蓮の十七 成長、なのかな?
蓮くん視点です。
繋ぎ回になります。
あれから一週間が経った。体育祭の練習が日常の一部になって、生活リズムが完全に体育会系に変化して、そろそろ慣れが生じてきた頃だ。
「っしゃあ! 今日は『綱引き』の予行練習だが、手ぇ抜くなよ、みんな! 隠すところは隠して全力を尽くす! 一年四組の根性、見せてやれやぁ!!」
『おおっ!!』
相変わらず、佐伯くんを筆頭にうちのクラスは熱い。熱すぎる。
信じられる?
これ、ただの予行練習なんだよ?
僕らは今、体育の授業を使って体育祭当日の動きを確認している。グラウンドに集合して、入場予定の位置で円陣を組んでいた。
合同で体育を行っていた五組も六組も驚いていたけど、うちのクラスの面々は全く気にしていない。
そろそろ周りの目も気にした方がいいと思うんだ。日本人の『恥の文化』はどこに行ったんだよ……。
「……はぁ、最近このノリに慣れてきた自分が嫌になってくるな」
「言うな、階堂氏……。拙者もまた、切なくなってくる……」
「諦めよう。人は慣れてく生き物なんだよ……」
近くにいた階堂と春の呟きに同意しつつ、僕らは誘導に従って所定の位置についた。
グラウンドの中心には本番で使用する、太くて長い綱が横たわっている。ちょうど真ん中に目印の真っ赤なテープが巻かれていて、このテープが地面に引かれたラインを越えると勝敗が決まる。
今日は授業なので、五組と六組と一回ずつ対戦することになっている。反対側の持ち手には五組の人たちが並んでおり、僕たちも綱の横で開始の合図を待っているところだ。
「位置について、よーい……」
本番さながら、体育の先生が綱の中心付近に立ち、空砲を構えている。五組の人たちは緩い雰囲気でいるが、四組の大半はすごく殺気だっている。
少数派である僕は、この温度差が何より恥ずかしい。階堂と春も、同じ気持ちなのだろうか?
パァン!!
そして、少しの火薬の臭いが漂い、開始の合図が上がった。
「らあっ!!」
『うおおおおっ!!』
空砲の音が鳴った瞬間、さすがの反射神経で佐伯くんをはじめ、運動部の人たちが綱を掴む。一瞬遅れて僕らも綱をしっかり握って、後ろへ倒れた。
『えっ!??』
五組から戸惑う声が聞こえるが、四組は一切無視。そのまま一気に五組を自陣へと引きずり込む!
「引けぇっ!!」
『らああああっ!!!』
リーダーの佐伯くんの発破に応じ、僕らは力強く綱を引っ張った。
いや、感覚的にはぶら下がった、って感じが強いかな?
五組の綱の引き方は単純だ。上半身を起こしたまま、腰だめに綱を持って引っ張るスタイルで、一般的な『綱引き』でよく見る引き方だろう。
対する僕らは、綱を持った瞬間脇に挟んで上半身を後ろに倒し、全体重を後方へと移していた。膝は太ももが地面と平行になるよう九十度に曲げ、真後ろにいるクラスメイトの足に自分の上半身を乗せる感覚で、後ろへ倒れている。
何でも、これが綱引きでもっとも力が入る引き方らしい。筋力がない非力な子でも、体重を引っ張る力に変えられ、十分な力を発揮できるんだって。
佐伯くん調べのプリントに書いてあったテクニックで、クラス練習ではずっとフォームの練習をしていた。長めの柄を持つ箒の片方を支えてもらって、各々がこのスタイルを繰り返した。
一週間程度だから、そこまで上手いわけではないだろうが、結果は明白だった。
『うわああっ!?』
ただ腕の力だけで引っ張ろうとしていた五組は、四組全員分の体重に耐えることができず、あっさりと前へ倒れていった。
赤の目印は中央から大きく四組側へと移動し、僕らはあっさりと勝利した。
「よっしゃあ!」
『わああああ!』
佐伯くんが強く両手を天へ突き上げ、クラス全体が歓声を上げた。大袈裟なテンションでハイタッチとガッツポーズを互いに繰り返す姿は、もう小学生並みの盛り上がりを見せていた。
『うわぁ……』
そんな彼らの中で、僕と階堂と春は知らず顔を手で覆っていた。
