第12話 護衛任務、完了
うめき声をあげた男は、その場にしゃがみ込むと脂汗をかきながら荒い息を吐いている。
もう一人の男は、仲間を一瞥すると「くそっ」と毒づきながら、私の腕を強く引いて後退した。この男、仲間を置いていく気だわ。
「……ふざけたことしやがって」
「ふざけてるって?」
じりじりと後退しながら、男の言葉に応えるように聞き覚えのある声が降ってきた。
「それは、女の子に手荒な真似をする方だろう」
「アリシア、遅れてごめんね!」
振り返ると、土壁の陰から馬に乗ったキースとミシェルが姿を現した。
「……ミシェル!」
彼女の笑顔を目にして、安堵にほっと息を吐いた。とたんに足から力が抜けて、私はその場にへたり込みそうになった。
私の腕を掴む男が、何か文句を言っているけど、もう、私の耳には届いていない。
「ミシェル、その嬢ちゃんを頼むぞ!」
「任せて!」
馬上から飛び降りたキースは、私を引っ張る男の懐へと飛び込むようにして拳を突き上げた。だけど、男もすぐに反応し、私を突き飛ばすとその場から飛び退く。
視界の端に、落ちている剣を拾い上げるキースの姿を捉えながら、私は地面に倒れ込んだ。
重たい身体を起こすと、心臓がバクバクと鳴っているのが分かった。たまらずローブの胸元を掴んで、私は深く息を吐いた。
本当は、怖かったんだ。
今更ながらに気づくと、手のひらの震えを感じた。
震えながら振り返れば、キースが男と剣を交えているのが見えた。軽やかな剣捌きから、彼がこういった荒事に慣れていることがよく分かる。
気が抜けた私は、彼らの様子を呆然と目で追うばかりで、追手がもう一人いることを失念していた。
突然、血まみれの手が視界に入ってきた。
「この、クソガキが!」
真っ赤な手が伸ばされる。
捕まる!──瞬間、私は反撃することなんて思い浮かばなかった。
反射的に硬く目を瞑っていた。だけど、いつになっても私を掴む手は感じられず、代わりにドサッと何かが倒れる音が耳に届いた。
「アリシア、大丈夫? ねぇ、アリシア!」
声がかけられて仰ぎ見ると、杖を両手で持ったミシェルがいた。その足元では男が気を失っている。
「……ミシェル」
「えへへっ、杖で殴っちゃった。先生に知られたら、怒られちゃうかな」
笑って誤魔化すミシェルは、落ちている私の杖を拾い上げ、差し出しながら「もう大丈夫だよ」と言った。
受け取った大切な杖を握りしめ、私は頷いた。
まずは、気を失ってる男を拘束しないと。それとキースを援護して──辺りを見回した私が、まだ少し混乱している頭を回転させようとしていると、ミシェルが呆れたように声を上げた。
「あーあ、もう! キース、遊んでる」
「え、何?……遊んでる?」
「ほら、見て! あの顔」
ミシェルに促されて向けた視線の先には、男と剣を交えるキースがいた。身軽な彼は、笑いながら男の剣戟を受け流した。純粋に楽しんでいるように見える。
「……笑ってる? 何が楽しいのかしら」
「ああいうのを、不良って言うのかな? 煙草も吸うし、お酒も飲むし!」
「そ、そうなのかな?」
「うん、きっとそうだよ!」
たぶん、キースは私たちより年上だし、お酒やタバコを嗜んでいても何ら問題はないのだけど。
私が首を傾げる横でミシェルは一人納得して、うんうんと頷いている。
何だか全部終わったような顔をしているミシェルの足元で、転がる男が呻き声をあげた。
ひとまず、この男を縛り上げておかないといけないわね。
杖の先を地面に叩きつけると、男の下に魔法陣が浮かび上がる。それを目視して「捕らえよ」と私が告げれば、黒い影が男をぐるぐる巻にして自由を奪った。
「アリシア……もしかして、あっちの男たちにも、それ使った?」
「うん。私の一番得意な魔法だから」
「来る途中に転がっていた男たち、まるで串刺しのようだったよ」
「とっさに放つのに、道に繋ぎ止めるイメージがカカシしか出てこなくて」
「カカシ……張り付けになった罪人かと思った」
「うっ、イメージ力をもっと磨かないとね。心が乱されたり、思考が乱れると発動させるのも難しいって、今回のことでよく分かったし、実践はまだまだね」
「そんなことないよ! それに、こいつらは罪人も同然じゃない……もう少し早く合流できたら良かったよね。ごめんね」
「ミシェルが謝ることじゃないわよ!」
しょんぼりと肩を下げるミシェルの手を取って笑うと、少し離れたところから「おい!」と私たちを呼ぶ声が聞こえた。
「喋ってないで、援護しろ!」
「それが人に頼む態度!? この、不良ハーフエルフ!」
杖をどんっと地面に叩きつけたミシェルの頭上に真っ赤な魔法陣が現れた。
