船長の1日
出航後数日は、予想はしていたが忙しかった。
船というのはほとんどが木材でできているが、基本的には強固な建造物といえる。だから変形などは考えなくていいのだが、こと水中に限っていえばそうではない。
積載量の大小によって喫水が変わるし、前後や左右のバランスも積み方によって変化する。
今回は出航前に一度確認したはずだったのだが……
「やはり、あの収納庫か……」
「そうだすね。確かに港を出るときから舵の反応が鈍いってこたあ感じてましただよ」
「いざという時に何かあってはまずい。今のうちに……頼めるか?」
「了解しましただよ」
ガフに任せておけば大丈夫だろう。
船の前後のバランスというのは舵にとくに影響が大きい。基本的に前が沈むと舵が浮き上がってしまうことと、最も深い部分、重心が前に寄ってしまって最後尾にある舵の影響が少なくなる。そのため、舵は軽くなるが効きは悪くなる。かといって後が重すぎると、今度は進路がフラフラと安定しない。
船のつりあいの事だけではなく、古かった滑車が壊れたとか、港では張ったつもりだった索具が緩んでいたとか、あるいは動き出して発覚した船体の水漏れとか、日々のトラブルに対処することで時間が過ぎて行った。
正直なところ、当直外で休んでいても毎回のように呼び出される始末で、身体が休まる暇が無かった。
それでも、気力だけは充実していた。「自分の船」に対して手間を惜しむようなことはありえない。1日ごとに、船とも、船員とも馴染んでいき、俺は船長としての充実感に満たされていたのだ。
「ケイ……いや、船長殿」
「ケインでいいですよ、カイラさん。船員じゃないんだし。それで、何か?」
「ちょっと相談ごとがあるんだが……」
「ひょっとしてマテリエさんが酒飲んで暴れているとか?」
「いや、そういうのではない」
「じゃあ、ジャックさんが酒飲んで暴れているとか?」
「そういうのでもない。いかにもありそうだが」
「まさか、パットがやきもちを焼いて暴れているとかですか?」
「うん? 身に覚えでも?」
「え……いや、決してそんなことは……」
「実はな……メイカさんのことなのだ」
「ああ、なるほど」
「なんとかならないだろうか?」
「うーん、でも、一応甲板には出ないように言ってますから、海に落ちるということは……」
「そちらは問題ないのだ。問題なのはその船室の被害の方が……」
俺、ディオンさん、ドラコさん、パットの4人を除く乗客は下甲板の後部、アリビオ号であれば士官室がある区画に押し込められていた。
とはいえ、操舵手のガフを含めて5人なのでそれほど狭いわけではなく、一応は仕切りも作って寝床は個室にしてある。もっとも、ジャックさんは乗客というより乗員なので、個室は荷物置き場にして、船員と同じく甲板前部で寝起きしているらしい。船員の掌握という観点からもそちらの方がよいという判断だ。
「例えば、どんな?」
「収納庫を踏み外して落ちる、テーブルのものを落とす、帆布の仕切りに引っかかって破るなど、まあ考え付く限りの破壊活動を無意識にやっている。私は彼女がストランディラの工作員だと言われても信じてしまうかもしれない」
「そんなに……」
「それに、ディオン様の世話をするために上に上がることもあるだろう。海に落ちるのも時間の問題だと思うが……」
「そちらは当直と目端の利く数人に事情を話していつも監視しています。今のところは何とかなっています」
言っているそばから、下甲板の後部の方から硬いものが床にぶちまけられる音が聞こえた。今度は何を落としたのだろう?
「事情はわかりましたが、この海の上でどうするわけにもいきませんね。とりあえずディオンさんには話しておきますから、すいませんが耐えてください」
「そうか……わかった……」
うーん、なんとかならないだろうか?
