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心と灯と酒とこころと

「何とかして食べちゃいたいな、コレ」

 スノウは皿に乗せた大魚の焼き身を少しずつ口にしている。


「旨くないのに、無理して食べる必要があるのか?」

「まあ残すのはちょっとイヤかなって」

 コアイは彼女に尋ねてみたが、その返答を聞いても何故食べ続けようとしているのかは分からない。


「……そういうものなのか」

 負い目もあってか、コアイは素直に疑問を引っこめた。

 

「せっかく捕まえてもらったんだしね……あ、そうだ味変でなんとかなるかも」

「あじへん?」

「塩以外になんかない? 砂糖とかしょうゆとか」


 コアイは彼女の求めに従い……いや、それを満たせるかどうかは分からなかったが、とりあえず塩のほかの調味料を用意してみる。



「今ここにある調味料はこれだけのはずだ」

 コアイは荷車から塩の壺が入っていたかごを持ち出して、全て彼女に委ねてみる。


「けっこう種類あるね、とりま全部ためしてみよっか……あ、その前におかわりちょうだい」


 二人は小さな壺に分けられた様々な調味料を物色する……中にはアクドが苦労して入手した貴重な甘味や香料も含まれている。

 だが、それらの希少性など知らない二人は何を惜しむこともなくそれらを使い切ってしまう。


「お、砂糖かな? こっちは……よくわかんないけど何かのハーブかな」

「う~ん……こっちの種? はなんかくさいからスルー」


「このタレ、しょうゆとも何か違う……ビミョーだなあ」

「あっコレ甘酸っぱくておいしい! 王サマもなめてみてよ」


「これはまだ開けてないようだな」

「あっうん、ってちょくっさ!? フタ閉めてはやくはやく!」


 二人は和気あいあいと多様な調味料を試しながら、酒を酌み交わした。



 やはりコアイには、それらの良し悪しはあまり分からない。

 されど、それはコアイにとってはさして重要なことでもない。


 スノウが楽しそうに調味料を使い、嬉しそうに魚と酒を味わっている……

 コアイにとっては、それで良いのだから。




「あぁ~飲んだ、きょおも飲んだにぇ~~」

 気付かぬうちに随分長く楽しんでいたらしい、陽がすっかり西に傾いていた。

 夕焼けの陽の色が、彼女の顔色を誤魔化すかのように赤く射し込む。


「ちょっと飲みすぎらがも〜……」

 彼女のゆるんだ顔つきは、コアイの意識を柔らかく引っぱろうとする。

 しかし、酒に浸るその顔はコアイを引き付けたまま……だらしなく机に伏せられてしまう。


「んふー……」

「横になって少し休むといい、支度をしてくる」

 コアイは一人で笑みをこぼしながら立ち上がった。


 コアイは荷車から不要なものを下ろしてその一角を空け、そこに毛布を敷き重ねていく。

 雨さえ降らなければこれで十分、意外なほど心地良く寝られるとアクドから聞いている。明日くらいまでなら雨は降らないだろう、とも。


 仮の寝具を整えたコアイがスノウの許へ戻ると、彼女は先程と同じ姿勢のまま寝息を立てていた。

 彼女を起こさないように、その華奢な身体を優しく抱き上げた。

 そして荷車まで運び、その一角に寝かせる。彼女の紅く染まった、可憐な寝顔を見つめながら。


 コアイはそのまま、日が落ちるのを待つことにした。

 彼女を起こさないように、その華奢な身体に寄り添うように寝転がった。

 そして自身の近くにあった、その片手を両手で包む。彼女の紅く染まった、肌の熱さを受け取るように。




 コアイは酔い潰れて眠るスノウの手を握りながら、しげしげと寝顔を見続けて……そうしていると、やがて夜が来た。

 季節の変わり目に特有の、大小一対の月が東の空を彩っている。


 コアイは彼女の側にいながら、別のこと……土と金と、自分達を広めに囲う守壁を想起する。

 そして、小声で詠唱する。


囲師(いし)周するならば、無欠鉄壁たるべし……」

「黒鋼の壁、完全たる璧 『金城(カルナイン)』」


 術者の声も願いも空しく、騒々しい轟音が辺り一面に響き渡る。

 しかし術者の心配をよそに、その隣で眠る者は目覚めることなく。



「そろそろ、起きてくれないか」

 コアイは片手だけスノウの手から離し、肩を揺すってみる。


「ん……ぅん~……」

 彼女から、高く澄んだ音がぼかされたような愛らしい声が漏れる。


「そろそろ起きて、月でも見ながら飲み直さないか」

 コアイは握っていた彼女の手を胸元へ引っ張ってみる。


「ん……おはよう、なんかかっこつけてるひと」

 目を開いた彼女はくすくすと笑いながら身体を起こしていた。



「暗くてちょっと怖いね」

「暗いか、ならば後でもう一度焚き火を(おこ)そう」

 二人は手を取り合いながら荷車を降り、食卓へ戻っていく。

 月夜の森は人間には少し暗いのだろう、足下に気を付けながらコアイが先導する。



「自然の風景を見ながら、のんびり飲む……というのも楽しいものらしい」


 二人の食卓の前に拡がる川の流れは、昼よりも明確に弱まっていた。


 川の流れの緩やかな場所に月明かりが落ち、まだ空に上り切っていない大小の月が映る。

 つまりそれは、天に二つと地に二つ、合わせて四つの月を同時に目にできる景色となる。


 それは、コアイが『金城』によって川の一部をせき止めて用意した風景。


「おお」

「こちらの世界の、人間の知恵だそうだ」


 水面を利用して風変わりな景色を楽しむ、という……何となく覚えていた、人間の書物にあった記述。

 それを目にしてから数百年の後になって、こうして役に立った。



「ん〜……すごいんだけど、ちょっとキモいような……」

「あまり好みではなかったか?」

「めっちゃすごいはずなんだけどなんつーか、月が二つあるのはなんか……初めて見たけど変な感じ」

「そなたの世界の月は常に一つなのか?」

「うん、ていうか一個しかないよ」


「ところで、そなたの世界には水面に景色を映す楽しみ方はあるのか?」

「うーん、見たことはあるかも」

「人間の発想は似ているのかも知れないな」


 他愛もない会話を続けながら、二人は飲み明かそうと酒を味わう。

 しかし昼間の酒が抜けていなかったのか、暫くするとスノウは眠そうな目で視線を泳がせていた。



「そろそろ寝よっか……そういや寝てるうちに何か入ってきたりしない? クマとか」

「獣が通れるほど大きな隙間は無いように囲いをしたが……気になるか?」

 言われずとも、彼女に危害を及ぼし得るものを近付けるつもりなど……コアイには無い。

 『金城』を用いたのには、その意味も含んでいる。


「確認したほうが良いか?」

「ん〜だいじょうぶ、信じてるから。おやしみぃ」

 彼女はそう言い残しながら卓に突っ伏した。


「あ、寝るなら向こうで……」

 そう言いかけたところで、コアイの脳裏に彼女の言葉が繰り返された。



 だいじょうぶ、信じてるから



 信じている……



 その言葉が、全身に行き渡るように波打っている。

 その言葉は、指先まで届いた辺りで熱を放ちだす。


 その言葉に、私の身体は火を灯される。

 その言葉を、私の心は延々と繰り返す。


 水面に月を映す……鏡湖池に映る逆さ金閣とか、逆さ富士の風景画とか、そんなイメージです。

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