一周りして再びタロッテ
積み荷を可能な限り満載して、アンティロスに向けて出航したのはそれから5日後のことだった。そしてアンティロスで再び荷物を積み替え、ここタロッテに戻ってくるまでは特別変わったことはなかった。
2ヶ月ぶりのタロッテは、そろそろ初夏といったところで、からっと晴れ上がっていた。タロッテは夏には雨が少ない。
「あれ? 船長のところはマローナあたりと往復してんだっけかな?」
「いやあ、私はトランド人ですからね。アンティロスへ行って帰ってきたところですよ」
港で顔見知りの男に声をかけられたのは、俺が一人で行動しているときだった。
この男は、船に水や食料を供給する仕事をしている。それなりに誠実な商売をしているので、最初の寄港以来継続して付き合いがあった。ひどい業者になると、腐りかけの塩漬け肉などを平気で売りつけてくるから質が悪いのだ。
「あいやっ、そりゃ本当かい? そうだとしたら、並みの船より二週間は早いよ……やっぱり、この変な形の帆が秘密なのかねえ」
ふふふ、驚いているようだ。俺は自分の船が褒められて誇らしい気持ちで答えた。
「まあ、そんなところです。でもよく前の寄港からの日数なんて覚えていましたね」
「まあ、この船は目立ってっからな。そうだ、そんなに速いなら、タロッテ杯は出るんだろう?」
やはりその話題が来る。あれから聞いてみたところ、やはり市民にとっても一大イベントなのだ。特に船に関係している者達にとっては……
「一応そのつもりですが……」
「そうしたら儲けさせてもらうぜ。へっへっへ、今回はいただいたな」
「ああ、賭けがあるんですね」
不思議じゃないな。競争ごとにはつきものだ。
「そうよ、タロッテのもんにゃあ5年に一度のおたのしみってわけさ」
「そうですか、まあがんばります」
ヘラヘラと笑っていた男が、そこで何か思い出したように手を叩いた。
「あっ……そうだ、この船は見るからに向かい風向きだよな?」
「そうですね」
「そうか……いやね、今回は南から北だけになるってちらっと聞いたから……それじゃあちょっと厳しいな……」
「まあ、追い風でもそこそこ行けると思いますけどね。いつもは違うんですか?」
「縦帆、横帆と船によって違いがあるから、いつもは北から南と南から北の両方が開催されているんだけどよ。今回に限ってどうしたんだろうな?」
タロッテの南港から西のミナス大陸を大回りする航路は、風向きの関係上、追い風の区間が多い。どうも、いつもはそれを考慮して北港から出発する部門と南港から出発する部門に分かれているそうだ。当然、ウラッカ号のように向かい風が強い船だったら普通は北港からの出発にするものだそうだ。
ちょっとあてが外れたらしい男と、補給について簡単に打ち合わせをして、俺はウラッカ号に向かう。
交易品について前回ここで予想したことは、いいことも悪いこともだいたい当たっていた。
やはり魔法書は前回持っていった分ほどの需要は以後見込めないだろうということ、船乗り向けの一般書はやはり需要がありそうだということ、南大陸からの緑茶の輸入はなんとかなりそうだということなどだ。
魔法書に関しては前回でかなりの儲けになったので、まあスタートダッシュとしては良かったのだろう。あれだけドラコさんに大見得を切ってこの体たらくでは格好がつかない気もするが、零細ベンチャーとしては変わり身の早さも必要だろう。
一般書の方はいくつか打診してみたところ、面白そうだという意見を聞くことができた。アンティロスでの代理店も決めてきたので、今頃向こうの港では営業活動が行われているのだろう。
緑茶は、トレリー卿にある宣伝工作をお願いしていた。すなわち、健康ブームを意図的に起こすというものだった。彼も貴族でそれなりにタロッテの上層階級とも付き合いがあり、なおかつ彼自身がスマートな体型をしているので、宣伝効果はあったようだ。太った人の売るダイエット食品や、禿頭の人が売る育毛剤は売れない。美容と健康にいい、という触れ込みで、それなりに反響があったようだった。