確かにしゃべってみるとメイカさんは聡明な人なのだ。そして、ただ1人の従者として、ディオンさんの役に立ちたいという気持ちもわかる。じっとしているというのが性に合わないということも理解できる。ただ、致命的に動作がどんくさいのだ。
最初に浮かんだ案は、パットの魔法で部屋を1つ作ってしまって、そこに居てもらうというものだったが、それじゃあただの牢屋だ。本人が落ち込み、いらいらするだけだろう。
二つ目の案は、上の船室に移動してもらって、そこから甲板に出ないでもらうという方法だ、これならディオンさんの世話をすることができるし、被害者もせいぜいその区画に立ち入る俺とドラコさん、ディオンさんだけで済む。
ディオンさんはこの船旅の間も仕事をするためにたくさんの書類を持ち込んでいたが、その手伝いをしてもらえるならば、彼女もディオンさんの役に立てるということで充実した生活が送れるだろう。ただ、その場合は船室を作り変えて5部屋にするか、あるいは……
俺はしばし考えた後に決心し、お願いをする相手がどこにいるか探すことにした。
「おお、ケイン」
目的の人はマテリエさんと後部上甲板にいた。
「ここで何を、ってああ……」
目の前には籠があってモフモフ様が3体いらっしゃった。
「これは……リーデ号からもらったのはどれ?」
「……この子」
「よくわかるね」
「ずっと世話してたから……」
パットは、そう言ってそのケダマスライムを抱き上げた。俺には正直見分けがつかなかったが、どれも健康そうな毛並みをしていた。
リーデ号から、出港直前になってケダマスライムが送られてきたのは、あるいはパットの転出を不快に思っていないというメッセージだったのかもしれない。向こうの船長とは直接の面識は無かったが、フランシスコさんが船を任せるぐらいだ、相応に人間が出来ている人なんだろう。
「そうそう、実はパットにお願いがあるんだけど」
「何?」
「メイカさんと部屋を交換してもらえないかということなんだ」
「……どうして?」
「あー、あの子か、うん、確かに危なっかしいよね」
「そういうことなんだ。ちょっと……いや、かなりそそっかしいのでなるべく甲板に出したくない。それでディオンさんのそばに置こうと思うんだ」
パットはしばし考えるそぶりで毛玉をなでていたが、最後には頷いてくれた。
「いいよ……なんだったらケインと同室でもいい」
「えっ……いや……それは……」
「ああ、いい考えだね。大丈夫。船の上だったら少々変な振動とかきしむ音とか聞こえてもごまかせるから問題ないよ」
「……って、からかうのはやめてくださいよ、マテリエさん」
「ははは、まあ、船長のあんたはどう思われようが涼しい顔をしていればいいんだと思うんだけど……やっぱり、まだまだ新米だね」
「……その辺は否定できないです。と、とにかく、パットは下に移動ということでお願いするよっ」
俺はそう言い残してその場を去った。マテリエさんは色々オープン過ぎるところが苦手だ。
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ともかく、部屋の交換はうまくいった。やはり、メイカさんの扱いについてはディオンさんが一番良くわかっており、今のところ俺たちの船室の区画では目立った被害は、あまり無い。
「ありがとうございます。私が至らないばかりに」
「いや、気にしないでください、誰だって苦手なものはありますから」
最後尾の大部屋で、書類を広げて仕事をしているメイカさん、ディオンさんは揺れる船の上での書類仕事に疲れたといって、部屋で休んでいる。トランド人には珍しく、彼は船酔いしやすい傾向があるそうだ。
「メイカさんは船酔いしないんですね」
「父が船乗りでしたから、よく船には乗せてもらいました」
「へえ、そうなんですか。そのお父さんがディオンさんと知り合いで?」
「いえ、母の方が旦那様と同門で、今は王宮で貿易関係の事務をやっています」
「同門、ということは私塾ですか」
「ええ、一応商家の出ということで、兄弟も多かったので自分で身を立てようと勉強していたらしいです」
「そうなんですか、メイカさんも私塾に?」
「私は、母から教わっただけです。母は下級役人で父も船乗りなのでそんな余裕はなかったんですよ」
それでも、ディオンさんの手伝いが出来るというだけで凄いと思う。俺は仕事の邪魔にならないように、そこまでで甲板に出ることにした。
「船長、大変です」
「何か?」
「クラゲが、船にへばりついてやす」
「クラゲって……そんな大事なのか?」
「違いやす、モンスター、ネンチャククラゲの奴ですよ」
なんと、よりにもよってそんな厄介な……
今回の豆知識:
船の前後の釣り合いに関しては想像で「こういう理屈じゃないかな」と考えて書いています。
多分合っていると思うのですが、もし実際の理論などに詳しい方がいらっしゃったら、ツッコミお願いします。




