十四 スベてをあつめ、スベも無く
僅かな時間だったが、彼女に触れて、触れられて、与えられた。
いまも彼女のぬくもりが、触感が、残り香が、余韻となって私をくるんでいる。
それを引き剝がそうとするのは、誰だ。
誰が、そんなことを認めた。
…………私は、許さない。
吹き荒ぶ嵐のような敵性の魔力を近くに感じて、コアイの心が急速に冷え込んでいった。
コアイは一人、暗がりの倉庫の中で佇んでいる。
倉庫の外、おそらくは城市の内の何処かから伝わる……暗く染み出す、鋭く虚ろで寒々しい魔力を感じ取りながら。
こうなっては、むしろ彼女を帰しておいて良かったのかもしれない。
この魔力の持ち主が、私を狙う存在とは限らぬが。
コアイはひとまず、辺りの様子を探ろうと倉庫から出ることに……
すると、男の怒鳴り声が聞こえた。
「町の中にいるのはわかってんだ! 出てこい、魔王コアイ!!」
不愉快な声……
コアイはその声に、本能的な拒絶感を抱いていた。
それは先に闘った男……ヒサシと呼ばれていた男のものらしく聞こえる。だがその声は、以前は感じなかった本能的な不快感を伴っている。
その求めに従うのも癪だが、早くそれを排除したいとも思う。
コアイが思案していると、暫くしてもう一度声が聞こえてきた。
「なあ、出てこいよ! 近くにいるのは感じてんだ!」
男の声は先ほどよりも鮮明に聞こえてくる、コアイの居る倉庫に近付いてきているのだろう。
そしてやはり、あの男の声で間違いない。
「出てこねえなら、建物全部ブッ壊してでも探してやンぞ!!」
男の言葉は、人間達に『神の僕』と呼ばれていた者の思考とは思えない野蛮さを帯びている。
そのこととは関係ないが、とかくコアイはその声が不愉快で堪らなかった。
あの、空から降ってくるように意識へ割り込んでくる女の声……
あれとは似つかぬ声色ながら、この声はあれと同じ不快さを……
コアイはその声に、根源的な嫌厭を感じて倉庫を飛び出した。
そこにはもう、彼女のあたたかさは残っていない。
コアイは真っ直ぐに魔力を追って走り、やがて男の姿を視界に捉えた。
「来た、来やがったよ」
男もコアイに気付いたのか、呟いた……しかし男は視線をコアイへは向けず、天を仰ぐ。
「神さんから力を全部もらってきたんだ……この力で、とにかくお前を殺して」
首を上げている他は、全身を脱力させたようにだらりと立ち尽くしている。
「オメーの首でも面の皮でも、とにかく殺した証拠をセンパイのトコに供えてよ」
首を下げながら片手を顔へ持っていき、目の辺りを横にこする。
「復讐したよって報告して、そこまでできたら……」
首をコアイの側へ向け、無味な表情を見せる。
その眼には一筋の光もなく、その顔には一片の熱意もない。
そして、その声にも……最早蛮力はない。
「俺も、死のうかな」
「お前を殺せても、どうせその後は」
「センパイもいないこの世界じゃ、やりたいこととか思いつかねぇ」
男は眉一つ動かさず、無味な表情のままで言葉を吐き続ける。
コアイは男の様子を眺めて……この男を庇って死んだと思しき、別の『神の僕』だった人間の女を思い浮かべた。
すると、酷く不愉快な心地になった。
「助けられた命……再び捨てようてか」
あの女は、このような顛末を望んでいたか?
あの女は、この男の殉死など願っていたのか?
その声がもたらす嫌悪感とは別の不快感が、コアイを満たしていく……
「うぬに訊くべきこともない、刃向かうと言うなら殺すのみ」
コアイは冷淡に、男への殺意を抱いた。そして魔力を練ろうと……
「待たれよ、お待ちを!」
「お待ちくだされ、ヒサシ殿!」
男の奥から、別の人間らしき掛け声が伝わってきた。
「ヒサシ殿、ここは退き……」
「うるせぇ!! 止まれ!!」
男は駆け付ける者達を制した。それは勿論、コアイにとっても好都合である。
「そう何度も、逃がさぬ」
コアイは横槍の入らぬ場、逃げ場のない場を欲した。
コアイは土と金と、彼等の間への妨げを想起して、詠唱する……
「囲師周するならば、無欠鉄壁たるべし……」
「黒鋼の壁、完全たる璧 『金城』」
人間達の戸惑いをかき消すような轟音が鳴り響き、巨大な石壁がコアイの周囲に突き上げられた! それらはコアイと『僕』の男だけを大きな円で囲うように、次々と生え揃う!
全ての石壁がせり上がった後、その外側から声が聞こえる。
「ま、まさかこれって」
「知って……ですか?」
「おい馬鹿、アリスミーも読んでないのか」
「いや、だって俺聖……騎士じゃな……」
「『魔弾の王』殺しのおとぎ話! つったら分かるだろ!」
「ああ、なんだっけ巨大な魔術の檻…………三百人の優れ……魔術……七十人の司祭……犠牲…………」
聞こえてくるそれはコアイにも、『僕』の男にも、特に関係のない話である。
「これで逃げ場もない、終わりだ」
コアイの呟きに、男は視線だけを向けた。
コアイは、男が戦闘態勢を整えられているのかどうか……この時ばかりは配慮もしなかった。
この不快な輩を、確実に抹殺する。
コアイの思考には、殺意だけがあった。
コアイの心中には、懐かしさを伴った完全なる嫌悪感、忌避感、拒絶感が併存していた。
コアイはそれらを気のままに、純粋な生のままの魔力を濃密に練り上げ…………
「これぞ必殺! 『光波』!!」
心の欲するままに、光を放った。
それは、凡そ光とは呼び難い黒く真っ直ぐなかたちをしていた。
それは、標的となった男を容易く呑み込み、その先で『金城』の巨壁すら貫いていた。




