5-22 助っ人を頼まれた日(その2)~加代のボディーライン~
12時前、JR東中野駅の改札を出た。木村(将司)先輩が先に到着していて自動改札機の少し先の陽が当たる通路の端で待っていた。少し背が丸まってる様だったが、なんか先輩に陽が当たって輝いて見えた。ヨッコ先輩と姉ちゃんと俺は木村先輩に急ぎ足で近づいて、軽く挨拶を交わして、地下鉄大江戸線の入口の手前にある焼きたてパンのレストランに入った。木村先輩以外の3人は紺の通学コートを脱いでスクールバックと一緒に足元の手荷物バケットに入れて座った。木村先輩はどう云う訳かコートを着てなかった。
「翔ちゃん、何にする?」
「定番はフランスパンとクリームシチューらしい。」
「東中野にもこんな店が有るんだね。」と木村先輩。
「再開発のおかげみたいですよ。」と俺。
「温まりそうだから全員それで良いんじゃない?」とヨッコ先輩。
木村先輩は優しい笑顔で、
「そうするか。」
『はい』
「あ、悪い、貧乏学生だから。」
俺は奢ってもらおうなんて少しも思って無かった。なので、その言葉に驚いて、たぶんビックリ目で先輩を見たと思う。ただ、後輩の俺が先輩に奢るのは失礼だとも思った。
「ああ、はい。もちろん『割り』で。」
「すまない。」
ヨッコ先輩がウエイターさんにフランスパンとクリームシチューを注文した。5分も待たないうちに斜めに切ったフランスパン3切れとシチューが出てきた。シチューは熱くてフランスパンを千切ってかき混ぜながら食べた。美味かった。
「マサシ、少しは温まった?」
「うん。でもなんで?」
「寒そうだったから。」
「そっか。コート部室に忘れて来た。」
どうやら木村先輩はヨッコ先輩のメールで慌てて大学から来たらしい。コートを着るのを忘れたみたいだ。ヨッコ先輩が木村先輩を気遣うのが微笑ましく思えた。
「ところで、木村先輩はどうしてボーカルの助っ人を捜してるんですか?」
「ああ、実は僕等のボーカル、ナナちゃんって言うんだけど、風邪で声が出なくなっちゃってね。」
「そうだったんですか。」
「ナナちゃんは学年は同じだけど、実は年上でね。」
「なんだ、姉ちゃんと俺と同じだ。」
「いや、ナナちゃんは進級しない人なんだ。」
「それはなんか意思あるんですか?」
「さあどうだろう? とにかく、大酒飲んで風邪ひいたみたいだ。」
「いつからですか?」
「今朝からなんだ。医者によると、1週間はかかるって事だから、23日には間に合わない。」
「それで加代ちゃんですか。」
「うん。女性で思い付くのは田中さんしか無くてね。」
「そうですか・・・ところで、先輩のバンドは何て言うんですか?」
「ああ、ビート・ストックって言うんだ。」
「へぇー、すみません、どういう意味ですか?」
「特に深い意味は無いんだが、レパが多いってのが自慢かな! ロックから演歌までね。」
「へぇ~凄いですね。それでストックなんですね。」
「まあ、さすがに演歌はスコアが無いとダメだけど。」
「安易な名前でしょ!」
そう言ったヨッコ先輩が笑顔だった。
「いやあ、俺なんかレパ殆ど無いから尊敬します。」
「それはどうも有難う。」
木村先輩はそう言うと例によって包み込むような優しい笑顔になった。
「そうだ、君達もステージに上がらないか?」
「ほんとですか?」
「1、2曲セッションしよう。」
「良いですね。」
「翔ちゃん大丈夫?」
「練習した曲なら出来るよきっと。」
「例えば?」と木村先輩。
「アニソンですけど、『神様のいたずら』とか。」
「ああ、有名だね。OKだけど、クリスマス繋がりを1曲頼むよ。」
「それじゃあ、ホワイトかスノウが付くアニソンてのは?」
