ウラッカ号、出航
「でもすごいね。いつそんな魔法を身につけたの?」
「ふふふふ、私はこれでも出来る女。ケインは黙って私に任せればいいのよ」
おお、頼もしい。けど、いつものローテンションな口調に戻っているせいで、どこか棒読み臭い。
ここは、倉庫にする予定だった個室、俺の向かいの前部右舷側の部屋だった。魔法士という士官と同等の職であること、それと女性であることで、パットはこの部屋を使うことになったのだった。
港でぶちまけた彼女のかばんの中身だったが、割れたカップ以外は無事だった。
「でも、重さはそのままだよね?」
「そうだけど……元々軽くてかさばる衣類がほとんどだから、私でも持てる」
そうか、重さと容積は別に考えないといけないのか……
「だから、もし船の空間を増やすなら、軽くてかさばる物が最適。追加で積む荷物を探すなら羽毛とかいいんじゃない?」
「今回は交易主体じゃないから、そういうのはいいかな。それより、リーデ号では使わなかったの?」
「アンティロスとニスポス間は、ほら、輸送量過剰だから……」
「ああ」
確かに最近はその傾向があるらしい。船で2・3日の航路だし、アンティロスではそれほど物資の需要が多くない。ニスポス開港当初は、アンティロスでの積み替えなども行っていたようだったが、最近では港湾も拡張されたのでニスポスから直接目的地に向かう船が大半だ。
そんなわけで、リーデ号のような航路は競争が激しく、近頃では満載で出航するということ自体が少ないそうだ。
「中の空気はどうなるの?」
「基本的には問題ないけど、開口部が少ないから多少息苦しくなる」
「じゃあやっぱり倉庫として使うのがいいかな……後でお願いするよ」
「うん」
さて、思わぬパットの乱入で混乱してしまったが、早く船長としての仕事に戻らなければ……出航は明日だからな。
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「じゃあ、ドラ島の東を大回りってことでいいんだすな?」
「ああ、季節風にもよるが、このまま北西に向かうよりは速度が出るはずだ。あまりアンティロスに近づいても混雑しているだろうから思い切って東から大回りで進む」
「マローナはどうするだすか?」
「マローナの北はストランディラの船が往来しているから危険だ。だから北上して風が西に向いたらそのまま西北西に進んで、マローナからは距離をとって南を横切る。ガニエ島東岸まで行ってしまえば、あとは北上するだけだ」
「ふーむ……」
「どう? 何か不備な点はある?」
「いや、問題ないですだ。風向きを考えるとそれしかないだすね。いや、船長のことを少々見くびってただすが、大したもんだす」
「まあ、ずっとアリビオ号で回っているからね。ただ、タロッテには寄港したことが無いんで、ガニエ島から先は少々ガフの負担が増えるけど、問題ない?」
「そりゃ任せてもらうだよ。マーリエ海で上陸したことが無いのは紛争中のガニエ島ぐれえのもんだで」
「それは助かる」
実際に船の速度は動かしてみないとわからないが、仮にアリビオ号並みの速度が出るとして、この航路だと20日弱というところだろうか。今回は積荷が無いので、食料に関しては余裕がある。水に関しても魔法士が2人もいるので問題ない。
「じゃあ、そういうことでお願いする。……ところで、船員達はどうかな?」
「……というと、あのお嬢さんの事ですだな?」
「うん」
ガフはそこで、ちょっと考えて答えた。
「まあ、概ね好意的に見てると思うだすよ」
「好意的? 邪魔とかそういうんじゃなくて?」
「あそこまで必死になって追いかけて来た女性を悪く言うような船乗りはいねえだす。だけんども、その分船長の方が……」
ああ、いわゆる「爆発しろ」とか「もげろ」というやつか……
っていうか、未使用の状態でもげてしまっては困る。
「まあ、その辺は働きで認めさせるしかないか……」
「そういうことだすな」
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パットの手伝いとして、船室の拡張作業に立ち合う。
今回は、床に四角い枠を作って、床下収納のようにするらしい。
「パット、これは枠が必ず必要ということでいいのか?」
「ええ、圧縮されている側面に外から入ると、物でも人でも空間ごと引き伸ばされるから、跡形も無くなる。そのために枠に結界を刻んでおいて、魔法的に出入りが出来ないようにしておく……んです。船長」
「そうか……」
そういえば以前から、彼女は刻印系、紋様術を研究していた。確か初めてアンティロスを訪れたときにパットに連れられて行った書店でも、彼女はそっち系統の本を買い求めていたはずだ。
確かその帰り道だったよなあ。パットと仲良くなるきっかけは……
おっと、いかんいかん。今は呆けている暇は無い。
「それで、これでどれぐらいの期間維持できる?」
「刻印に維持の術も込めてあるから、今の私で、3日ぐらいはそのままの状態のはずです」
「うん、十分だ」
それぐらいであれば、実用上問題ないといえよう。
「あとは、もし魔法が切れたときにどうなるか、というのも教えてもらえる?」