一言で表すと、とても恥ずかしい。
くどいようだが、これはただの予行練習だ。
まるで全国大会で優勝したようなノリをするところでは、断じてない。
異様なはしゃぎっぷりを見せるメンバーの一員だと思われていると考えれば、顔を隠すくらいは許して欲しい。
……、ああ、他のクラスや先生からの視線が痛いよ……。
その後も、六組とも対戦して快勝し、佐伯くんたちは上機嫌で放課後の練習に挑んでいた。でも、どうしても他のクラスとの温度差が気になり、僕は隠れるように練習していた。
「行くよ、カリンさん」
「はいっ!」
クラス練習が終わった僕は、演劇部で基本セットを終わらせてから、柏木さんと一緒に『部活対抗リレー』の練習をしている。
最初は色んな意味でとてもぎこちなかったが、一週間も練習していればそれなりに形にはなる。
僕たちは隣のパートナーを確認し、一歩前へと踏み出した。
「いち、に。いち、に。いち、に。いち、に」
出だしは歩くような速度で足を動かし、徐々にスピードを上げていく。足元よりも走る先を見るように頭を上げ、歩調をあわせて駆け足にしていく。
「いち、に。いち、に。いち、に。いち、に」
そして、最終的には僕のほぼ全力での走りにまで速度を上げた。足の速さはカリンさんの方が上なので、足の遅い僕に合わせてくれている。
「いち、に。いち、に。い、っち、わっ!」
「きゃっ!」
順調に走っていたように見えたが、僕がバランスを崩してしまいこけてしまった。僕は膝を擦りむいたけど、カリンさんはちょっと体勢が乱れただけで転倒はしなかった。
運動神経の差なんだろうね。まあ、こけるのには慣れたけどさ。
「だ、大丈夫ですか? レンマさん?」
「あ、あはは、大丈夫、大丈夫。もう慣れっこだよ」
心配そうにこちらを見てくるカリンさんに笑顔で応え、僕は足首で繋がったままの紐を意識しながら立ち上がった。
『部活対抗リレー』の二人三脚も、うちのクラスの練習とは別の意味で苦労した。ここまでスムーズに走れるようになるまでに、まず三日くらいかかったもんね。
何故かと言うと、どうやらリレーの組分けをした日、カリンさんの体調が悪かったらしく、まともに練習できなかったのだ。
足に紐を結び、いざ練習を、と思ってカリンさんに声をかけても返事が遅かったり、服越しに感じる体温がすっごく熱かったり、顔が真っ赤になったりしてた。
もしかしなくとも風邪じゃないだろうかと、僕は何度もカリンさんに尋ねてみた。けど、「大丈夫」とか、「平気」とか、我慢していることが丸わかりな返答があるだけだった。
カリンさんの普段の口調は丁寧な敬語が主で、単語だけで言葉を終わらせることなんてなかった。それに、視線もどこかボーッとしていて、見た目からも大丈夫そうには見えなかったし。
さすがに無理だと思って、初日は歩くこともできずにカリンさんを休ませて終わった。その後の練習も、どこか上の空だったので、カリンさんだけ見学っほくなってしまったっけ。
それからカリンさんの風邪は案外長引き、練習しては休みを繰り返していた。僕たちだけ出遅れたが、体調不良が原因では仕方がない。
カリンさんの様子を見て、ようやく症状が収まったと安心できたのが、四日目だったんだ。本格的な練習はそこからで、当然僕らのペアだけまだまだ遅い。
第一走者のキョウジ先輩・ミト先輩ペアは、二人三脚そのものはできている。二人とも運動神経がいいのかすごく速く、とても片足を繋いで走っているとは思えない速度が出ていた。
が、仲は相変わらずぎくしゃくしていて、練習中も会話はほぼない。キョウジ先輩は無言ときどき舌打ち、ミト先輩はかけ声ときどきため息、ってところかな。むしろ、言葉もなく息があってることの方がすごいと思うけど。
第二走者のターヤ先輩・トウコ先輩・ハーリーさんトリオは、可もなく不可もなく、と本人たちは言っていた。こちらは三人四脚なので二人より難易度は高いけど、ターヤ先輩がうまく二人に合わせてるみたい。
