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17.ケーゴとユズル2013‐2014(2)

 何も持っていないと思っていたが、女性はポケットにスマホは持っていたようだ。どこかに電話をして「また後で」みたいなことを、今度は日本語で言っていた。


 さっきのは……聞き違いだったのだろうか。

 いや――そんなことはない。


 わたしと女性は神社の境内にある、ベンチに腰かけた。

 蝉の声が鳴り響いている。今日は気温が高いが、ここは木蔭も多く、風通しも良いのでかなり涼しく感じる。


「あの……私、上条朝日(かみじょうあさひ)、といいます」


 女性がぺこりと頭を下げた。


「あの……中平さん。さっき、石段をすごいスピートで上がってきましたよね? 私、てっきり若い人がジョギングでもしてるのかと思ったから……びっくりしちゃいました」

「ははは……。わたしはこれでも昔、警察官でしてね。足腰には自信があるんですよ」

「そうなんですか……警察官。大変なお仕事ですよね」


 警察という言葉に変な反応をすることもない。やはり、犯罪者とか……そういう類ではないようだ。

 しかし……。


「もう二十年近く前の話ですけどね。今は……この山奥でのんびりと暮らしています」


 わたしがそう言うと、朝日さんは「そうなんですか」と相槌を打ったものの、神社の境内をキョロキョロと見回した。

 何かを探しているのだろうか? 妙に落ち着かない様子だ。しかし、わたしを警戒しているという感じではない。

 ひょっとしてここがどこだか分かっていないとか……?

 ――例えば、あの大木から急に現れた、とか。

 わたしは思い切って探りを入れることにした。


「いえね、この神社には定期的にお参りに来てるんですが、若い人がいたことはないのでね。ちょっと驚いてしまって……年甲斐もなく張り切ってしまいました」


 朝日さんは笑顔のままだったが、ピクリと震えた。

 わたしは話を聞いたとも様子を見たとも言わなかったが……多分、ひっかかるものがあったに違いない。

 つまり、さっきの誰かとのやりとりには――隠さなければならない重要な意味がある、ということだ。

 ……しかしそれにしても……何と言うか、嘘のつけない素直な女性だ。


「お孫さん、都会で働いてらっしゃるんですか? さっき、帰ってくるって……」


 朝日さんがさっと話題を変えた。……わたしの推測は、どうやら間違いではなさそうだった。


「いえいえ。地元の……T大の一年生ですよ。ここから通うのは不便だから、市内にアパートを借りてるんです」

「……なるほど……」


 朝日さんは何かを納得したように何度も頷くと、ちょっとホッとしたような顔をした。

 もう辺りをキョロキョロすることもなく、落ち着いている。

 多分、わたしの台詞から今居る場所がわかって……安心したのだろう。


「朝日さんも……大学生ですか?」

「えっと、まあ、そうです。……でも、どうしてですか?」

「平日の昼間に、二十歳ぐらいの女性が友人の家に来るとしたら、社会人ではないでしょう。夏休み中の学生さんしか考えられない」


 わたしがそう言うと、朝日さんは「えーっ!」とものすごい叫び声をあげた。そして何故かとても嬉しそうな顔をした。

 予想外の反応だったので少し驚いていると

「そんなに若く見えてたなんて嬉しい! 私……二十五歳なんです。ちなみに、子供もいます」

と言って、とてもにこにこしていた。


「えっ……」


 今度はこちらが驚いてしまった。


「でも、大学生って言ってませんでしたか?」

「えっと……正確には、大学院生です。完全な脛かじりなんです」


 朝日さんはそう言うと、ちょっと恥ずかしそうに笑った。


「いろいろあって高校中退になってしまったけど、頑張って高認とって、勉強して。で、一年遅れてしまったんですけど、大学は医学部に入ったんです。それで医師免許も取ったんですけど、私、将来やりたいことがありまして。それで……理学部に入り直したんです。今、修士の一年です」


 若く見られたのがよっぽど嬉しかったのか……にこにこしながら話している。

 しかし、こんな見知らぬ(じじい)にそんなことまでペラペラ話していいのだろうか。

 他人事ながら、わたしは少し心配になった。


「やりたいこと……?」


 わたしが何気なく聞き返すと、朝日さんはちょっとハッとしたあと

「それは……内緒です」

と言って「あはは」と少し困ったように笑った。


 高校中退と言っていたが……ひょっとして、その時に颯太のように異世界に飛ばされてしまった――そういう可能性もあるのではないだろうか?

