私は、叛乱されない魔王に
***前回のあらすじ***
コアイはふらふらと彷徨った先でリュカ、あるいはリュシアと呼ばれていた娘らしき女と出合い、そして学び取った。
たとえ、打つ手の無さそうな状況でも……けして諦めないことを。
私は、昔住んでいた屋敷の、玉座の前……彼女を初めて喚んだ場所、初めて出逢った場所に戻っていた。
私はあの時と同じように玉座に腰掛ける。
何故、彼女だったのだろう。
ただ、確かなことが一つ……あの時の私に最も必要な存在が、彼女だったのだ。
彼女がいたから、今日まで私は……
ならば私は、彼女がいる世界をもう一度。
私は、あの時とはまるで違った思考、感情を抱きながら……あの時と同じ『異神召喚』を始める。
指の腹を囓って皮膚に血を滲ませる。
足許の床に召喚陣を想像し、その通りに描けと血に命ずる。
指から流れ出した血が召喚陣を象どるのを待つ。
そして、左手を高く掲げながら指を召喚陣に向ける。
「mgthathunhuag La-la!!」
最後に、この世界の言語とは異なる呪文を唱える。
私の血で描いた召喚陣が白く輝き、私の目を眩ませてから消えていく……
しかしそこには、彼女どころか何者も……現れなかった。
私は違和感を覚えるが、それよりも先ずもう一度召喚を試みた。
しかしそこにも、彼女どころか何者も現れなかった。
私は疲労感を覚えたが、それよりも先ずもう一度召喚を試みた。
しかしそこにも、何者も……起きたことと言えば、血を使いすぎた私の身体がよろめいたことだけだった。
何故だ?
兎に角理由だけを考えることで、心が沈みそうになるのを必死に堪える。
何かが足りないのか?
しかし、召喚陣は問題なく描けていたし、詠唱の発音も間違っていない。
魔力が足りていない、ということは考えにくい。考えにくいが……?
私は軽く痛む頭を振りながら窓際へ向かう。そして、
「これぞ必殺、『光波』!!」
虚空へ向けて『光波』を空撃ちしてみると、何時も通りの濃密な光束が掌から飛び去っていった。
やはり、魔力の不足でもない。
……何故だ?
しかし、それ以上思考することはできなかった。
血を失い過ぎたのか身体が重く、頭がぼやける。
この、全身を支配したがるような気怠さを、追い払わねば。
血を補わねば。
あの時は確か、外に出て……そこで出くわした反抗的で不愉快な輩の命を喰らった。
……だが今は、目についたものを適当に食す。というわけにもいかない。
もしかしたらそれらも、彼女の希望の一部かもしれないから。
私は軽い眩暈に揺らされながら、タラス城に戻ることにした。
「おお、お帰り、王様」
「陛下、ご無事で何より」
私は酒と肴を振る舞ってもらってから、新たに用意されていた寝室で眠った……
彼女の手掛かりを探して触れて歩いた、彼女の居ない世界。
そんな世界なら、もう要らないと思っていた。
けれど。
その世界には、まだ彼女との記憶が残っていて。
その世界には、まだ彼女の残り香が漂っていて。
この世界には、今も……彼女を感じられる。
本当はそれだけでも、きっとあたたかいのだ。
私は、この世界で────
彼女の記憶に繋がるすべてを、彼女の残り香を湛えるすべてを、私は護っていこう。
そしていつか、いつの日か……いつか、もう一度彼女を……喚べると信じて。
そうしているうちは、きっとあたたかく生きていける。
なにも諦めることはない。
諦める必要などないのだ。私がこの世界で、何時しか甦ったように……もしかしたら彼女も、いつの日か……
そうしているうちは、そう信じているうちは、きっとあたたかく生きていける────
やがて森林に夏が繁る。
「陛下、お手すきの際で結構ですので、大公殿への書状に署名をいただきたく」
あの日以来日課としている、日に二度の『異神召喚』を終えて……寝室にこもる私をソディが訪ねてきた。
話を聞くと、北方での反乱を平定した大公フェデリコへ書状と祝勝の品を送るのだという。
「ありがとうございます、あちらの戦後処理が落ち着き次第、講和条件の交渉に入りますぞ」
