37◆アレが始まる
『魅惑のコースター』と『蠱惑のコースター』が飛ぶように売れる中、そのアイテムを開発した俺の名前も冒険者の間で徐々に浸透してきた、らしい。
前に『自動回復薬』を作ったときは、アイテムショップなど業界の一部で名が知られるようになっただけだった。
けど今回は銀行の依頼を達成し、主にサマンサさんが顧客の冒険者に俺の功績を吹聴したらしく、口コミで広まったそうな。
というわけで、俺のお店には連日、ちょろちょろと武具やアイテムを強化してほしいとの冒険者が訪れるようになった。
今もちょうど、血気盛んな若い男性と商談中である。
Cランクに手が届きそうな剣士で、『銅の剣』を強化したいと持ってきた。
カウンター越しに、まずはヒアリング。相手の情報をゲットする。【解析】スキルで知っているんだけど、それは秘密にしているので。
「なるほど。お客様は【火】属性ですか。では、相性の良い【火】で強化するのがよいですね。【土】も加えると強度も増します。ご予算はオーバーすると思いますけど、『炎の銅剣』に進化させてみますか?」
「なんだよ、おい。進化させるとこまで強化できんのかよ。いいね、やってくれ! って、予算オーバーってどんくらいなんだ?」
「えーっと、ですね……」
俺は紙束を取り出した。
この街での武具やアイテムの標準的な値段が一覧で記されているものだ。ぺらぺらとめくり、『銅の剣』と『炎の銅剣』の値段を調べ、それらの差額よりちょっと下の金額を提示した。
「け、けっこう高いな……。なあ、もうちょい安くはなんねえか?」
「そういわれましても、こちらも商売ですので」
「でもよう、これならもうちょい金を積んで『炎の銅剣』の新品を買ったほうがマシだぜ」
提案した俺もそう思う。
でも、彼が持っているお金は有限だ。
今後どれくらいの期間でどのくらい稼げるか。装備を変えた場合とそうでない場合を比較し、どう判断するかは彼にかかっている。
ただどうやら彼は今回、ちょっと性能を上げたいくらいの軽い気持ちでこの店に来たらしい。
ならば、と俺は紙とペンを取り出し、さらさらと書いていく。
「進化までいかず、性能を上げるだけなら、この値段でもできますけど」
強化後の性能やHPの増加を図示し、金額を記す。
「んーーー、これなら、文句はねえんだが……」
当初の予算どおりで、満足できる強化ではあるのだろう。
ただ、それほどお得には感じていない様子。
ぶっちゃけ剣を一本強化するだけなら、大して労力はなく、すぐにできる。
その意味ではかなり安くできるのだけど、俺は一般的な料金と変わらない値段設定にしていた。
理由はいくつかある。
この街で商売を続けるうえで、同業者(専門はいないが大手のアイテムショップは強化も扱っている)に負けてはいられない。でも、あまりに安く設定すれば、価格崩壊が起こり、他店に目を付けられるだろう。
他店はライバルであると同時に、同業の仲間でもあるから、余計な軋轢は生みたくなかった。
また、俺のところに依頼が殺到すると、とても俺一人では対応しきれない。前みたいに過労で倒れてしまいかねないし、依頼してくる人にも待たせて迷惑をかけてしまうだろう。
今は『自動回復薬』や『魅惑のコースター』を定期的に卸しているから、そちらをメインに、飛び込みのお客さんは一定以下に保つ必要があった。
でも、わざわざお店に来てくれたお客さんを、失望させたくはなかった。
だからこの店独自のサービスを俺は考えたのだ。
「でしたら、一度こちらの強化をお試しになって、将来余裕ができたら進化までもっていく、という方法はいかがでしょうか?」
何かしら強化されたアイテムは、それを一度解除しなければ再強化は行えない。
でも【アイテム強化】のランクSである俺は、簡単に行えるのだ。
「んなこともできんのか? でも、余計に金がかかっちまうだろ」
「トータルでは手数料程度しか変わりませんよ」
「マジで? だったらそっちのがいいな。なんだかんだで、こいつは俺の手に馴染んでる。新品を買うより安上がりだし、そうすっか」
強化の分割。このサービスはこの店独自のものだ。
手数料はいろいろごまかすためのものだから最小限にとどめている。けっこう好評なサービスなのだ。
「ありがとうございます」
「んじゃ、よろしく頼むぜ。いつできる?」