 しかし彼女は日本に帰ってきている。だとしたら、颯太も帰ってこれるのでは……。


「この神社……何だか、とても不思議な場所ですね。今度……(あきら)も連れてこようかな」


 朝日さんは独り言のように呟いた。

 暁とは……多分、お子さんの名前なのだろう。

 ひたむきで、一生懸命で、子供を抱えながらも目標に向かって頑張る、まっすぐな女性なのだということはよく分かった。

 ――ひょっとすると、真正面から聞いた方が……正直に答えてくれるかもしれない。

 わたしは覚悟を決めると、朝日さんに微笑みかけた。


「朝日さん」

「はい?」


 自分の心臓の音が、やけに近くで聞こえる気がした。


「――ジャスラという国……ご存知ですか?」




 ザザザ……。

 神社の木々の葉が風に揺られて、涼しげな旋律を奏でていた。


「……え……」


 朝日さんの顔色が、明らかに変わった。

 ――なぜ、この老人が急にこんなことを? 

 そう考えたであろうことが、手に取るようにわかる。

 間違いない。彼女は――ジャスラを知っている。


「じいちゃん! やっぱりここにいたかー!」


 急に石段の方から声が聞こえ――わたしはハッと我に返った。

 振り返ると、十馬が石段を登って来たところだった。

 少し後ろから、ユズルくんも登ってきた。


「……十馬……」

「今日帰るって言ってあったのに何で出かけてるんだよ。探しちゃったぞ」

「ああ……悪い、悪い」


 十馬の前でジャスラのことを聞く訳にはいかない。

 わたしは諦めて、ベンチから立ち上がった。


「え、あの……」


 朝日さんが少し慌てて立ち上がった。多分、ジャスラの話が断ち切られたから、焦っているのかもしれない。


「さっきの……」


 彼女が何か言いかけようとしたので、私は少しだけ首を横に振り、目を逸らした。

 聞きたいのはやまやまだが、今は無理だ。


「……」


 何かを察したらしく、朝日さんはそれ以上何も言わなかった。


「――じいちゃん……ナンパしたの?」

「こら、何を言う」


 わたしよりかなり背が高い十馬の頭に、伸びあがって拳骨をする。


「イテテ……」

「失礼なことを言うな」

「だってさ……」

「ちょっと話し相手になってもらってただけだ」

「いや、それって……」


 朝日さんはくすくすと笑うと

「こんにちは。上条朝日と言います」

と言ってぺこりとお辞儀をした。


「中平さんのお孫さんですよね?」

「あ、そうです……。中平十馬です。じい……祖父がお世話になりました」


 十馬は律義に答えると、お辞儀をした。


「こっちは俺の友人のユズ……高坂譲(こうさかゆずる)です」


 十馬がユズルくんを紹介する。しかし……ユズルくんは呆気にとられた顔をしたまま、ぴくりとも動かない。

 内気な子ではあったが、挨拶ができないような子ではない。何か様子が変だ。


「ユズ? どうした?」


 十馬がユズルくんを揺すると、彼はハッと我に返り、慌ててお辞儀をした。


「あ……すみません、ちょっと考え事……してて……」


 そう答えたものの、まだ上の空だ。

 朝日さんの方を見ると、彼女の方はいたって普通だった。つまり、ユズルくんとは面識がない。本当に今、初めて会ったのだろう。

 じゃあ、ユズルくんは何でこんな態度なのだろう?


「えっと……私、そろそろ帰りますね? 友人も戻ってくる頃なので……」


 朝日さんはそう言うと、にこりと笑った。

 どうにか話す機会を作りたかったが……十馬もいるし、これ以上引き止めるのもおかしい。

 諦めて溜息をつくと


「――そうだ。中平さん、年賀状出しますね。せっかく、お知り合いになれたんだし」


と言って朝日さんがスマホを取り出した。

 どうやら、十馬の前では話せないというわたしの事情を察してくれたようだ。


「……ありがとう。とても嬉しいよ」


 わたしはそう言うと、朝日さんに住所と電話番号を教えた。彼女は登録すると

「それじゃ、また」

と言ってにっこり笑った。


「……ああ。本当に……ありがとう」


 わたしがもう一度お礼を言うと、朝日さんは十馬やユズルくんにも手を振って、そのまま歩いて去っていった。


 石段から彼女の姿が見えなくなると、十馬が

「じいちゃん、何かあったの?」

と不思議そうに聞いた。わたしと彼女の間の奇妙な雰囲気が気になったようだ。


「いや……。ただ、今どき珍しい、素直なお嬢さんだったよ」


 わたしがそう答えると、十馬は「ふうん」と呟いて、分かったような分からないような顔をしていた。


 そういえば……彼女の連絡先を聞くのを忘れてしまったな。

 でも……きっと、どうにかなるだろう。

 この出会いが、わたしとジャスラを――そして、十馬と颯太を、再び繋げてくれるに違いない。



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少女の前に王子様が現れる 想い紡ぐ旅人
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其々の物語の主人公たちは今 異国六景
いよいよ世界が動き始める 還る、トコロ
其々の状況も想いも変化していく まくあいのこと。
ついに運命の日を迎える 天上の彼方

旅人シリーズ・設定資料集 旅人達のアレコレ~digression(よもやま話)~
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