第8話 お嬢様は巻きタバコがお好き?
薪拾いが終わる頃には、すっかり辺りも薄暗くなっていた。
戻った野営地では、ミシェルが愛用の杖の先に魔法の明かりを灯し、獣除けの魔法を四方にかけているところだった。
筆記試験はギリギリだけど、実践ではずいぶん機転の利く子みたい。そう感心していると、その可愛らしい姿からは想像できないお腹の音が鳴り響いた。
「簡単なものしか用意できないけど、夕飯にしようか」
真っ赤な顔をしたミシェルは、うんうんと何度も頷いた。
汲んでおいた水を鍋に移し、裂いた干し肉とレンズ豆を入れてスプーンでかき混ぜる。シンプルだけど、塩漬けされて干されたこの肉から出るうま味が、疲れた体に染み渡るのよね。
「アリシアは料理も出来るんだね」
「こんなの、料理の内にならないわよ」
ひよこ豆と干し肉を鍋で煮ている横で、パンとチーズをスライスしながら笑った。
「干し肉はそのまま食べても美味しいけど、こうしてスープにすることも珍しくないのよ」
「すっごく美味しそう!」
「期待しないでよ。貴族のお屋敷で出される料理とは比べものにならないから」
「そんなことないよ。すっごく楽しみ!」
にぱっと笑うミシェルに苦笑を返し、私はふとお嬢様の方を見た。彼女は特別こちらに興味を示しておらず、じっと薪の火に向かっている。むしろ、その横で少年が私たちを気にして、ちらちらと見ていた。
お嬢様に不味いものを食べさせるわけにはいかないとか、考えているのかもしれないわね。野営の食事に期待されても困るんだけど。
ひと口スープを味見して、私は首を傾げた。
少し塩気が薄い気もするけど、明日にはリーヴに着くし、足りない分はそれから食べてもらえば良いだろう。今は、体を温めてお腹を満たすことが先決だ。
「食べましょうか」
こうして、ささやかな夕餉のひと時を、五人で迎えた。
質素なスープを美味しいと言って食べてくれるミシェルが可愛くて、嬉しさも相まって、思わず頬を緩めてしまった。青空の下だったら、照れて赤くなった顔を晒すところだったわね。
照れ隠しをしつつ、ミシェルから視線を逸らした時だった。お嬢様が少年の耳元で何か囁くのに気付いた。
少年が何度か頷くと、お嬢様は空になった皿を地面に置いた。
もう休みたいのかしらと思ったが、そうではなかった。お嬢様はいつの間にか用意した松明に火を灯すと、それを持って静かに立ち上がった。
「ちょっと、勝手に行動されると困るわ!」
「だ、大丈夫です! あ、あの、その……お嬢様は、お強いので、大丈夫ですから」
「強いって言っても、実践で戦った騎士姫って訳じゃないでしょ!?」
「おっ、お花を摘みに行かれましたので、その……」
私の止める声を気にもせず、お嬢様は茂みに入っていくし、真っ赤な顔をした少年は口籠ってしまった。
女同士だって、用を足している姿は見られたくないし、音を聞かれるのだって恥ずかしい。そんなことは分かってる。分かっているけど、せめてすぐ傍に誰か控えさせないと。万が一、護衛対象に何かあったら一大事じゃない。
急いで追わねばと思い、慌てて立ち上がった私の手を掴んだのはミシェルだった。
「私が行ってくる。アリシアは薪拾いとお料理で疲れたでしょ?」
「でも、ミシェルだって、魔力を使って」
「大丈夫。スープで元気になったよ。任せて!」
杖を手に立ち上がったミシェルは真っ赤なローブを翻して、茂みに入っていった。
それからしばらく、私たち三人は無言のまま焚火を囲んでいた。
「……遅いわね」
「アリシアだって、用を足しに行ったら時間がか──ぐふっ」
「私のことは関係ないでしょ! それに、女の子は時間がかかるものなの!」
デリカシーの欠片もないパークスを殴り倒すし、そうよ、女の子は時間がかかるものよと、自分に言い聞かせた。
だけど、どうしてか不安が込み上げてくる。
ミシェル、早く戻ってきて。──祈りつつ待つことにすぐ限界を感じて、私は立ち上がた。その時、焚火の香りとは違う臭いが風に乗って届き、鼻腔をくすぐった。
「……これは、煙草?」
「俺たちの他に、誰かいるのか?」
「ま、まさか!」
一瞬、脳裏をかすめた敵の一文字に背筋が強張った。
パークスと顔を見合わせた私は、少年の手を引っ張り、三人でお嬢様とミシェルを追うことにした。その直後だ。激しい爆音が響き渡り、私達は二人が向かった方角を振り返った。
◇
お嬢様を追ったミシェルは、彼女を目視すると、すぐさま茂みの陰で動きを止めた。女同士でも用を足す姿は見られたくないだろうと気を遣い、しばらくしてから声をかけようと思ったのだ。
風が吹き抜け、嗅ぎなれない香りがミシェルの鼻腔をくすぐった。
(これは……タバコの匂い?)
