魔王と魔法使い(2)
場を沈黙が支配している。
マルスさんは何か言いたげだったが、雰囲気を察したのか口を出すことはなかった。
ドラコさんは問いかけを最後に、じっと俺の目を見つめている。
俺はというと……
成し遂げたいこと、と言われてみて、俺が言葉に詰まったのは、それをなるべく考えないようにしてきたからだと改めて気づいたからだ。
日々の忙しさを、降り掛かってくる困難を、そしてとりあえず自分の船を手に入れるという中期的な目標を、それらを言い訳にして、おれは自分がどうなりたいということを深くは考えていなかったのではないか?
確かに一般的な15歳の少年に比べて考え無しであるとはいえないだろう。カルロスやマルコなどのアリビオ号の仲間だって似たようなものだと思う。過大な望みを抱いても、今の自分に力が無いのだから、現実味が無い。まず、次のステップを考えてそこに集中するのは悪いことではない。
だが、一方で俺には他の15歳にはない特殊な事情がある。
魔力が高く、地球とこちらでの記憶を合わせれば20歳を超える経験がある。もちろん、地球での知識がそのまま通用することは少ないし、かえって足を引っ張ることもあるのだが、それでも有利といえるだろう。
そんな力を持った俺が、他の15歳と同じように過ごしていていいのだろうか? 改めて言われるまでは考えもしなかったことだが、このままではいけないのかもしれない。
そしてもう一つの事情。俺を殺そうとする何らかの意志。かつて俺自身が『運命』と名づけたそれに対しての対処も、頭から薄れかけていた。
これまで何とか危ない場面も切り抜けてこられたことで、俺は『運命』に対してもなんとかなるだろう、という気分になっていた。
だが、魔王というケタ違いの力を目の当たりにして、頼もしい反面で何か不吉なものも感じていた。その時はその不吉な感覚の正体がわからなかったのだが、今ははっきりわかる。
このレベルの力を敵が持っていた場合、俺に何が出来るのか。なすすべもなく殺されてしまうのではないだろうか?
人生の目標。
大きなことを成し遂げられる力と、もしかするとそんな俺を一瞬で殺してしまうかもしれない『運命』。
2つの事の間に板挟みにあって、動くに動けない今の状態は、決して望ましいものではない。
意外にも俺のよって立つ足場は不安定なのかもしれない。
俺が思考の堂々巡りになって何も答えられないのを見て、ドラコさんが俺の肩を叩いて言った。
「……悪い、考えてみれば俺も人のことは言えねえ……」
彼女にも何か事情があるのだろうか?
「……だがな、ケイン。せっかく力を持っていて、人より恵まれた境遇にあるんだ。恵まれた分責任を果たすことも考えてくれないか? 少なくとも……レインは、いつもそんなことで悩んで、悩みぬいて、そして答えを出した。あいつは立派だ。この世界のために魔法を発展させ、そして結婚し、子供を成し、そしてその子孫も今、こうやって立派に生きている。だから……」
ドラコさんは、俺の両肩に手を置いて、真正面から目を合わせて続けた。
「……なんとか力になってやってくれないか?」
「俺は……」
考えがまとまらないまでも、俺はこの問いには真剣に答えないといけないと直感した。
「……俺は、もっと力が必要です。俺が生きるために、そしてパットやみんなを守るために……たとえ魔王と対峙しても、大事なものを守りぬく力が必要です。ここで活動することはその助けになるでしょうか?」
「そっ、それは間違いない。魔法の研究ではタロッテが世界一だ」
突然マルスさんが割り込んでくる。
「俺もそう思う。レインがずっと拠点にしていたぐらいだからな」
「……そうですか……ええ、分かりました。俺はここを拠点にします」
「よし」「いやあ、有り難い。じゃあまず大学にでも登録させよう」
「ちょっと待ってください。とりあえず、今回の任務を終えてからの事になります。一度トランドに戻って、お世話になった人たちを説得する必要がありますし……」
「……そうだった、そのために来たんだったな」
軽い気持ちで返事をしたのではない。
これは俺の一生にかかわる問題だ。
師匠はどう言うだろう? パットは? マリアさんは? カルロスは? フランシスコさんは? 俺はトランドで馴染みとなった人たちの顔を思い浮かべた。
だが、結局俺の人生は俺のものだし、俺しか責任が取れない。
なんとか説得してみるしかないだろう。
「よし、じゃあ決まりということで、早速だがケイン、この扉を開けられるか?」
「えーと、どうやるんでしょうか?」
「その金属板に魔力を……そう、魔法じゃなく魔力だ……いいぞ」
俺は言われたとおりに魔力を金属板に注ぐ。
先ほど聞いていたとおりだと、これが第一段階。うまくいったら地球人にしかわからない質問が続くはずだが……
「ああ、だめだな」
一向に扉から質問が発せられる気配はない。それどころか力が吸われていくだけで何の変化も見当たらなかった。
俺は、ドラコさんのつぶやきに手を止めて聞いた。
「壊れているとか?」
「いや、そんなはずはない。それだったら魔力が吸われていかないだろう。単純にお前の魔力が弱いってだけだな」
「そんな……」
「ところで、お前今のを後どれ位続けられる?」
「そうですね、全開でしたから……ギリギリまで使ったことは無いんですがあと30分ぐらいは……」
