17 誤算
「おいおい。ちゃんと、経緯を説明してなかったのか?」
イーサンは後ろから付いてくるいかにも怪しげな男性を振り返り、隣を歩く私も帽子を被り挙動不審の彼を確認すると笑いを堪えきれなくて吹き出した。
「……してるわ。けど、多分もうすぐ怒られて帰ると思うので、少しだけ我慢して」
王都の大通りを歩いてデートしている私たち二人は、露店で立ち止まったり、買い物を楽しんでいたんだけど、どんなに変装しようが背が高く見栄えの良い目立ちすぎる男性を見逃してしまえるはずもない。
けれど、ご多忙な王太子ギャレット様は正午より来客があるはずなので、護衛騎士という名のお世話係ガレスに首根っこを掴まれて帰って行くはずだ。
もし、何かあれば国際問題にも発展してしまいそうなあの人が、何故こんなにも自由が許されているのかというと、ただ単に本人が単体でも強過ぎるからだと思う。
「午前中から始めて、午後三時には帰る学生のような健全過ぎるデートだぞ。ローレンの婚約者は、流石に心配性が過ぎないか? ……そういえば、あいつは君の行く先々に先回りして居たな……会いたいのに、ローレンは気まぐれにしか近寄らないので、焦れていたんだろうな」
私たちが以前共犯者だった頃の話をしたので、イーサンに聞いてみたいと思っていたことを思い出した私はこれは良い機会だろうと口にした。
「ねえ。イーサン……私って、ギャレット様を情熱的にお慕いしているから、家に多少の難があろうが、なんとか彼の婚約者になれたという触れ込みだったでしょう?」
「いや、本人が触れ込みって言うなよ。まあ、そうだったな。傾いていたメートランド侯爵令嬢をどうにか婚約者にするために、王妃は良くわからないことを理由にしたよな」
「そして、私って……あの、バイロン家のペルセフォネ様に、必要以上に近寄るなと言われていた……んだけど」
察しの良いイーサンは苦笑しながら、隣を歩く私のことを見た。
「ああ。ローレンがなんとなく言いたいことはわかった。男は謎の多い女性が気になるもんだ。口にしていることと態度が真逆だと、どうしてなんだと気になってしまうだろうな」
「それに、私とイーサンの二人はそんな時期に、やたらと近付いた。貴方が興味本位で近づいて来たせいでだけどね……」
本当にヒヤヒヤとした闘技大会を思い出し、私はイーサンを軽く睨んだ。
「ベストなタイミングでの、恋敵の登場だろ? ギャレット殿下にとってしてみれば、自分の婚約者で気になっているローレンは、決して自分の思い通りにはならないし、別の男とは仲良さそうにしている。それはそれは、上手い具合に恋に落ちただろうな」
「……ねえ。ほら。私って結局、ギャレット様に好かれるために、何かと動いたみたいでしょう?」
「ぶはっ……わははは。確かにそうだな。全部が全部、あの王妃とペルセフォネの思惑と逆になったな。ざまあみろだ」
イーサンはそれを聞いて気持ち良いくらい大笑いし、その時になんとなく二人で同時に後ろを確認したらギャレット様は居なかった。仕事しに行ってしまったみたい。
お仕事が忙しいのに、悪いことをしてしまった。けど、こういう行動にも彼の愛情を感じて、心が温かくなる。
「……え?」
視線を正面に戻した私はとある人物を前にして、思考停止してしまった。彼がこんな場所に居るなんて、全く思いもしていなかったからだ。
「ん? ローレン。知り合いか? あの人は……かなり、顔色が悪いようだ。倒れそうじゃないか?」
イーサンの言葉の通り、頼りない足取りで周囲を見回していた彼の体はぐらりと傾いだ。
「っ……! お父様!」
思わず彼を呼んだ声が、悲鳴のようでもあった。私が走って駆けつけると、お父様は焦点の合わない目つきでクインの名を呼んでいた。
「クインが……クインが居ないんだ……連れて行かれた。どこにも居ない。僕の息子なんだ」
「……クインが? 居なくなったって……お父様? どういうことなの?」
今は弟クインは、貴族学校へ通っている時間のはずだ。だから、お父様がここでクインを探しているのはおかしい。もしかしたら、お酒を飲み過ぎて錯乱状態になっているのかもしれない。
「ローレン。これは……おかしいぞ。対処しないと危険だ。すぐに医者の元へ連れて行こう。おい! こっちに来い!」
お父様の様子を見たイーサンが、彼の用心棒として雇われている何人かを呼んだ。屈強な男性が二人でお父様を運び、イーサンが乗ってきた馬車へと運び込んだ。
共に乗り込んだイーサンと私は、とにかく楽な姿勢になるようにとお父様の体を動かした。
イーサンは何を思ったのか、お父様の長袖を捲り上げ、厳しい表情で言った。
「おい。ローレン。これで何も思わなかったのか。彼の様子はおかしい。こうなってしまうまで……気がつかなかったのか?」
「え? ……お父様はお母様が亡くなって……賭け事に嵌まり、お酒に頼るようになったわ。それから私は借金取りが家に続々と来るようになって……お父様はそんな時にも、賭け事を……だから、だから私……」
イーサンは泣きそうになった私に対し、これは言い過ぎたと思ったらしい。何度か大きく息をつくと、ぐったりとしていたお父様の肘の裏あたりを指さした。
「君は、そうか。育ちが良いからな。見たことがなかったのから仕方ない……ローレン。落ち着いて聞くんだ。見ろ。お前の父は、誰かに注射を打たれている。だから、今まで変だったんだ……何故だ。メートランド侯爵家は、誰かの恨みを買うような家系ではない。先代までは堅実な領地経営と、派閥に与せぬ貴族として政治的にも信用があったはずだ。何故だ」
「……お父様……そんな……」
イーサンの緊迫した雰囲気を見ると、それは致命的な間違いだったのだろう。私……まったく、そんなことに気がつかなかった。
借金を返すことや、領地の経営、クインの世話で必死で……賭け事を繰り返し、酒を飲むお父様をおかしいから、詳しく観察していたかというと、それは違う。それは、出来ていない。
だから……私は共に住んでいたお父様を、見殺しにしていたの?
