凛の三十六 空気が、張り詰めてます……
凛ちゃん視点です。
「こちらの出す条件をクリア出来るのなら、問題ないわ」
長谷部さんのお料理教室に参加した数日後。初めて家族が集まった夕食の席で、携帯電話の件を改めてお願いしました。
そろそろ演劇部の大会も近いのです。他の部員の方々との集団行動や、急なプログラム変更などがあれば、私だけ情報共有が遅れてしまうでしょう。
そうしたところで、皆さんにご迷惑をおかけすることはできない。
そうした実務的な観点から、携帯電話の所有を希望する理由を述べました。
その時にお母様から告げられたのが、そのお言葉でした。
案の定、男がどうのと騒いでおられたお父様やお兄様は、お母様によって強制的に黙らされておられました。そろそろ懲りて欲しいところです。
確かに、私が提示した内容は希望理由の八割ほど。残りの二割は、相馬さんやスバルさん、そして長谷部さんとの親交を深めたいという思いであり、そちらも否定しません。
が、やはり実務的な面での不便が一番なのです。お父様やお兄様も、ないと不便なのを理解してなお、何故私の所持に反対するのか、不満が募ります。
それはさておき。
お母様が提示した条件は、やはり勉学に関することでした。お母様の懸念は成績でしたから、当然ですね。
携帯電話を所持しても、成績を落とさないことを証明する、ということで課せられたのは、定期テストとは別のテストを受ける、ということでした。
何でも、お母様が有名な予備校教師を務める方とお知り合いのようで、その方に私だけのテストを作成していただくとのこと。
テスト範囲は、お兄様の通っていた煌院学園の偏差値を基準にされるそうです。当然、桂西高校の授業速度では到底カバーできる内容ではないでしょう。
しかし、私はその条件を快くお受けしました。
学力を落とさないよう、自主学習はずっと続けてきたのです。むしろ、学校の勉強では確認できない私本来の成績を確認する、いい機会と言えました。
若干、私などのためだけにテスト作成を強要される予備校教師の方に、申し訳ない気持ちはありましたが。
お知り合いとはいえ、お忙しい中給金の発生しない仕事をさせられるのは、大変だろうと思います。
ですが、お母様はやると言ったらやる方です。いくらその方が断っても、最終的にはお母様の圧力に屈するでしょう。
先に心の中で謝っておきます。ごめんなさい。
というわけで、私だけ二つのテストを受けることになり、より一層テストに身が入ることになりました。
結果を出せれば、念願のコミュニケーションツール、携帯電話がこの手に収まるのです。
報酬を目的に勉学に励んだことはありませんが、否が応にも期待が高まり、熱が入るのも仕方がないと思います。
そんな、私のモチベーションが高い時に部活動で提案されたのが、定期テストに向けた勉強会のお話でした。
前回の中間テストでも、相馬さんがミィコ部長にお願いしておられましたから、予想できたことでした。
しかし、今回の変わった点は、私やお兄様といった、前回出席されなかった部員全員が、参加表明をされたことでしょう。
その内、トウコ先輩は元々乗り気であり、嫌々だったキョウジ先輩はトウコ先輩に背中を叩かれて渋々、参加を表明されていました。
ただ、お兄様やミト先輩は前回同様、最初は不参加の意思が見えました。決定的に言葉を出さなくとも、そうした雰囲気を醸し出していらっしゃましたから。
しかし、最終的にはお二人も頷くことになりました。
きっかけは、長谷部さんの提案だったように思えます。
「だったら、スバルさんも誘いませんか? 助っ人っていっても、一応演劇部員として活動していますし、仲間はずれはかわいそうだと思います」
その一言で、参加を渋っていたお兄様やミト先輩が手を上げたのです。
内心、少しでも相馬さんやスバルさんとの時間を過ごしたかった私も、参加したいと思っておりました。
前回は有無を言わさずお兄様にブロックされましたが、今回はその邪魔がありません。心置きなく、参加表明をさせていただきました。
が。
「…………」
勉強会当日。
予想以上の空気の重さに、私はとても居心地の悪さを感じていました。
特に、私の両隣にいらっしゃる、お兄様とミト先輩の放つ雰囲気が、とても、張り詰めていたのです。