「その場合はそのまま中身が押し出されることになる。ここだったらそのまま床から荷物がせり上がってくることになる……なります」
まだ、みんなの前では敬語というのには慣れないらしい。これでリーデ号では大丈夫だったのかとちょっと不安になる。でも、考えてみればこれまでの船長は船長然とした人だったはずで、問題は俺に威厳がないということと、パットと親密過ぎるということなんだろう。
「じゃあ始めます」
パットは杖を構えた。
「開門……空よ、その力を我が前にもたらせ
補助……紋よ、定めに従い我が望みを支えよ」
そこで、枠に刻まれた紋様に、パットの魔力が飛び、一瞬光を放つ。
「操作……歪は天地に、理を欺き、もって陰なる蔵と成せ
実行」
一瞬耳がツンとなる。新たな空間を船室に作り出したので、気圧が下がったのだ。これで、船室に1辺2m、深さ1mの収納庫が増設されたということになる。
「これで……もう使えます。すこし……深いので……はしごを……かけたほうがいいと……思います」
パットは息を絶え絶えにしながら成功を口にした。やはり高度な術式だけあって、身体にも負担がかかるのだろう。
物理魔法においては、力を呼び出すもの、つまり陰や陽系統に関しては習いたての魔法士でも使える。物質を呼び出す魔法はそれよりすこし難しい、そして時間や空間に関する魔法はそれらよりはるかに難しいとされる。
実は師匠でも時空系統はほとんど使えないらしい。魔力という点ではそれほど優秀ではなかった師匠だが、その分、応用力という点では非常に優れていて、それが名声につながっているのだ。
かく言う俺も、魔力という点では人より恵まれているが、時空系統はまったく未修得だった。うん、今度パットにじっくり教えてもらおう。なんといっても往復を考えると40日は一緒にいるのだ。なんとか取っ掛かりだけでもつかんでおきたい。
そんなこんなで、下甲板の最前部と最後部に収納庫を作成したパットは、疲れて自室に戻ってしまった。3日に一度の更新のときはもう少し楽なので問題ない、と心配する俺に声をかけていったので、まあ今日はお疲れ様と返しておいた。
船長は船の最上位者だから、基本的にはどこでも見回りが出来るはずだ。だが、実際には船長が来るとなるとみんな気を使うので、特に一般の船員の区画である下甲板前部に立ち入るのには気を使う。
「そういうのは俺たちに任せておいてくだせえ、だす」
「うん、わかっている。だけど、出航前はさすがに見回りをするよ」
「そりゃあそうだすな」
「それじゃあ、今日はここまでということで、明日の出航に備えよう。ガフももう休んでいいよ」
「へえ、ありがとうございますだ」
本来なら、この艦尾の部屋が船長室だったはずだが、今回の航海に限ってはそうはならない。共用なので、俺は広げていた書類を片付けて自室に戻った。
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次の日の朝、ついに出航の時が来た。
天気は快晴で、文句のつけようも無い。
甲板には全員、ただし危険なのでメイカさんだけは船室待機で残り全員が揃っていた。
「これより出航する、指揮は俺が取る」
「アイアイサー」
「メイン、ミズンのガフセイルを開け」
一同がばたばたと作業を開始する。
海に出てしまえば多少の操帆の失敗はいくらでもリカバーできる。だが、出港時だけは失敗すれば他船に迷惑をかけることになるし、なにより人の目が多いから恥ずかしい。
そんなわけで、出港と入港はたとえ他に当直がいても船長が指揮を執ることになる。
「取り舵」
行き足がついたところで、俺は左に舵を取るように命令する。この船も古いので舵輪式ではなく長い棒で直接舵を取る方式だ。ガフが舵棒を持ってばたばたと右舷側に移動する。
「舵中央」
よし、抜けた。
ちょうど朝の出港ラッシュ前だったこともあって、同時に出ている船は少なかったことが幸いした。まさかここで失敗するわけには行かないし、まあ初心者ということで神様も味方してくれたんだろう。
「よし、帆を一杯にして進路30度」
とはいえ、純粋な縦帆船であるウラッカ号には張るべきトップセイルなどは無い。せいぜいが船首から斜めに出ているバウスプリットとメインマストの間に三角形のジブという補助帆を張るぐらいだ。
落ち着いてきて思ったが、やはりアリビオ号のような横帆主体のシップ帆装に比べればずいぶんと簡単だ。そもそもマストに登る必要すらあまり無い。
もちろん、追い風を受けての最高速度など、デメリットも多いのだが、人員が少なくて済むというのは有難い。
船は、右前方からの向かい風を受けて、ゆるゆると進んでいった。
さあ、これから20日間、何もなければいいが……
今回の豆知識:
すでに「2章資料等」で風向図を出してしまっているので、それに沿って説明しますが、アンティロスのあるドラ島の西を回るとすると、偏西風の影響で向かい風になってしまいます。それよりは東側を回って南回帰線(黄色)のあたりで西進したほうが有利であるという見込みで、航路を決めています。矢印の大きさが同じなのが紛らわしいですが、陸を離れると季節風の影響は弱まるので、そちらの影響は少ないと考えています。