ただ、トウコ先輩とハーリーさんで走る速度が異なり、直線がうまく走れないみたいだ。トウコ先輩が速くなりがちで、気がつけば斜めに走ってるんだ。
まあ、その分、トウコ先輩が外側になることで、カーブはとてもスムーズだったけどね。少なくとも、直線よりは速く走れていた。
第三走者のミィコ部長・オウジ先輩・トーラ先輩トリオは、ある意味では僕らよりも心配だ。何せ、三人とも他人と協調するのが苦手らしく、よく躓いたりするからだ。
特に酷いのはトーラ先輩で、足が紐でくくってあることなんて無視して走り出すことが多々あった。その度に直に繋がっているオウジ先輩がバランスを崩し、その隣のミィコ部長が引きずられる、というパターンができている。
コミュニケーションもはかどらないみたいで、よく口論となっていた。オウジ先輩がトーラ先輩に詰め寄り、ミィコ部長が宥め、トーラ先輩は頭上に「?」を浮かべているのだ。
それでも、僕らより速いのはトーラ先輩の暴走機関車っぷりが半端ではないからだろう。
そして、僕らはコミュニケーションという点では解消している。風邪のせいか、カリンさんは最初全然会話にならなかったんだけど、熱が引いてからは以前のカリンさんに戻ってくれた。
元々中学から知り合いで、人となりも知ってるから、二人三脚で息を合わせるのは簡単だった。僕がかけ声を担当し、カリンさんが僕の歩調に従ってくれている感じだね。
ただ、僕らのペアで一番の問題は僕の足の遅さだ。はっきり言って、演劇部の中で僕は足がダントツで遅い。どころか、一年生全体からしても底辺の方だ。
女子の中でも足が速く、『学級対抗リレー』にまで参加するカリンさんからすれば、僕の全力疾走なんて駆け足レベルの速さしか出ていないと思う。
だからか、少しでも気を緩めたら、先程のようにこけていまうのだ。毎回、カリンさんは自分で持ち直すのだが、逆に僕はいつも全力でずっこけている。
そのため、最近は膝にカサブタがいっぱいできてきた。今日もまた膝からいったから、いくつか剥がれて血が出ている。また絆創膏、用意しとかなくちゃ。
まあ、そんなこんなで、演劇部のリレー練習は進んでいる。そろそろバトン渡しの練習も始まるらしいし、何より僕らはアンカーなんだから、少しでも速く走れるように頑張らなくちゃ。
「よし、もう一回やろうか」
「はいっ!」
カリンさん、いい返事だなぁ……。
「やああっ!!」
「おせぇ!!」
「ぐぼはぁっ!!」
そして、演劇部での練習。
多少の体力がついた僕は、キョウジ先輩との殺陣の練習に入ったのだが、この頃様相が違ってきた。
最初はキョウジ先輩の乱打を前にただ僕が丸くなって防御するだけだったのだが、それでは練習にならないと言われてしまった。
そして、キョウジ先輩が新たに提案したのが、今のスタイルだ。
「こなくそーっ!」
一度殴られてぶっ飛んだ僕は、めげずに立ち上がってキョウジ先輩へ右の拳を突き出す。
……あ、ちゃんと防具はつけてるよ?
「見え見えだ、レンマ!」
僕の渾身の右ストレートは、しかしギリギリまで引き付けたキョウジ先輩によってあっさりと避けられてしまう。
「らぁ!」
大振りな一撃で体が前傾姿勢になっていたところに、先程の再現のようにキョウジ先輩から拳が飛ぶ。
「ぶべっ!!」
さっきはクロスカウンター気味のストレートが頬突き刺さったが、今度は真下から抉るように上ってきたアッパーに顎をやられる。
「……きゅう~」
脳が盛大に揺れ、僕は意識が遠くなるのを自覚しながら後ろへ倒れ込んだ。ヘッドギアがヘルメットみたいに後頭部を保護するものだったため、後頭部を強く打つことはなかった。
「前から言ってんだろ、レンマ! パンチを闇雲に打っても当たらねぇから、目線やジャブでフェイント入れろってよぉ! そんなんじゃ、いつまで経っても役なんざもらえねぇぞぉ!」
……え? 殴り合いって、演技に必須の技能なの?
