第9話 お嬢様の身代わりはデリカシーの欠片もない男だった
焚火がパチパチと爆ぜる前で、ドレス姿の男は美味しそうにタバコを燻らせた。その横ではお付きの少年が、申し訳なさそうに俯いている。
「……つまり、あなたが本当のお嬢様で、この男は雇った護衛ってことですね?」
少年、もとい本当の依頼主であるお嬢様はこくこくと頷く。
「三日くらいは我慢できると思ったんだけどなぁ。酒も煙草もなしは、さすがに無理だったわ」
あははと笑っている男は深く煙を吸い込むと、ゆっくり紫煙を吐きだし、心底美味しそうに「うめぇ」とまた言った。全く、悪びれる様子がないわね。
年齢は二十三、四歳かしら。すごく綺麗な顔をしているわね。透き通るエメラルドのような瞳に、さらさらの金髪。焚火に照らされた肌も透き通るように白いし、黙っていたら美女に見えるかもしれない。
ただし、その耳の先が少し尖っているのを見たら、誰もが彼をハーフエルフ──人と妖精族の混血種族だと分かるだろう。貴族のお嬢様じゃないことだって、すぐにバレるわ。
「フードをかぶっていたのは、顔って言うより、その耳を隠すためかしら?」
「そういうこと。カツラを被って黙ってりゃ、それなりの女に見えるかもしれないが、こればっかりは隠せないからな」
けろっとした顔で耳の先を触った男は、再び煙草をくわえた。
「先に言っておいてくれたら良かったのに」
「そ、それは……」
私のため息に困った顔をしたのはお嬢様だ。
事情があるにせよ、こんな信用を欠くようなことをされるのは、心外ね。
「騙すなら味方から、て言うだろ?」
「開き直らないで。そんな言葉で信用しろって言うの?」
私の顔に不愉快さが滲み出ていたのだろうか。男は苦笑って、それもそうだなと頷いた。
護衛である私達を騙してでも、お嬢様は王都を出ることを知られるわけにいかなかった。そんなとこでしょうけど、その理由を話してもらわないと、納得なんて出来ないわ。
知っていれば、もう少し対応が変わったはずだもの。
「お嬢さん、こうなっちまったら、全部、説明しといた方が良いんじゃないか?」
「……はい。あの、私……家出をすることにしたんです」
「いっ、家出ってどういうこと!?」
「あなた、婚礼前に何を言ってるの?」
突然のことに、黙っていたミシェルが声を上げ、私はおもいっきり顔をしかめた。
「……リーヴは伯父の所領です。そこまで行けば、伯父が迎えに来てくれます」
「待って! あなた、婚礼はどうするつもりなの?」
「結婚相手を決めたのは継母です。私が邪魔になった継母は、私を地方の男爵家に嫁がせようとしているんです」
何度も逃げ出そうと企てたが、その度、妨害にあったことをお嬢様は涙ながらに話し始めた。
聞けば、歳は私たちとそう変わらない十五歳だという。早くに母を亡くし、八歳を超えた頃に父親は再婚。継母は自分と夫の間に生まれた娘を可愛がるばかりで、辛く当たり続けてきたという。
「私には婚約者がいるのですが、その婚約を、妹に代えたいと言い出して……」
「無茶苦茶ね。あなたのお父様は守ってくれないの?」
「……継母は我が家よりも格上の家柄の出なんです」
「だから逆らえないってこと? 酷い話ね」
「ねぇ。婚約を放棄どころか婚約者を代えるなんて、家としては問題だよね」
黙って話を聞いていたミシェルは、真剣な眼差しでお嬢様を見た。
「勿論、婚約者は婚約解消を認めていません。そこで継母は、今回の婚礼を強行しようと……」
「もしかして、相手の男爵家は事情を知らないってこと?」
「それって、大問題だよ! だって、もしも、お嬢様が勝手に嫁いだことにされたら、悪者になっちゃうよ!」
私の言葉に反応したミシェルは真っ青な顔をした。
ミシェルの言う通りだわ。
貴族にとって婚約は家同士の契約だ。それを解消するには相当の理由も必要だし、場合によっては違約金や制裁が発生する。継母はこのお嬢様に、その全責任を擦り付けるつもりなのだろう。
「お嬢様に全責任を押し付けて、男爵家もろとも、あなたを消すつもり、かしらね」
「……おそらく、ご推察の通りです」
おどおどしていたお嬢様は顔を青ざめさせた。膝の上で握りしめているその拳は小刻みに震えている。
「何が何でも逃げなきゃだよ!」