勉強の妨げになる、というほどではありませんでしたが、夏も近い季節ですのに、冷や汗が流れてきそうな感覚が常にありました。
「(それじゃあ、僕はこれで)」
「(あ、うん。お疲れー)」
小声でさえ一言も会話がないまま、黙々と勉強する音だけが響きました。
そして、相馬さんは途中で席を立たれ、ミィコ部長だけが声をかけられました。
事前に、相馬さんが私用で退席されることは知らされておりましたので、誰も大きな反応は示しません。
結局、相馬さんと同じ場所にいる、という状況で終わってしまったので、私は少し、……とても、寂しい気持ちになりました。
高校受験の勉強を、相馬さんと共にしていた時が、今では懐かしく、とても貴重な時間だったのだと、改めて思い知らされます。
あの時以上に、勉強の時間を待ち遠しく、心の底から満たされた気持ちになったことは、私にはありません。
今までも。
おそらく、これからも。
思うがままに振る舞えない現状が続けば、私の心には寂寥だけが満ちていくのでしょう。
当時感じた、言いようのない幸福感と温かさをくれるのは、きっと、相馬さんだけ。
触れたい。
言葉を交わしたい。
笑っていたい。
笑って欲しい。
そんな、好きな人に好きだと伝え、寄り添い続けるという当たり前の事が、私にはどんな設問よりも難しく、辿り着けない課題なのです。
頭では、わかっていても。
時々、無性に、もどかしくなります。
帰宅される彼の背中をこっそり見送り、私は気持ちを切り替えます。
嘆いていても始まりません。
そうした現状を打破するためにも、ここが頑張りどころです。
携帯電話さえあれば、家族に内緒で相馬さんとお話しすることも出来るのです。
私に初めて出来た、譲れないもののためにも、失敗するわけには参りませんっ!!
相馬さんのお姿が完全になくなってから、私は胸の前でギュッと手を握り、静かに奮起しました。
それからは、ターヤ先輩が一度席を立たれたくらいで、静かでピリピリした時間が過ぎて行きました。
ガラッ。
相馬さんが退席されて、10分程でしょうか?
図書室の扉が開き、新たな生徒が入室されました。
「(どうも)」
小声で頭を下げ、先ほどまで相馬さんがいた場所に、その方は座られました。
スバルさん。
同じ一年生だということしかわからない、謎が多くて、気難しくて、相馬さんとは正反対な方。
それでも、私が相馬さん以外に、思いを寄せてしまった方。
演劇部の皆さんから一気に視線が集まりますが、スバルさんは意に介さずに教科書等を机に広げます。
そして、ずっと最初からそうしていたように、無言で勉強を始めておられました。
「…………」
沈黙だけが、場を支配しています。
時計の針が動く音と、シャープペンシルが文字を刻む音が、間断なく続きます。
私も集中して勉強していましたから、皆さんがどう過ごされているのか、わかりません。
時折、長谷部さんがスバルさんとメモを見せ合う筆談をなさっているのが、視界に入ったくらいです。
……長谷部さんとスバルさんは、以前からのお知り合いだったのでしょうか?
初めてお会いした時、スバルさんは全員と初対面のように接していました。
演劇部の練習になると、ご自身のぶっきらぼうな態度が原因で、スバルさんは先輩方から白い目で見られるようになりました。
しかし、長谷部さんだけは、終始スバルさんを擁護するような立場だったと思います。
先輩との不和を生んだスバルさんの演技における指摘も、経験者の中で唯一、長谷部さんだけが素直に受け止めていらっしゃいました。
今も、長谷部さんの方から積極的にアプローチを仕掛け、スバルさんとの交流を密にしたい意図が見えます。
…………ちょっぴり、気になります。
勉強の手を止めず、私は長谷部さんたちの関係について、考えました。
長谷部さんは私にとって、貴重で大切な同性のお友達です。
僭越ながら、友人の中で一番親しくして頂いていると、私は思っております。
そんな長谷部さんが、もし、好意を抱いてスバルさんに近づこうとしているのならば。
私は、それを、応援したいと、思います。
ちょっと、ほんのちょっとだけ、胸がチクリと痛みますけど。
これくらいなら、きっと、我慢できます。
誰かに気付かせることなく、笑って、祝福できると思います。
