、また歩様のぎこちなさ、不自然さといったものも特に感じられなかった。
異状は無さそうだ、と馬を見るのをやめた辺りで……車がガタンと大きく揺れた。
辺りに他者の気配は感じない。コアイは左右を見渡した後に振り返ってみると、地面に残る轍の一ヶ所を石が分断していた。どうやら、荷車の片輪がその握り拳ほどの石に乗り上げたらしい。
騒々しい……が、私一人なら問題はない。良かった。
コアイは小さな溜息を一つ吐いた。
コアイは知らないことだが、旧アルマリック領と旧エミール領・タブリス領との国境の道は以前よりも少し荒れている。
というのも過去においては、隣り合う各領の警備兵や領主、代官の委託を受けた者……在野の冒険者などがエルフ達の監視のため、また有事の際に進軍しやすくするために定期的に国境に近い道を整備していた。
しかし今や領内の人間達にはそんな目的もなければ、危険を冒してまで許可無く大森林に入る理由もなかった。
今では、国境……大森林を行き来するのは大半がヤーリット商会、即ちソディの下で商う者達の馬車と、その商売相手として認められた者達の馬車である。
それ等を除くと、他には稀にコアイのような旅人が出入りする程度である。
車の揺れを感じながら荒れた道を進んでいくと、やがて森を抜けた…………
コアイは地図を確かめてみる。
地図に示された推奨の道順で大森林を北へ抜けた場合、そのまま直進すれば日没前後、やや右手にデルスーという城市が見つかる……らしい。
泊まり、あるいは通過した村の名前を聞いていなかったので、推奨の道を通ってきたという確信はないが……そこが国境から最も近い城市ということもあり、まずはそこを目指して直進してみることにした。
草原では時折馬が足を止めて草を食む。
荒地では時折馬を御し岩を避けて進む。
そして日没の頃、右手に城壁らしき建造物が見えた。あれがデルスーだろうか、コアイは立ち寄って確かめることにした。
建造物へと馬を進め、それが城市と分かる辺りまで近付くと視界の左右で杭や柵がまばらに並んでいた。畑を囲っているものだろうか。
更に進み、コアイは開かれた城門の前で馬を止めた。荷車に乗ったまま城門を見上げると、意匠を凝らした看板らしきものが門の上に掲げてあった。その文字を目で追うと、どうやら「デルスー・ウザル」と書かれているらしい。
「珍しいだろう?」
人間の男が一人近寄ってきて、声をかけてきた。
「ありゃ扁額って言って、この辺りでは昔からああやって門の上に名前を掲げるモンなんだそうだ」
男はどうやら城門の看板について説明しているらしい。
「デルスーはこの町の名前だ。ウザルってのはなんでも、昔……まあそんな話はいいか、兄ちゃんの町にはこんなもんなかったろ?」
「……見たことはない」
……兄ちゃん、か。
人間の、村のエルフ達とは違う態度。
思った通り、ここなら彼女を喚べるかもしれない…………
「この町の宿を知っていたら、案内してほしい」
コアイがそう口にした時、鐘の音が二度鳴った。
「お、閉門の時間か。ちょうどいいとこだったな、兄ちゃん。門が閉まるから、とりあえず先に入ってくれ」
「分かった」
コアイが荷車を門の内へ進めると、男が数人現れ閉門の作業を始めた。
「宿は、馬を預けられるとこでいいよな?」
「……ああ」
コアイは男に連れられ、宿へ向かった。
男に案内された宿は、清掃の行き届いている小ぎれいな建物のように見えた。
「兄貴、客呼んできたぞー」
「いらっしゃ……ああ、なんだレフか」
「なんだじゃねーだろ兄貴、客っつってんだろあとは任せたぜ」
コアイを案内した男は人を呼び、そのまま去っていった。
「ああ、ようこそいらっしゃいました。何日お泊りのご予定ですか?」
「特に決めていない」
「ではとりあえず一泊、以後は当日の昼までにお決めください。今日は夕食のご用意はできませんが、明日以降ならお食事もご用意いたします」
宿の主らしき男は流暢な早口で説明してくる。
「馬と荷車を預かってほしい、それと」
「かしこまりました、ところでお部屋はお一人で?」
「ああ、そのつもりだ、それと」
「はい、馬は家の厩で、荷車は裏で預かります」
「……分かった、それと」
「それと?」
早口の男は、三度めでようやくコアイの言葉尻に耳を傾けたらしい。
「この街で、名物を食べられる店を教えてほしい」
コアイは金貨を荷車から降ろし、宿代を払ってから早口の男に聞いた酒場へ向かう。
男の話では、「クラースイ」と「タラー」という魚を用いた料理がこの辺りの名物ということだった。
コアイは、魚というものを食べた経験は少ない。しかし最近、コアイはスノウと共に川で魚を獲って食べた。
その時コアイには味の良し悪しがあまり分からなかったが、少なくともスノウが食べられる、好んで食べる食材だと理解している。
一先ず、酒場でそれを試してみよう……持ち帰れそうなら、土産にできる。
……ん、いや、もしここが安全な場所なら……彼女を連れていくのも良いかもしれない……
……手を取りあって、のんびりと歩きながら…………
ふとした思い付きに浮かれて心を踊らせながら、コアイは教えられた酒場へ辿り着いた。
「いらっしゃい。一人か、好きなとこに座りな」
店に入ったコアイを迎える声に従い、コアイは店内を歩く……
しかし。
「お、お前は!? まさか!?」
「あ、あ……父の、こんな、父の仇!?」
複数の怒声がコアイの耳に入った。