「どんなんだっけ?」
「えっと、ホワイトアルバムとかホワイトラブとかスノウハレーションとかパウダースノウ。」
「なるほど、さすが男子高校生だ。良いねえ。R18も入ってる。」
「あ、曲は真面目ですから。」
「じゃ、やってみるか!」
「ほんとですか! 生演のセッションしてみたいです。」
「いつもはどういうユニットなの?」
「アコギとキーボード以外は打ち込みです。」
「そっか。それならいい経験になるかもね。」
「でも、許可が出ればと言う事で。」
「どうして?」
「スタイルKとか学校の外活許可とか。」
「そっか、色々あるもんだね。」
「はい。」
「ねえ、そろそろ行かない?」と姉ちゃん。
「そうだね。」
会計を済ませてレストランを出た。割り勘で。
ナタプロの受付には12時半過ぎに到着した。俺が先頭で、木村先輩、ヨッコ先輩、姉ちゃんの順で階段を上った。入り口の自動ドアが開くと、受付の田代さんが笑顔で迎えてくれた。
「おはようございます。」
「あら、ショウ君、おはようございます。この前は有難うネ。」
「え、何でしたっけ?」
「何言ってるの、明莉ちゃんの事よ!」
「あ、いえ、そんな。」
「翔ちゃん、なんで赤くなってるの?」と姉ちゃん。
「あ、いや、まさか田代さんにこんなに喜んでもらえるなんて思ってなかったから。」
「ショウ君はうちではもう有名人よ!」
「ナタプロで有名人って・・・」
「明莉ちゃんが宣伝してるからネ。」
「なるほど、そう云う事ですか。」
俺の斜め後ろから姉ちゃんも田代さんに挨拶した。
「おはようございます。」
「おはようございます。ハルちゃん。」
俺は先輩2人を紹介しなければと思った。
「あの~、こちらは木村先輩と横山先輩です。」
田代さんが2人を見ると、木村先輩もヨッコ先輩も軽く会釈した様だった。
「木村さんと横山さんですね。・・・木村さんは大学生?」
「はい、私は高田馬場の学生です。」
「そうですか。」
そう言うと田代さんは俺を見て、
「今日は見学?」
「いえ、加代ちゃんと相談事がありまして。」
「そう、それじゃあ4階のレッスン室に行ってみて!」
「はい。」
「良い返事ね! じゃあこれ、4人分。」
「有難うございます。」
俺達4人は受け取ったパスを首にかけてエレベータで4階に上がった。
レッスン室に入ると、左奥の休憩コーナーの姿見の前で『あかま』の3人が床に座ってタオルを首にかけてミカンを食べていた。3人共白とオレンジのレオタードでかなり刺激的だった。
「おはよ~」
と声をかけると、3人共一斉に顔を上げて俺を見た。
「あ、ショウさん!」と円ちゃん。
「師匠! どうして?」と明莉ちゃん。
「あら、思ったより早かったね。」と加代。
俺達4人がスリッパに履き替えて近寄ると、『あかま』の3人が立ち上がった。加代が明莉ちゃんと円ちゃんに、
「紹介するわ、こちらが木村先輩。今は高田馬場の学生さん。それから横山先輩。3年生で、放送部で、木村先輩の彼女さんです。」
加代はそう言うと微笑んだ。
「初めまして、植田明莉です。」
「私、米田円です。」
「よろしく、木村将司と言います。」
「初めまして、横山頼子です。」
挨拶が終わると、1瞬沈黙が流れて・・・皆が俺を見た。
「えっと、加代ちゃん今、時間OK?」
「うん。次のレッスンの先生は2時半頃になるらしいわ!」と加代。
「じゃあ、それまでOKだね。」
「ごめん、30分位はウォーミングアップしないと。」
「そっか。」
「とにかく、此処じゃ話出来ないから6階に行きましょ!」
「そうだね。」
6階に移動しようと加代が入り口に向かって歩き始めると、明莉ちゃんが、
