三 めざめたモノたち
この娘は、私を想って、想い続けて……今、私を求めているのだろう。
それは、きっと……私が彼女を想い、求め、今も求めているのと……同じなのだろう。
この娘はきっと、私と同じなのだろう。
ひと度そう認識すると、胸の辺りに渦を巻いていた娘への憎しみや殺意……などといったものがじわじわと薄れていくように感じた。
しかし、それ等が薄れていくとともに……どこか、空しさを覚えてしまった。
どんな形であれど、この娘に触れることには……如何なるよろこびも感じられない。
この娘は私に触れている、それなのに……同じ私は、彼女には触れられないのだ。
右手に象られていた血の錐は何時の間にか崩れ、手に血の伝った跡だけが残っている。
「陛下、へぇ……か…………」
やがて娘の膝が折れ、声が漏れる。娘は私へ伸ばした手を震わせながら、うつ伏せに倒れた。
私はその様子を見つめていたが、その姿からは虚しさ以外の何も感じられなかった。
心の虚脱感が影響したのか、私の魔術『金城』も解けていたらしい……男二人を囲い込ませていた石壁が、音もなく崩れていく。
「痛たたた……ん?」
「リ、リュシア!?」
大男……アクドが叫び声を上げて娘へと駆け寄った。
「……畏れながら、陛下……」
老人……ソディは徐に、私へ歩み寄ってきた。
「……始末は貴殿等に任せる」
正直な所、彼等と話すことすら億劫に感じている。それでも声を出せる程度に気を奮い立たせて、なんとか空しさを押し退け呟く。今の私にはおそらく、それが精一杯の振る舞い。
「我が孫の罪、けして許されることではありませぬ……ですが願わくば、あの子の命に代えて、儂の命を」
ソディは跪いていた。
「お、叔父貴!?」
「勝手な期待で孫娘を追い詰め、そのくせ気配りもできずに一人思い詰めさせ……気を触れさせてしまいました」
「すべては儂の……儂の責任なのです」
ソディは片膝を地に付き、絞り出すような声を出している。もう一方の膝に乗せた手が、見て取れるほど大きく震えていた。
「この老骨の命では釣り合わぬかもしれませんが、願わくば、あの子をお赦し……」
俯きながら発する声も、強く震えている。
「待てよ叔父貴ィ!!」
娘の倒れているあたりから大声が響く。
「俺が身代わりになる、だからあいつと叔父貴を……」
襲いかかるかのように猛然と、ソディを突き飛ばしながらアクドが私の前に跪いてきた。
「俺はどうなってもいい、あいつを! せめて、あいつだけはッ……」
「……私は、貴殿等に任せると言った」
元より、規律だの戦後処理だのは彼等に任せるつもりでいた。
ただ……とにかく今は、それらに触れていたくなかった。
私は二の句を継がず、城へ戻ろうと踵を返す。
「おい、待ってくれよ、頼む!? あいつだけはぐエッッ」
「馬鹿もん! 何をほざくか、こうなった以上お前だけでも生きねばならん!!」
「んぎぎギ……」
「陛下、儂の命では贖うに不足だとしても、何卒!?」
「ぐむっ……いや、伯父貴そりゃダメだって……つかいっぺん首離しでぐれ……」
羨ましい。
私に愛されなくても、あの娘には彼等がいる。
私には、もう誰もいない。
そう頭に浮かんで、また涙が溢れた。
覚えている限り、私には……あの娘にとっての彼等のような、そんな存在はいない。これまでも、今も。
だから、私には……彼女だけが。
そして今……彼女は、いない。
そして、これからも。
「もう疲れた、少し休む……」
彼女の居ない、彼等が居る……そんなところで、長々と話していたくない。
そう思えるくらいには、悲しかった。
悲しみを避けられないまま城へと歩いていると、弓を持った翠魔族数名が途上に立っていた。先ほど私達を包囲していた者達の一部だろう。
「こたびの処遇は全て、ソディ殿に任せる。文句があるなら、今後は私だけを狙え」
戸惑った様子を見せる者達に向かってそう吐き捨てて、私は先を急ぐ。
私は一人、城に戻り……寝室へと向かった。
外れかかった扉を開いて入った寝室は、先刻外から見た通りに壁の一部が吹き飛んでいた。また内部のあちこちが焼き尽くされ、あるいは焼け焦げていた。
特に目に付くものでいえば……彼女の絵を納めていた額縁や、彼女への贈り物を一時置いていた机、だったものは真黒く焼けてほとんど炭と化している。
それらに対して、彼女と一緒に寝たベッドは少し焦げているもののまだ使えそうだった。
それを見て、私は吸い込まれるようにベッドへ倒れ込んだ。
視界の端で黒いものが少々舞い散っていたが、そんなことはもうどうでも良かった。
そこに少しでも、彼女を感じられれば……それで良かった。
そこは少しだけ、彼女を感じていられる…………
ひと度そう感じると、私はそこから動けなくなってしまった。
蹲って眠っていた数日間のうち、何度か人が訪れたようだが……生返事をして帰した記憶しかない。
そこで少しでも、彼女を感じていたかった…………今の私にはそれしか無かった。




