蓮の三十三 本当の、決断の時
蓮くん視点です。
シリアスが強めになってます。
ミィコ部長とターヤ先輩の退路を奪う出演交渉を頼まれたその日、演劇部の練習は物理的に大コケするという結果に終わり、個人的には散々な一日だったと思う。
帰り道でも鼻にティッシュを詰めたまま、先輩たちと雑談しながら帰ったんだけど、心中はずっとミィコ部長のお願いが頭から離れなかった。
「ただいま〜」
一人になってからもウジウジ悩み続け、結局決められないまま家に到着した。心持ち肩を落としながら玄関を上がり、自分の部屋に向かう間もため息が止まらない。
家は一軒家の二階建てで、二階部分に家族それぞれの個室がある。ちなみに、ローンはすでに完済しているとのこと。共働きとはいえ、何気にすごいよね、僕の両親。
帰りの挨拶をして先にリビングを覗いたんだけど、母さんが晩御飯の準備をしてくれていた。仕事の関係で時々家に帰れない時もあるんだけど、今日は早めに仕事が終わったんだろう。
母さんと軽く言葉を交わしてから、荷物を置くために二階に上がる。階段を上って奥の右側が僕の部屋だ。
「……ちっ!」
階段を上りきったところで、僕の向かいの部屋の扉が開く。そこから現れたのは、我が家の反抗期真っ只中、妹の麗奈だった。
僕の顔を見るなり、舌打ちと不機嫌顔をするところ、年頃の女の子としてどうかと思う。もしかしたら、柏木さんも家ではこんな……、ないね、うん。自分で想像しといて絶対にあり得ないと断言できるよ。
「ただいま。もうすぐ晩御飯出来るみたいだよ?」
「知ってる。話しかけないで、ウザい」
おうふ。少しの親切心から声をかけたというのに、この言われよう。僕には兄の威厳が毛の先ほどもないというのか?
くそぅ、家だって柏木さんとこみたいだったら……、よそう。そんな想像は全くの不毛だ。家族仲が良好なのはいいけど、度が過ぎるのは良くないよ、きっと。
何を想像したのかは、オウジ先輩だけど何か?
「邪魔」
「わっ!」
辛辣な言葉に落ち込んでいると、麗奈は追い打ちをかけるように僕を押しのけ、階下へ行ってしまった。
少し強めに突き飛ばされて、僕は二階の廊下の端に退かされたまま、不機嫌な麗奈の背中を目で追う。
……あぁ、いつもより機嫌が悪そう。僕と麗奈くらいの兄妹になると、ちょっとした挙動で相手の機嫌が分かってしまう。もちろん、いい意味じゃなくて、不機嫌の度合いを測るためだけに磨かれた観察眼だ。
僕はため息を新たに吐き出し、自分の部屋に荷物を置く。学生服を脱いで部屋着に着替えつつ、ボーッと考えごとに耽る。
僕と麗奈が険悪な仲になったのは、多分小学校の中学年くらいからだ。それまでは結構なお兄ちゃんっ子だった気がする。いつも後ろをついてきて、僕がやること全部を真似ようとしてたっけ。
それから関係はこじれたまま現在にまで至り、麗奈の思春期突入でさらなる悪化を招いている。顔を見たら舌打ちの上、邪魔だと来たもんだ。笑うしかない。
きっかけは、何となく分かってる。改まって話とかしたことないけど、父さんも母さんも原因は知ってるだろう。
それであえて何も言わないのは、父さんたちなりの配慮なんだろう。自分たちで決着つけろ、みたいな感じなのかもね。
「……決着、か」
着替えのために外して、机の上に置いた眼鏡を見下ろしながら、考える。
今までが、都合が良すぎたんだろう。
逃げて、逃げて、逃げ続けて、自分と周囲を誤魔化し続けてきて、上手くやっていたという幻想に囚われていたんだ。
結局は、何の解決にもなっていない、現実逃避なんだって、本当は気づいていた。
だけど、それこそ今更だ。
あの時、あの瞬間、僕はあいつを否定し、『あいつ』も『僕』に否定されることを受け入れた。
