十八 もう一つのあらそいのヒ
***前回のあらすじ***
人間の主力たる『神の僕』を討ち、予定通り人間との和睦を進める……そんなコアイ達の提案を認めようとしない翠魔族の一派がいた。
現状を受け入れようとしない者達に辟易しつつも、どうにか対処しようとするが……
「まさか、ここまで頑なに反対されるとは……見通しが甘かったか」
ワインの入った酒器を弄びながら、老人ソディは愚痴をこぼす。
村長達が立ち去った後。広間に残ったコアイとソディ、大男アクド……コアイ達三名は酒を傾けながら、明日以降の対応について話し合っていた。
普段こういう場では、コアイはあまり口を挟まない。口も挟まないし、酒を口にすることも少ない。
大抵は黙って、二人のやり取りや仕草を見ながらスノウのことを思い浮かべている。
しかしこの時は何故か、周囲に漂う魔力へと意識が向いていた。
自身からそう遠くない場所に、数多くの魔力を感じる。
それらの一つ一つは然程強烈な、あるいは濃密なものではなく……自ら訪ね、触れて確かめたくなるほどの存在ではない。
それらが己の近くで、静かに寄り集まる状況は少し懐かしい。
あの頃と同じ。
多くの魔族がコアイの下に集っていた、あの頃と。
「根回しできていたと思っておったが……解ってくれんもんじゃの」
老人はなおも愚痴をこぼしながら、酒をこぼすことはなく。
「バルジュ村、タチャ村、イルケ村の村長なんかが目立ってた感じだな」
アクドはそこまで言ったところで酒を呷った。見ると、机に滴が少々こぼれている。
「もしかして、リュカに任せた辺りの村々か?」
「とは言っても、儂が直に話した村の長も反発しとった。リュカを責めるような話ではなかろう」
ソディは空になったアクドの器に酒を注いでやりながら、溜息をついていた。
「ところでそのリュカはどこへ?」
「わからん、伯父貴も聞いてないのか?」
「ふむぅ……」
ソディは顔を曇らせながら酒を口にしている。何がソディを不安にさせているのかまでは、コアイには分からないが。
「何とか、解ってくれんもんかの……この広大な大陸の、様々な僻地……そのあちこちに人間が散らばった時、逃さず討ち果たすなどとても出来ぬ。人間の城市全て、ですら手に余るというに」
老人の眉間に皺が寄る。
「アイツら、大陸の広さを考えてねえんだよ。そもそも知らねえのかもしれんがよ」
大男の眉間にも皺が寄る。
「目を曇らせるほど、怨みが強いということじゃろう。だが、なればこそ……人間に怨みを持たせぬのが上策、我々のようにさせぬのが上策」
「エルフも人間も、根っこのとこは似てるんだろうな」
「怨みを持たぬ森は、いつも穏やかに生きておる。我等がそれを忘れてどうする」
怨み……考えてみるとそれは、コアイには良く解らない。
過去、コアイに怨みを募らせる機会が……一度だけあった。しかしその時も、コアイはクチュルクを怨めしいと……思っていなかった。
コアイは怨みについて、考えるのを止めた。
だんだんと二人の言葉が少なくなり、酒が減っていく。
「ん……酒が無くなっちまった、注いでくるか?」
「いや、夜も更けた。そろそろ寝……」
そう答えかけたところで、ソディは小さく聞こえる足音に反応し口を止めた。
「ただいま戻りました、おじい様」
三人の前に現れた若者は、手に何やら持っている。
「おお、どこに行っておったのだ?」
「バルジュ村の村長を説得したいと思って、村長と、それとスルドの村長と話をしてました。あ、これお土産です」
若者リュカは布袋から果物を取り出して見せた、
「そうか。夜も遅い、それを食べたら寝るとしよう」
ソディは笑顔でリュカを座らせた。
「……済まないが」
コアイは口を開いた、風呂に入って……自身の砂っぽい臭いを少しでも取りたくなって。
「寝る前に、風呂の支度をしてほしい」
「…………わかりました」
若者の答えには、妙な間があった。が、それをコアイも、ほど良く酔った二人も特に気にはしていなかった。
コアイを除く三人が果物を平らげたのち、四人はそれぞれ散っていった。
コアイは浴室に向かい、ローブを脱ぎ捨て、そして湯の準備が整うのも待たずに浴槽へ飛び込んでいた。
……やはりここには、彼女と二人で入りたい……
コアイは水の冷たさではなく、彼女の不在を寒いと感じている。
コアイは暫くの間、温まっていく浴槽の中で一人背を丸めている……
すると突然、コアイの頭上から爆発音が響いた。それにやや遅れて、何処からか焼け焦げたような臭いが漂ってくる。
異変を感じ、コアイは脱衣所へと飛び出した。するとローブがあった筈の場所には、灰だけが散らばっている。
これは……燃やされたのか?