これを詠唱なしで呼ぶあたり、彼女は本当に凄いなと思いながら、私はキースと男に降り注ぐ魔法弾の雨を眺めて笑った。
ミシェルの魔法弾によって気を失った男を縛り上げていると、馬の嘶きが聞こえてきた。顔を上げると、十数名の騎馬隊が近づいてくる。
その中に、騎士と思われる青年と共に馬にまたがるお嬢様の姿を確認できた。
「良かった! 無事に合流できてたんだね」
「そうね……」
ミシェルの言葉に頷きながら、私はパークスの姿を探していた。すぐに見つけることが出来て、無意識にほっと息をつくと、横のミシェルが「良かったね」と、私の顔を見て笑った。
本当に良かった。二人とも無事で。
すぐ側で停まった馬から降りた青年が、お嬢様の許嫁なのだろう。彼女に手を差し伸べてエスコートする姿も様になっていた。
「皆様のご助力、感謝します」
「無事に合流できて良かったね!」
「はい。ミシェル様、昨晩は励ましてくださり、ありがとうございました」
「そんな大したこと言ってないよ」
ぶんぶんっと勢い良く頭を振るミシェルは「幸せになってね」と加えて言うと、屈託のない笑みを見せた。心から、二人の幸せを願ってる。そんな感じの笑顔だわ。
貴族に対して臆せず話しかけたり、簡単に祝福の言葉が出てきたり──ミシェルも貴族なんだな、と思っていると、肩をとんとんっと叩かれた。
振り返ると、ドレスを脱いだパークスがそこにいた。彼はばつの悪い顔で髪をがしがしとかき乱す。
お嬢様に言葉をかけることも忘れ、私は安堵の息をついて彼に向き直った。
「パークス、どこも怪我してない? あの後、何もなかったの?」
何もなかったから、お嬢様は騎馬隊を連れてここまで戻ってきたのだと頭で分かっていながら、元気のないパークスの顔を見ると少しの不安がよぎった。
もしかしたら、見えないところに怪我でも負っているんじゃないかしら。
彼の全身を見るようにきょろきょろしていると、特大のため息が降ってきた。
「ねぇ、アリシア……やっぱり、残るべきは俺だったよ」
「何の話?」
「殴られたでしょ。顔、腫れてる」
パークスに指摘され、じわじわと頬が熱を持ち始めた。今まで、殴られたことをすっかり忘れていたのに。
「旦那様に、怒られるな」
「私が決めたことよ。お父様には文句なんて言わせないわ」
「はぁ……アリシアは、もう少しバンクロフト商会の名前の重さを理解すべきだよ」
「何よそれ」
「次からは、危ないと思ったら俺が動くからね」
ぼそぼそとそう言うパークスは、捕縛された男達が連行されるのを見ながら「喧嘩は苦手だけど」と零した。それに笑って「知ってる」と返すと、彼は私に手を差し伸べた。
「疲れたよ。帰ろう」
私よりも大きな筋張った手をしっかりと握り、大人しい馬の背に跨った。
王都フランディヴィルを発った時、パークスの背をイライラして見ていたことを思い出す。だけど今は、彼の胸に背中を預けている。
背中に感じる鼓動が、何だか不思議だわ。そこに感じるぬくもりがくすぐったくて、胸もざわめいる。
何か、話さないと。言葉に困っていると、ミシェルが私を呼んだ。
「アリシア、ねぇ、聞いて! キースったら酷いんだよ!」
首を巡らせると、私が乗ってきた馬だろうか、その背にミシェルが跨がっていた。その可愛らしい唇をちょっと尖らせて不満そうな顔をしている。
「ど、どうしたの?」
「私のこと、お子様だって言うの!」
「どう見たってお子様だろう?」
もう一頭の馬に跨がるキースはちらりとミシェルの胸あたりに視線を落とした。この男、本当にデリカシーがないわね。
「ミシェル、あなたの魅力が分からない男なんて放っときなさい。あなたの魅力は胸のサイズなんかじゃないわよ」
「え、胸?」
励ますつもりで言った台詞に、ミシェルは首を傾げて瞬くと、ついっと下を向いた。
ややあって、ミシェルの肩が震えだした。
「……キース、そういうこと? 信じらんない! 変態!」
「おい、こら、待て。俺は胸のことなんて言ってないだろうが! ちっこいのにお前の魔法は凄いって、褒めただけだ!」
「また、小さいって言った!」
「だから、違っ──!?」
ミシェルの背後に魔法陣が展開し、キースの顔が青ざめ、馬が嘶いだ。
「失言だったようね」
「……アリシア、後でキースに謝った方が良いと思うよ」
流れ飛ぶ魔法弾から逃げるようにキースは馬を駆り、その後を怒りの形相のミシェルが追いかけていった。
こうして、私の初めての護衛任務は幕を下ろしたのだった。
最終回は、本日15時頃の更新となります
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