お嬢様が巻き煙草を吹かしているのだろうかと不思議に思っていると、茂みの向こうで「あぁ、うめぇ」と男の声が響いた。
聞き間違いだろうかと思いつつ、ミシェルは目を凝らして茂みの奥を覗き込んだ。
松明の火に照らされるのは、長いドレスの裾をまくり上げたお嬢様──いや、その姿は、お嬢様と言うにはあまりにも酷かった。
少し大きな石に腰を下ろして両足を開き、膝に肘をついた格好で、金髪の青年が巻き煙草をくわえている。
咄嗟に茂みを掻き分けて飛び出し、ミシェルは杖を構えた。
「あなた、誰!?」
男の手からぽろりと巻き煙草が落ちた。その見た目は二十三、四歳くらいだろうか。松明に照らされた顔はずいぶんと綺麗だったが、間違いなく男だ。
「お嬢様は、どこ!?」
「ど、どこって……」
わたわたと慌ててドレスの裾を直した青年は自分を指さすが、時すでに遅し。
ミシェルは大きく息を吸った。
「バカにしないで!」
「あ、あ、あ、待て! 話せば分かる!」
「問答無用!」
声を上げたミシェルは杖を強く握りしめると、ぞわりと背筋を震わせた。一瞬だが、魔力の動きを感じたのだ。それは、目の前の青年ではない。
(……後ろ、誰かいる!)
ミシェルが背後を振り返ると同時だった。青年は彼女を庇うように前に出ると身構えた。
視野を遮った大きな背中に、困惑を隠しきれないミシェルが口を開きかけると、青年は「お前、魔術師だったな」と声を潜めて話しかけた。
「俺が言う方角に魔法弾を打ち込めるか?」
「バカにしないでよ。あなたの助言なしでもいけるんだから」
「精度を上げて、確実に撃ち落とせって言ってるの。分かる?」
「……分かったわよ」
「よし。素直なのはよろしい」
肩越しにミシェルを見て、にっと口角を上げた青年は、二時の方角を指さす。
「ここから距離は三十メートルか……だいぶ近づけちまったな。二時の方角、地上からおよそ三メートル、木の上に二体」
さらに、十時の方角に一体、十一時の方角に一体と、青年はおおよその位置を告げていく。
「準備、完了してるよ」
ミシェルの髪が、風もないのにふわりと揺れた。
魔法に詳しくない青年でも、彼女の放つ気配を感じたのだろう。驚いた顔をして彼女を振り返った。
大きくつぶらな青い瞳が、まるで貴族の胸元を飾る宝石のように煌めく。
青年が息を飲むと同時に、ミシェルの頭上に赤い魔法陣が展開した。
「南の空に輝く赤き星よ、我が敵を貫け!」
凛とした号令と共に、いくつもの赤い魔法弾が発射される。それは赤い流星の如く尾を引き、暗い森を貫いた。
木々がガサガサと音を立て、隠れていた影が動いた。向かってくる。
「どんどん、いくよ!」
しかし、反撃を仕掛けようとする影などものともせず、ミシェルの輝く魔法弾はさらに放たれる。それを見た青年は呆気にとられた。
「おいおい……そりゃぁ、ないだろう。数うちゃ当たるって?」
これでは、精度も何もあったものじゃない。そう言いたいのだろう青年は、顔を引きつらせて笑った。
降りしきる赤い流星の中、四つの影は反撃を諦めたのだろう。反転すると森の奥へと消えていった。
「追わないと!」
「深追いはするな。今回の任務は護衛だろ?」
「え、そうだけど。でも……」
肝心の護衛対象はどこなのか。そして、この青年は誰なのか。
分からないことだらけで困惑したミシェルが彼を訝しげに見ていると、青年はふっと息を吐いて破顔した。
「お前、とんでもないな」
さらさらの金髪が風に揺れ、その間から尖った耳がひょっこりと突き出した。
ミシェルが唖然としていると、後方の茂みがガサガサッと音を立てた。それに反応して振り返ろうとすると、再び青年は彼女を背に庇い、ドレスの下から短剣を引き抜いた。
「ミシェル! 今の音は何……って、あなた、誰!?」
茂みから現れたアリシアの悲鳴が、暗闇に響き渡った。
次回、本日13時頃の更新となります
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