お嬢様の横に座っていたミシェルは、その震える拳の上に両手を添えた。
「必ず、神殿に行こう」
「……ありがとうございます。彼もこちらに向かってくれているはずです。なので、もうしばらく、護衛をよろしくお願いします」
「任せて! ね、アリシア。頑張ろうよ!」
「お嬢様の未来を思うと、そうするしかなさそうね……」
大体の経緯は分かった。
騙されたことは癪だが、王都を抜け出すのを見られないようにするため、必死だったということで、納得するしかなさそうね。
「あなたの婚約者はこっちに向かっているのね?」
「はい。伯父様の援軍と一緒に向かっています」
「その伯父さんは信頼できるの?」
「は、はい! 婚約者のお父様が、伯父様です」
「あぁ、なるほど。これは壮大な内輪もめってことね。外に知られたくないわけね」
うんうんと頷いていると、パークスが私の腕を突いた。彼は、ドレス姿で焚火に当たる男へと視線を向ける。
そうね。まだ問題は残っている。
お嬢様に扮した男を襲おうとした人物がいるということは、この先も妨害されると考えた方がいい。それにどう対処するか、彼ともきちんと話して連携を取らなければならないわ。でも、いまいち信用ならないというか、うさん臭いのよね。
「……襲撃をしたのは、その継母の手先ってとこね」
「ずっと尾行されてたのかな?」
ミシェルの疑問に、男は「つけられてたぜ」と、顔色一つ変えずに答えた。
「あなたは知っていて、それも黙っていたと言うことかしら?」
「あぁ、そうだ。奴らに俺がお嬢様だと印象付けるためにな」
「その身長差で、どうしたら騙されるのよ」
「お嬢さんは長いこと軟禁状態だった。奴らも顔を知らなければ、背なんて何と、どうともすり替えられるさ」
「すり替える?」
「伝言ゲームには気を付けろよ」
にやりと笑った男は、私の目をまっすぐに見た。
継母が直接、怪しい奴らに依頼した訳じゃないってことかしら。彼が何か仕掛けて、その情報をいじったってとこね。マーヴィン司祭が言っていた協力者って、何人いるのよ。
若干、不穏なものを感じた私は、何度目か分からないため息をついた。
「ところで、あなた。名前くらい名乗ったらどうなの。名も告げない人を信じろって言うわけ?」
「そりゃそうだな。俺はキース。見ての通りハーフエルフの剣士……と、この格好じゃ分からないか」
少し尖った耳を触った男キースは苦笑を見せ、ドレスの下から引き抜いた二本の短剣を見せた。どうやら、足に短剣用のホルダーをつけているようだ。
「いつも使うのは、こんな子ども騙しの剣じゃないが、まぁ、ないよりましかと思ってね」
「そう。あなた、マーヴィン司祭とはどういう関係?」
「何度か依頼を引き受けてる程度の関係だ。やれやれ、まだ俺が信用できないようだな」
困ったなと言って笑うキースは立ち上がると、ドレスに手をかけて脱ぎ始めた。
「何やってんの!? 変態!」
「ちょっと、レディの前で脱ぐとか、なに考えてるのよ!?」
ミシェルの叫びと、私の怒りの声がこだました。だけど、キースは動きを止めやしない。なんなの、このデリカシーのない男は!
「どうせバレたなら、俺がこれを着る意味ないだろ?」
「バレたって……」
「煙草を吸ってるとこを見られたからな」
キースは私たちの怒りの意味を全く分かっていないようで、ついにドレスが地面に落ちた。
「あー、やっと軽くなった!」
そう言ったキースをよく見れば、チュニックとズボンをしっかり履いて革の胸当てまでしているじゃない。ドレスの下によく着込んでいたものね。
私とミシェルは同時に安堵の吐息をついた。
「しかし、困ったな。最後まで誤魔化すつもりだったんだけどな」
「自業自得って言葉、知ってる?」
ミシェルがキースに呆れたと言わんばかりの眼差しを向けると、彼は「面目ない」と笑いながら脱いだドレスを丸めた。
「まぁ、幸いなのは当のお嬢さんの変装がバレてないってことだな」
「そうね。でも、ミシェルが魔術師なのはバレたわ」
「そこでだ。提案なんだが、二手に分かれないか?」
突然のキースの提案に、私とミシェルは同時に「はぁ!?」と素っ頓狂な声を上げた。
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