僕は朦朧とする意識の中で、キョウジ先輩への突っ込みをしつつ、ゆっくりと立ち上がる。
見ての通り、キョウジ先輩が促したのは、僕からの攻撃から始める殺陣、という形だ。キョウジ先輩から始めたら僕が動かないから、ということでお前がまず動け、とのことらしい。
人を殴るなんて嫌だなぁ、と思ったのは最初だけだった。何せキョウジ先輩ってば、事前の報告なしにカウンターをかましてくるんだもの。どうせ殴られる、とわかると僕は必死に拳を振るった。
それから、僕はずっとキョウジ先輩へ殴りかかっては避けられ、手痛い反撃を受ける、というローテーションを繰り返している。
ある意味すごいのは、僕の殺陣が上達する前に、キョウジ先輩の手加減がうまくなっていることだ。最初は青あざが多くできていたのだが、今では傷痕を残さず痛みだけを僕にプレゼントしてくれる。
一方で、僕の今までの攻撃はキョウジ先輩へ掠りもしない。挑んでは軽くあしらわれるばかりで、上達の兆しさえ見えない。
まず、中学まで運動不足ぎみだった僕に求めるには、ハードルが高い気がするんだ。まともな喧嘩もしたことなかったのに、いきなりの肉体言語は心身ともに堪える。
もう、ここまで食らいついたことくらいは認めてくれてもいいんじゃないかな? と思っている。あれだよ、参加することに意義がある、ってやつで。
だから、そろそろ休ませてほしいな~、なんて思うんですけど、
「おい、そろそろ頭もはっきりしてんだろ? 次こい!」
ですよね~。休憩なんてないですよね~。
恐ろしいことにキョウジ先輩、自分の攻撃がどれくらい効いたか、感覚的にわかるみたいで、回復した頃合いを見計らって僕に声をかけてくるのだ。
確かに、もうめまいみたいな感じはないけど、顎を殴られたんだよ? もうちょっとこっちの身も気にしてくれたっていいじゃないか。
「う、うわあああっ!!」
なんて、面と向かって言えるはずもなく。
僕はもう数えきれないほど行った、無謀な特攻をキョウジ先輩へしかける。
「また真正面からかよ!?」
ヘッドギア越しに、キョウジ先輩の瞳が光る。僕の腕が出る前に叩き伏せようとしてか、すぐに腕が伸びてきた!
「ひいっ!」
僕は情けない声を上げ、目の前に迫る拳を避けるように、顔を横へと背けた。
最初は反射的に目をつむり、何もできずにぶん殴られていただけだったが、キョウジ先輩に怒鳴られたり殴られ続けることによって、目を閉じることはしなくなった。
「なっ!?」
それはさておき、ずっとパンチを見ていたためか、僕は幸運にもキョウジ先輩の攻撃を避けることができた。とはいえ、頬に当たってるから、完全ではないんだけどね。
「えやあっ!」
チャンス! と思い僕は左手でキョウジ先輩の顔面を狙う。もう二度とできないと思えるほどのタイミングで放たれた左のパンチは、初めてキョウジ先輩へのクロスカウンターを実現させた。
「ちっ!」
が、僕の反撃もクリーンヒットにはならなかった。
僕の頬に当たったパンチよりも、はるかに浅いパンチがキョウジ先輩の顔を掠る。僕の被弾が引っ掻きだとすれば、キョウジ先輩の被弾は触れるか触れないか程度の、当たったことすらわからない程度のものだ。
「や、やった!」
でも、僕は攻撃が少しでも当たったことに喜び、思わず声を上げていた。だって、明らかに進歩した瞬間だよ? これが喜ばずにはいられないって。
「動きを、」
隠しきれない笑顔を見せた僕だったが、次の瞬間それも凍りつく。
「止めてんじゃねぇぞぉ!!」
その時は気づかなかったけど、僕はあまりの嬉しさに声を上げるだけでなく、動きまで止まってしまっていたようだ。
それはほんの少しの時間だったのだろうけど、それを見逃す程、キョウジ先輩は甘くはない。
「へぶんっ!!?」
僕の懐へ深く潜り込んだキョウジ先輩は、がら空きだった僕の顎へ、再び強烈なアッパーを打ち込んだ。
情けない声が漏れ、僕は一度目よりも大きく飛ばされて倒れこむ。痛みや飛距離からして、さっきよりも威力が増した、加減のない一撃だった。
「相手を倒してねぇのに、油断すんな! だから倒されちまうんだよ!」
薄れゆく意識の中、キョウジ先輩の指導の声が鼓膜を震わせる。
あぁ、次に目を覚ましたとき、ちゃんと記憶は残ってるのかな?
なんて考えながら、僕の意識は黒一色に染まった。
蓮くんは十分に訓練を受けた熟練の指導者の下、安全に配慮した練習を行っております。どれだけ殴られようが意識を失おうが、健康面に何ら不具合はありませんので、安心して見守ってあげてください。