「ああ、やっぱり……つまりあれだな。お前は魔力が足りないというよりは一度に出すやり方が分かってないってことだな」
「そ、そんなことが?」
師匠からもそんなことは聞いたことが無い。それに、今のやり方でも俺の一度に出せる魔力は師匠やパットなど他の魔法士より上のはずだった。
「まあ、人間の魔力でやっちまうと一瞬で燃え尽きちまうから、あんまり知られてねえんだろうな……よし、帰りの船でみっちり教えてやるから期待してな」
「ありがとうございます!」
「いいってことよ。それに、レインの残した技術は俺には難しくてわからねえことが多いから、そっちは勘弁してくれな。大学ででも教わるといいぜ」
「はい、そうさせてもらいます」
「となると……まあ、今回は諦めるんだな」
「あの……ユーク様はやっていただけないのですか?」
「さっきも言ったが、この中にあるものは俺には不要だし、マルス、お前にも役に立たないものだ。ケインが開けられるようになるのを待つんだな。大丈夫、こいつなら開けられるさ。俺が保証する」
と、そんな訳で、俺達はマルスさんの家を後にした。
「せめて夕食でも」と引き止められたのだが、まだこの町での用事が済んでいないし、中央門の閉まる時間もあるので、丁寧にお断りした。
町を離れる前に一度は立ち寄る、と約束してようやくマルスさんも引き下がった。
俺とドラコさんは、今門に向かって急ぎ足だった。
カン、カン、カン
閉門までの時間を知らせる鐘、一つが5分を表すそうで、あと15分というところだ。
このペースならなんとか間に合うだろう。
俺達は歩く速度を落とした。
日はすでに暮れていて、ところどころにあるランプが道を照らしていた。さすが高級住宅街だ。
「いきなりで驚きました。どこに行くのかも教えてくれませんでしたし……」
「ああ、まあちょっとした気まぐれだったからな。まあいい機会だったし、ああしてレンジの子孫も元気にやっているのが見れて俺も安心したよ」
「レンジ?」
子孫という言葉が続くからにはレインさんの本名だろうか?
「ああ、蓮に治めると書いて蓮治。春日蓮治というのがあいつの名前だ。懐かしいな、この名を口にするのも何十年ぶりかだぞ」
「へえ……それがなんでレイン・リーンなんて名乗ったんですか?」
ドラコさんの場合は、辰巳の辰からドラゴンでドラコ、あるいは優香からユークと単純だった。
「それは、レンを崩してレイン……これはお前と似てるな」
「確かにそうですね」
してみると、初対面の時にケインがケンから来ているというのを見ぬいたのもレインさんのことがあったからなのだろう。
「……それで、治めるっていう英単語”reign”を姓にしてリーンと名乗ったのさ」
「なるほど」
英単語だったのか……そういえばこっちに来て英語に触れる機会なんかはなかったから、高3の受験勉強で必死にやったことも忘れかけているな。まあ、使うことが無いから別にいいか……
「それはそうと、ドラコさん、ありがとうございます」
「何だい、急に……」
「今回、ドラコさんに言われて色々考え違いをしていたことに気付かされました。俺はのんびりしていてはいけないんですね」
「その事か……ま、俺みたいになるんだったら別だが、お前はきっとあいつと同じ道を選ぶんだろうからな。じじいになるまで一瞬だぞ?」
「レインさんと、同じ道……」
「ほら、もう恋人がいるんだろう? だったら一緒に年をとってやらなきゃだめだ。お前はこっち側、魔族の側に来ちゃいけない」
「ドラコさんは……どうして魔族を選んだんですか?」
その言葉に、しばらく返事は返ってこなかった。
しばらく、二人が歩く足音だけが石畳に響く。
「……どうしてだろうなあ」
そして、彼女が口にしたのも、やはりはっきりした答えではなかった。
俺は、聞いてはいけないことを聞いたような気がして、それ以上言葉を発することが出来なかった。
やがて、中央門が見えてきた。
昼間はそうでもなかったが、夜の門はかがり火が焚かれていて、辺りに衛士の姿も多く、まるで戦争中の砦のようだった。いや、本物を見たことは無いが……
「さっきの質問だがな、ケイン」
門に近づいた時に突然ドラコさんが話しかけてきた。
俺は「あと5分だぞ」と衛士に追い立てられながら、彼女の言葉に耳を傾けた。
「俺には……時間が必要だったのかもしれねえな」
「時間……ですか」
「ま、ありきたりだけどな。色々考える時間や、それから……忘れる時間が、な」
彼女には忘れたい事があったのだろうか?
「……さっきはあんなことを言ってお前に決断を迫ったが、実際に何もできていねえのは俺の方だ。まったく……人の事を言えた義理じゃねえよな」
彼女ほどの力を持って、彼女ほどの時間があって、それでもなお、ままならぬことはあるということか……。俺には想像も出来ないが、かといってそれを聞くのも違うような気がした。
「とにかく、お前はこっち側じゃない。そっち側だ」
「そっち側だ」と言った時に、ちょうど俺は門をくぐって町の東側に入っていた。そして、ドラコさんはまだ門の西側だった。
彼女が言う「こっち側」「そっち側」というのは、この大壁ぐらい厳然として区切られているものなのかもしれない。この位置関係は、それを象徴しているかのようだった。
今回の豆知識:
門が閉まるのは18時です。タロッテは北半球で季節は冬なので、太陽は17時以前に沈んでいます。