男性はにかっと笑って『銅の剣』を俺に差し出した。
「作業はすぐに終わります。ちょっと待っててください」
俺は剣を受け取り、奥の作業スペースへ引っこんだ。
ちょちょいと強化し、しばらくぼけっとしてから、お店に戻る。
「もうできたのかよ!? 仕事はええな……」
このスピーディーさも俺の強みではある。まあ、今日はノルマを終え、余裕があるからなんだけど。それでも翌朝までの仕上げと謳い、今のところ厳守している。
「今後ともご贔屓に」
『ギリカ』でしゃりーんとお金をいただき、剣を渡した。
男性は喜び勇んでお店を出て行った。
ふぅ、とひと息つく。
「商売は順調のようだのう」
背後からの声にぎょっとして振り向くと、クオリスさんがしなを作って立っていた。
「おかげさまで好調です」
俺は勝手に入ってきたのを咎めることなく応じる。この人には今さらだし、べつに困ることもないしね。
クオリスさんは壁に背を預け、大きな胸を持ち上げるように腕を組むと、
「しかし、評判がよくなれば依頼も増えような。一人では手が回らなくなるのではないか?」
「無理はしないようにしますよ。手が回らなければお断りするつもりです」
お客さんには申し訳ないけど、断ったら他の店に行くだけだろう。【アイテム強化】のランクがそこそこ高い職人さんは何人か調べていて、そっちを紹介することも考えている。
人の世は持ちつ持たれつ。
そうやって同業者の利益に貢献していれば、逆にこの店を紹介してくれたり、別の儲け話を持ちこんでくれたりが期待できるしね。
「ふむ。よく考えておるではないか。商売人としても成長しておるのだなあ」
しみじみと満足そうにうなずくクオリスさん。褒められてちょっと面映ゆい。
ところで、さっきから気になってたんだけど。
「クオリスさん、顔色が悪くないですか? なんだかお疲れのような……?」
失礼ながら【解析】で見たところ体に変調はない。パッと見もふだんと変わらないように思えるけど、壁に背を預けるところを見たことないし。
「む? そうであるか? ふむ、たんにいつにもましてやる気が――!」
ん? クオリスさん、『なんかひらめいた!』って顔をしたぞ。そしてふらふらと俺に寄ってくる。
「そうなのだ。今朝から何やら体が重くてのう。これはぜひ介抱してもらわねば~」
むぎゅっと俺にもたれかかってきた。
「だ、大丈夫ですか?」
抱きとめると、「ダメかもだ~」とクオリスさんは大きな胸を俺に押しつけてきた。
相変わらずやわっこいな……っと、いけない。ステータス上は健康そのものっぽいが、弱っている女性に対して劣情をもよおすのは人としてどうなのか。
とにかく、彼女の家(お隣)に運ぼうとしたときだ。
「ただいま戻りました~……」
店の入り口からセイラさんが現れた。こちらもちょっとお疲れっぽい。というか、顔が赤い。俺たちが抱き合っているのにも気づかず、ふらふらと店内に入ってくる。
「どうした、セイラよ。発情でもしておるのか?」
「してません! というか、あなた方こそ何をしているんですか!?」
クオリスさんが変に呼びかけたものだから、ややこしいことになってきたぞ。
「我はこれからアリトに介抱してもらうのだ。そなたもしてほしいなら、順番は守れよ?」
「介抱って……クオリスさんもですか? 珍しく重なるものですね。ダルクさんもアレが始まったみたいでしたし」
「なに? ダルクも、だと?」
クオリスさんの表情が素に戻る。ふむ、と俺にひっついたまま何やら考え事を始めた。
やがて、俺の顔を一度まじまじと見てから、ぎゅっと腕に力を入れると、名残惜しそうに俺から離れる。
「すこし様子を見に行くか」
クオリスさんはひょいとカウンターを飛び越え、セイラさんの手を取った。
「アリトよ、夜には戻るが、夕食は外で済ませてくる。リィルにも伝えておくがよい」
最近は朝晩の食事時に現れるクオリスさん。そう言って、セイラさんを引っ張った。
「ふぇ? わたくしもですか!?」
「たまにはよいだろう? ではな、アリト」
なんなんだろう? 『アレが始まった』とかなんと言ってたけど……。まあ、女の人にはいろいろあるらしいし、何かあれば通信用の『ギリカ』で連絡が入るだろう。
俺は「気をつけて」と二人を見送るのだった――。