書状の署名など、ソディの名で良かろうとも思ったが……それは言わないでおいた。
ソディの意思を尊重することは、彼女の希望の一部だろうから。
のち、森林が秋を装う。
「陛下、お食事の後で結構ですので、委任状に署名をいただきたく」
日課としている、日に二度の『異神召喚』を終えて食事を摂る私にソディが話しかけてきた。
話を聞くと、大公フェデリコらとの交渉の際に提示したいのだと言う。
「ありがとうございます。お互いに、なるべく単純明快な統治ができるよう話し合ってきますぞ」
「……貴殿の狙い通り、上手く事が運ぶよう願う」
「おお……ありがたき御言葉にございます」
彼等が平穏な暮らしを取り戻すことは、彼女の希望だろうから。
時が過ぎ、森林を冬が眠らせる。
「陛下、お目覚めであれば報告をさせていただきたく」
日に二度の『異神召喚』を終えて眠る私をソディが訪ねてきた。
報告……人間との講和が、まとまりそうだということだった。
「決めごとが簡潔すぎて問題が起こるやも知れませぬが、その時はまた話し合おう。そう、大公殿と誓い合いました」
ひとつ、大森林……すなわちアルマリック伯領、並びにエミール伯領、タブリス伯領をエルフの地とすること。
ひとつ、大森林と王都を除き、領土の往来は自由とすること。
ひとつ、エルフであろうと人間であろうと、エルフの地ではエルフの法に、人間の地では人間の法に従うこと。
「人間に会いたくない者は大森林から出なければ良い、という仕組みを作ることができそうです」
どうやら、彼女の希望は近々叶うらしい。
……私の希望も、いつか叶うように…………
……そして、春が森林を誘い出した。
「あら、陛下。ご機嫌麗しゅう」
食事を終えて寝室に戻る途中、道を譲りながら声をかける女……侍従として働くクランがいた。
「クランか。アクドは一緒でないのか」
「私は今日非番でしたが……アクドさんは今日もあいかわらず、伯父様にしごかれてるみたいです」
ソディは紛争を機にアクドの素養を見直したのか、折を見ては政、法、商いや作法など……教養となりそうなものをあれこれと叩き込んでいるらしい。
「それにしても……」
そうする理由は分からないが、クランは私の顔を見つめている。
「失礼ながら、近頃ますますお綺麗になられましたね。と言っても、以前からお綺麗なのですが」
「そうだとしても、そんなことに意味は無いだろう」
よしんばそうだとしても……それは彼女に見せられたとき、初めて意味を持つのだから。
私は寝室に戻ろうと足を踏み出す。
「あ、そうそう陛下、以前から気になっていたのですが……」
「なんだ?」
まだ話し足りないのだろうか、と思いつつ立ち止まる。
「その、髪飾り……? は、どこの職人が作ったのでしょうか? 小さくて普段は目立たないですが、よく見ているとたまに……キラッと輝くんですよね」
私は、女が髪に手を伸ばすのを静かに制する。
「あ、失礼しました、つい……それにしてもこれ、よく見るとものすごくツヤツヤしてますね。これほどの物を作れる職人が、大陸のどこかにいるんですね……」
「ああ、これは……すっかり忘れていたが、昔」
これは……これは。
私は不意に思い出した。
そうだ、これは……彼女の「おそろい」。
その直後に唇を弄られ、熱に浮かされて脱力し、呆けさせられたのを覚えている。
あの感触とそれがもたらした胸の高鳴りに意識が向いてしまい、すっかり忘れていた……
私はそれに気付くと同時に、その小さな髪飾りを周りの髪ごとむしり取っていた。
そして────
「へ、陛下!? コアイさま~!?」
何もかも忘れ、放り投げ、私は駆け出していた。
髪飾りだけを握りしめて、彼女だけを胸に抱いて。
「あいたかった、あいだがっだ……」
「んー? どしたん、そんな泣きまくって」
「ずっと、ずっと……あいだがった。ずっと、そなたにあいだがっだのだ、わだしはっ……」
「ふふっ」
「……わたしも、だよ」
私は、叛乱されない魔王に おわり
最後までお付き合いいただいた皆様、ちょっとだけでも読んでいただいた皆様。
読者皆様へ、感謝を……心から!