今後交わることも、交わるつもりもない運命だと思っていた。いや、決めていた。もう、関わらないように、顔を合わせないようにしよう、って。
でも、いつまでもそれでいいわけがない。
あの子も、柏木さんも、自分の殻を破って、変わろうとした。
そして、変わることができた。
僕にはなかった、強さを見た気がした。
勇気付けられた気がした。
僕にも、何もかもから逃げ出すことを良しとしてしまった、こんな最低な僕でも。
変われるかもしれないって、思えたから。
「ミィコ部長に頼まれた時、即答できなかったんだろうな……」
今までの僕なら、断っていた。どんな理由があろうと、あいつを僕の周囲と関わらせることだけはさせなかった。あいつも、それを望んでいた。
あいつのことを知ってるのは、本当に少ない。父さんと母さん、後は階堂と春を含め、数人のオタク友達くらい。
姿を見られた、ってくらいだったら、柏木さんも、かな。あの時は緊急事態だったし、なりふり構ってられなかったから、事故みたいなものだったけど。知り合いでいったら、それくらいのはず。
その範囲が、広がる。
あいつと関わる人が増える。
嫌だ。
気持ちが悪い。
吐き気がする。
知らず、握っていた拳が震え、手のひらに爪が深く食い込む。
「……そろそろ、いいじゃないか」
自分を鼓舞するための言葉も震える。
「ここで、僕も、あいつも、向き合わなきゃいけないんだ」
本当は、怖くて仕方がない。
「現実と」
今までのように、逃げ続けていたい。
「これからの自分に、ケジメをつけなきゃ、進めないんだ」
でも、それはもう、限界だったんだろう。
いつかは露呈する、僕とあいつとの間にしかない、罪と愚かさ。
それを踏み越えていかなきゃ、僕は大人になれない。
「たとえ、そのことがきっかけで、」
僕は迷いを捨てて、眼鏡を手に取る。
「……今の居場所を、失ったとしても」
僕の独り言は、僕の部屋だけに溶け、消えていった。
そうだ。
僕はそれでもよくなったんだ。
嫌われるのを怖がっていた僕は、もういない。
代わりにいるのは、嫌われるのが当たり前になって、嫌われることに鈍くなった『僕』だ。
だから、平気だ。
僕は、失うことに慣れた僕には。
新たな繋がりが切れることくらいで、絶望したりはしないだろうから。
着替えが終わり、僕も夕食を食べようと、部屋を出た。
胸に小さく刺さる、トゲのような痛みを無視して。
次の日。
僕はいつもよりかなり早い時間に目が覚め、学校に到着していた。
荷物を机に置いてから、すぐに教室を離れる。
歩いて、歩いて。
職員室に一度立ち寄ってから、真っ直ぐ歩いて。
僕は演劇部の部室に到着した。
「……」
職員室で借りた部室の鍵を差し込み、開ける。
昨日の放課後でずっこけた部室は、当然ながら誰もいなくて、かなり広く冷たく感じられた。
「……」
一礼してから中に入り、僕は備え付けの鏡の前に立つ。
ちょっとしたヨガ教室みたいな部室は、壁の一面が全部鏡になっていて、演技の練習で自分の動きが見れるようになっている。
そこに映る僕は、無表情だった。
「……お願いされたんだ」
じっと、僕は鏡を見つめたまま、口を開いた。
「部長に、演劇部の一員として、大会に出て欲しい、って」
僕の言葉に、返答はない。
「だから、出て欲しい」
僕は眼鏡を外し、自分の目で訴えることを本気と誠意の証として、前を向いた。
「僕たちが、前に進むためにも」
強い意志を宿したつもりで、鏡越しではあるけれど、僕はしっかりとその目を見る。
鮮やかな空色をした、静かな双眸を。
ミィコ部長に気に入られ、蓮くんが頼んだ相手とは?