私が涙を流しているのを見て、イーサンは大丈夫だと落ち着かせるようにして私の背中をさすった。
「悪かった。悪かった……俺は君の状況を知っている。若い令嬢が一人でいきなり母親が亡くなり、父親がおかしくなった。幼い跡継ぎの弟を、それでも守らねばなかなかった。どれだけ追い詰められたか、それを聞くだけで知れる。本当に、悪かった……ローレン」
「いいえ……私だってお父様はおかしくなってしまったと思っていた。けれど、薬を打たれていたなんて思ってもみなかった……イーサン。お父様をこんな風にした犯人を捕まえたい。泣いて嘆いていても、絶対に元通りになんて、ならないもの」
私は袖で涙を拭うと、息を整えてそう言った。そうだ。私はここ数年で、痛いほどに味わったはず。泣いて嘆いていても、事態は何も変わらないんだって。
もし何かが変わるとしたなら、それは自分で変えたいと思った時だけなんだって。
「……なぁ、この人は元々、貧乏子爵家の次男だったよな? 侯爵としての仕事は置いておいても、妻がなくなったから賭け事にはまった? ……では、彼に賭場を教えたのは誰だ? 賭場は大体紹介制だ。誰か知り合いが居ないと入れない」
それまでにお金を使えなかったのに、自由に使えるようになったから妻が亡くなったから賭け事に嵌まってしまった。そうだ。私はそう思っていた。
……けれど、こうして薬を打たれていたとわかれば、話は違ってくる。もしかして、酒浸りも判断能力を奪って……? 嘘でしょう……。
「あ……お父様は、そうね……お母様が居た頃は、真面目だったわ……そうよ。賭け事を誰から紹介されたのかしら?」
「おい。ローレン……これは、俺たちの思っていたような、単純な話でもなかったんじゃないか?」
「え?」
イーサンの言った言葉が今ひとつ理解出来なかった私は、ぽかんとしていたと思う。
確かに……お父様が賭け事やお酒に溺れたのが誰かの思惑だとするのなら、色々と話は変わってくる。
「なあ……ローレン。確かに借金苦に喘ぐ貴族令嬢は、とても少ない。君はとても珍しい存在だったことは、誰もがそう思うだろう。だが、借金させること自体は可能だ。頼れる先代が居ず、家長さえ……腑抜けになれば」
「待って……すべて、これは仕組まれていたということ? 待って。だって、こんなことをしてどうなるの?」
「君もさっき言っていたじゃないか。まるで……向こうの思惑とは逆にローレンを好きになるように、なっていたと……もし、これが……思惑通りなら? ローレンは今やギャレット殿下の、唯一にして最大の弱点になった。これまで、彼は大事なものは持たなかった。何故かというと、早くに母親は亡くなり、興味を持ったのは剣術だけだ。彼を殺せる者は……世界でも、そうはいまい」
「嘘でしょう。それは……確かにそうだわ。ギャレット様には、これまで、弱点らしい弱点はなかった。けれど……どうして、そんな面倒なことを?」
「……俺の予想だが、確実にギャレット殿下を始末するためじゃないか。今ならば、完全に油断している。王妃は、なぜあれだけ落ち着いていられるか? 思い通りになっているからだ。そうだ。泳がされることも予想していた。だが、おそらく、犯人の唯一の誤算が……この人だ」
「お父様が……?」
「ああ。居なくなった息子を探しに、薬を打たれながらも、必死でここまで来たんだ」
「そんな……お父様……ごめんなさい。本当にごめんなさい」
ずっと、誤解をしてた。
綺麗な顔だけで何も出来ない人なんだって、けれど息子のクインが居なくなって……だから、こうして必死で逃げてくれたんだ。
今までのすべて、お父様のせいだって思ってた。けれど、それも……全部、何もかも誤解だったのかもしれない。
「良いか。ローレン。これからは慎重に動くんだ……犯人は最後の仕上げをするつもりだぞ。君の家族は利用されたんだ。弟の命を救うために、行動に細心の注意を払え」
イーサンは走る馬車の中、まるで犯人に聞こえては大変だと言わんばかりに声を潜めた。
それが冗談になんてならないくらいに、今私が居るのは深刻な事態であるのは間違いなさそうだった。