だとすれば、懐にしまってあった彼女の絵も…………?
コアイの眼前が、思考が、恋心が。昏く、昏く色彩を喪う。
「陛下、陛下!! 一大事にご……」
ソディの声が聞こえる。
「し、失礼いたしました!?」
脱衣所に入ってきていた筈のソディは、直ぐに外へ出ていたらしい。
「服を……持ってきてくれ」
コアイは打ちひしがれながら、必死に言葉を絞り出す。
「承知いたしました!」
「へ、陛下……おじい様……」
屋敷の外に出ると、そこでは数名の翠魔族が固まってアクドと対峙しており、その内の二人がリュカを捕らえて刃物を突き付けていた。
アクドの身体には、刀傷と思われる怪我と出血の痕が見られる。
「俺たちに従え! さもなくばこいつの命はないぞ!!」
コアイ達が出てきたのを見てか、リュカに得物を突き付けていた男が怒声を上げる。
「傷は大丈夫か」
「このくらいは問題ねぇ……それよりどうする?」
ソディはゆっくりアクドの許へ歩みより、小声で話しかける。
「下手には動けんのう、しかし……どうも気になる」
「どちらが、じゃ? リュカのことか?」
「両方、だな」
「儂から見ても隙が多いように思えるが……罠かの?」
「そりゃ、アイツらはこんなこと慣れてねえだろうしな。それより……」
「リュカのほうか」
「ああ、こんなこと慣れてねえはずなのに……いまいちビビってる感じがしねぇ」
ソディとアクド二人の会話が聞こえてくるが、コアイの頭には入ってこない。
今のコアイには、深い思考ができない。
「こんな時、ビビってるやつは普通、もっと刃先に意識が向くもんなのに……顔を向けもしちゃいねぇ」
「早く決めろ! こっちはお前らを殺してもいいんだぞ!!」
狼藉者の一人が片手を上げる、すると周囲のあちこちに篝火が焚かれた。
その灯りに照らされ、弓を構えた多数の人影が現れ……四方にコアイ達を囲んでいる。
「そうか、出来ると言うならやってみるが良い。そんなもので私を殺せると思うのなら」
今のコアイには、深い思考ができない。
ただ、この状況を生んだと思しき者達を殺してやる……いや、殺さねばならぬ。
コアイは己と彼女の繋がりを引き裂いた狼藉者達を強く、強く憎んでいる。
今のコアイにははっきり認識できないだろうが、おそらくそれが「怨み」なのだろう。
「お、お待ちください陛下!?」
狼藉者達は自分たちに近付こうとするコアイを見てか、狼狽えたような声を出す。
「我らは陛下に弓引くつもりはございませぬ、ただ陛下を誑かす者を討ち取るのみ」
「奴らを除いたうえでコアイ様のもと、人間どもを皆殺しにいたします」
「……私は」
コアイは深く考えず、ごく自然と……土と金と、彼等を覆う守りを想起して、詠唱する。
「囲師周するならば、無欠鉄壁たるべし……」
「黒鋼の壁、完全たる璧 『金城』」
巨大な石壁が轟音を鳴らしながら小さく……ソディとアクドだけを小さく囲い込んだ。
「こ、これは痛だだ足踏んどる痛い痛い痛い!」
「す、すまん伯父貴、これ以上身動きが取れん!」
「うぬ等は私がこの手で縊り殺してやる」
コアイは人質を取る者達に歩み寄る。
「うぬ等は……よくも……」
その姿を月明かりと篝火が照らし、コアイの前髪と顔を輝かせ……またそれとは別の小さな煌きを一つ、もたらしている。
しかしそれは、コアイ本人には気付けないことである。
「お、おい……どうすんだ」
リュカを拘束する男達から、戸惑いの声が漏れる。
それに一歩遅れて、それとは対照的な、場に不似合いな……甲高い笑い声が沸き起こった。
「アッアハッ、アハハ……ウフフハハッ!!」
その声は張りがありつつも、どこか物悲しい。
「アハハ…………ハァ……やっぱり、陛下は……」
その姿を月明かりと篝火が照らし……顔から零れる小さな煌きをいくつも、輝かせていた。
「わたしのことなんて」
本投稿を以て、第五章は終幕となります。
タグにも付けておりますが改めて主張しておきます……本作はハッピーエンドです(強調)