少なくとも。
スバルさんにとっても、真っ直ぐな好意を寄せる長谷部さんの方が、お相手としては相応しいはずです。
同時に二人の男性を好きになってしまった、バカな女の子なんかよりも。
ずっと、幸せだと、思います。
「(っと、そろそろ下校時間だね。出ようか)」
ミィコ部長の言葉に、はっと顔を上げれば、皆さん帰り支度を始めておられました。
どうやら、勉強と物思いに夢中になりすぎて、ぼーっとしてしまっていたようです。
ふと、私が解いていた問題集に視線を落としますと、予定していたページを大幅に超えて、解答欄が埋まっていました。
……私、一教科しか勉強していません。
他の教科は自室でやらなければ、とため息をつき、私も荷物を鞄に入れていきます。
「スバル君、ちょっといいかい?」
下校時間となり、他の生徒の方々も図書室から出ていく中、お兄様がスバルさんを呼び止めておられました。
猛烈に嫌な予感がします。
お兄様が浮かべておられる表情も、笑顔なのに影が差していて、何かしでかす気満々でしたし。
「カリンさん。少し話があるんだ」
急いで止めようとしましたが、先にターヤ先輩から声をかけられ、足を止めてしまいます。
一瞬、どちらを優先させるか、葛藤を覚えました。
しかし、振り返ったターヤ先輩の表情があまりにも真剣でしたので、結果としてお兄様たちの後を追うことができませんでした。
「はい、何でしょうか?」
「ここじゃ少し。場所を変えよう」
そう仰られますと、他の部員の皆さんに声をかけ、ターヤ先輩は人の波から離れました。
私も長谷部さんにお声掛けをし、先輩の後を追っていきます。
どうやら方向からして、部室の方に向かわれているようです。
無言のまま廊下を歩き、到着したのは予想通りに演劇部の部室でした。
「あの? もうすぐ下校時刻なのでは?」
「すぐに終わらせるよ。だから、中へ」
そういうと、ターヤ先輩は扉を開けて私を促しました。
不思議に思いながらも、私はターヤ先輩の指示通り、部室へ足を踏み入れます。
カチッ。
「え?」
その瞬間鍵が閉まる音が聞こえ、驚いて振り返りました。
そこには、とても真剣な表情でこちらを見つめる、ターヤ先輩の姿が。
行動の意味が分からず、私は少し怖くなり、一歩、先輩から距離を取ります。
「あの、ターヤ、先輩?」
戸惑う私の声など聞こえていないように、ターヤ先輩は荷物を扉の近くにおいて、私に近づきました。
脳裏によぎるのは、体育大会が終わった、放課後のこと。
たくさんの知らない男性に囲まれて、連れ去られそうになった、恐怖心。
状況も、相手も、違いますけど。
私は、震える体を、抑えられそうもありません。
どうやら、私は。
自分でも気づかない、無意識に。
『あの日』の出来事が、強い心的外傷に、なっていたようです。
「カリンさん」
目の前まで来て、ようやくターヤ先輩の足が止まります。
先輩の顔も、声も、空気も、いつもの先輩じゃ、ない。
それが、私の心を、強く、委縮させました。
「……はい」
震えそうになる声を抑え、いつも通りを思い出しながら、ターヤ先輩を見つめ返しました。
ここで、表情や態度に弱気が出てしまったら。
私の心が、恐怖で塗りつぶされそうな気が、しましたから。
「君に、いくつか確認したいことがあるんだ」
覚悟を固め、ぎゅっと体に力が入った私に、ターヤ先輩は口を開きました。
「レンマ君と、スバル君のことで、ね」
「…………え?」
しかし、ターヤ先輩の口から聞いた言葉は、あまりにも予想外で。
すぐに理解が追い付かなかった私は、頭の中で無数の疑問符が飛び交うまま、呆然としてしまいました。
シリアス多めな回でしたかね。前半の携帯電話の件でほっこりさせといて、後半の勉強会で落とした感じです。
いやはや、凛ちゃん視点はこういうのが多いのなんの。
ちゃっかり凛ちゃん恋愛相関図にハーリーさんも加わって、ミト先輩も含めれば五角関係っぽくなっちゃってます。むぅ、どうしてこうなった?
それに加え、ターヤ先輩も動き出しました。無駄に伏線として臭わせている蓮くんとスバルくんの関係を、暴露しちゃうのか!? どうなんだい!?
ってな具合で、終わらせてみました。続きは次回以降の更新をお待ちください。