俺は積み荷を下ろすのをセリオとガフに任せて、一人だけで先に上陸して、そのあたりの情報をトレリー卿と共有してきたところだ。それが終わり、港に戻った時に、偶然さっきの顔見知りの男に声をかけられたのだった。
船に戻ってみると、まだ作業は続いていた。船は小さいが、それ以上に人数を絞って運行しているために、こういう場面ではみんなに苦労をかける。
俺は作業に加わることにした。
「さっきは何を話していたんだすか?」
「おや? 見られていたか……船が速いなってことと、レースに出るのかってことだよ」
作業を監督しながら、ガフが俺に聞いてきた。彼は種族の特性なのか遠目がきく。海の上でも危険を避けるのに役立っていた。
「ああ、来年のあれだすな。おらは出てみてえですだ」
「俺はあんまり……」
隣で聞いていたセリオは乗り気でないようだ。
「どうして? なにか理由が?」
「往復を考えると、アンティロスを4ヶ月以上も空けることになるじゃないですか……アンナちゃんが……」
「あんたはそればっかりだすな」
あんなにトラブルを起こしていながら、彼の女癖は変わっていない。ついでに、女の趣味も変わっていない。アンナというのは白豹の特徴のある、スレンダーで長身の獣人女性だそうだ。アンティロスで酒場の女中をしているらしい。
「まあ、俺も向こうの人にそれだけ会えないのは寂しいけどね……」
「そうでしょう! 船長、いやあお仲間がいて嬉しい」
失礼な、俺はパット以外にも師匠やマリアさんやらの知人という意味で言ったのだ。
「まあ、でも一応いい機会だと思うから前向きに考えているよ。もし出るとなったら正式にみんなにも伝えるし、賞金が出たらみんなにも分けるから」
「賞金」のくだりは周りの船員にわざと聞こえるように言った。やはり彼らも仕事だから、収入は多いほうがいい。これで荷運びの作業もやる気が出るだろうか?
「それは……それで有り難いんですがねえ」
「きっとみんなも喜んで賛成すると思うだすよ」
やはり、セリオの方はまだアンナちゃんの事が気になるようだ。
「そうだ、レースといえば……なんでも、今回は南港から北港だけになるらしいよ」
「ほう……」
セリオの目つきがちょっと鋭くなる。なにか思い当たることでもあるのだろうか?
「それはちょっと不利だすな。縦帆の船は北から南の航路を取るのが普通だす」
「そうだよねえ……」
俺とガフが残念がる横で、セリオはしばらく考えていたが、こう口を開いた。
「恐らく、南方面で商売したい奴でもいたんでしょうね。そいつがねじ込んだのかもしれません」
「……どういうこと?」
「レースに出る船は当然準備で交易なんて出来ません。それで、レースが始まって、一ヶ月以上、そして終わった後にみんなが北港にいるということは、3ヶ月ぐらいは南港に速い船はいなくなります。その間、レースに出ないで仕事を総取りできるってわけですよ」
「なるほどなあ」
そうなると、レースに口を出せる人間だからタロッテの豪商とかだろうか? 仕事を総取りするとしても、それなりの船団を持っていないとうま味がないし、当たらずとも遠からずといったところだろう。
「まあ、うちの船ならレースに出たら上位が狙えると思いますし、少々商売の機会が奪われても、それ以上の儲けになる可能性はありますが……」
「うーん……」
レースは水物だ。一銭の得にもならないかもしれない。それよりは堅実に交易を続けたほうがいいのか……いや、でも交易も結局博打には違いないんだよな……
「後は船長のご判断です」
「わかった。よく考えてみるよ」
今の段階でできることは少ないが、情報だけは注意して集めておこう。
今回の豆知識:
ネタバレという程ではないんですが、5章は話題になっているレースがメインになる予定です。そこまで1年ありますので、度々時間が飛びます。