「私も行って良いですか?」
俺は振り返って、
「良いけど、つまらないかも。」
「師匠と一緒ならつまらなくないですぅ。」
「おいおい。何を言い出すのやら!」
「明莉ったら、相変わらずね。ショウ先輩、肉食獣だから気を付けてください!」と円。
「え、そういう意味だったの?」
俺はまあ、悪くないってか嬉しい感覚だが、ふと見ると姉ちゃんがあきれ顔で睨んでいた。結局、6階にはそこに居た全員、つまり、木村先輩、横山先輩、姉ちゃん、俺そして『あかま』の明莉、加代、円の計7人が上がった。6階のエレベータを出た所で、先頭を歩いていた加代が振り返って、
「A-1が取ってあるから。」
と言った。俺は何も考えず漠然と加代の後姿を眺めながら歩いていたと思う。お尻を見ていたとは断じて思いたくない。だから、加代が振り返った時に見えたボディーラインにドキッとした。加代も俺の僅かな心理的反応を目聡く視認したみたいで、ニヤリと意味有り気に微笑んだ。ヘタレの俺には、振り返って姉ちゃんの視線を確認する勇気が無かった。
高めのパーテで仕切られた会議スペースA-1に入ると、3人掛けと2人掛けのソファーを向かい合わせて、その間にローテーブルが置いてあるタイプの応接セットが2セット横に並べてあり、1番奥に、書いた物がコピー出来る電動式ホワイトボードが置いてあった。
木村先輩、横山先輩、加代、姉ちゃんそして俺の5人はホワイトボードに近い方、明莉と円は遠い方の応接セットに座った。当然だが、木村先輩と横山先輩は並んで奥の2人掛けのソファーだ。まず、加代が話を始めた。
「木村先輩が必要な助っ人って言うのは、23日の夕方ですよね。」
「田中さん、その前に、すまないけど何か上に羽織ってくれませんか?」
木村先輩のこの勇気ある発言で、『あかま』の刺激的な格好に、妄想が走り出しそうなのはどうやら俺だけでは無かったと判って、俺はかなり安心した。にしても、木村先輩は大人で優しくて紳士だと思う。ヨッコ先輩が惚れるのも無理はない。
「あら、気が付かなくて御免なさい。ここでは1日中この格好してる事が多くて。」
「加代ちゃん、私のコートを羽織って!」
姉ちゃんが膝の上にたたんで持っていた通学コートを加代に差し出した。
「汗臭くなるかも!」
「大丈夫よ。構わないわ!」
「ありがとう。じゃ借りるわ! 帰ったらファブしてね。」
加代はそれを受け取って1度立ち上がって、袖に手を通さずに肩にかける様に羽織って座った。俺的にはかえってエロくなったと思う。ちらっと横の姉ちゃんを見たが、姉ちゃんも加代を見て微笑んでいた。言い訳に聞こえるに違いないから言いたく無いが、この時俺の右手が加代の感触を思い出したなんて事は断じて無い。
「そうだ私、上着取って来ます。」と明莉。
「私も!」と円。
そう言って、2人共会議コーナーから出て行った。それを見送って木村先輩が話を元に戻した。
「え~と、夕方と言っても、昼過ぎの2時から4時です。」
「お困りなんですよね。」
「はい。今更ピンチヒッターも居なくて。」
「私は個人的にはOKなんですが、小泉さんに予定を確認してみます。」
「ありがとう。よろしくお願いします。」
「あ、小泉さんをご存知ですか?」
「中西君に聞きました。プロデューサーなんでしょ?」
「そうです。まだマネージャーが付く程じゃないんです私達。」
「そうですか。」
加代はポーチからスマホを取り出して小泉さんにメールした様だった。そこへ明莉ちゃんが帰って来た。ナタプロ支給の黒地にオレンジの縁取りのジャンパーを着て、同じジャンパーを手に持っている。背中に蛍光のオレンジ色で文字が書いてある。明莉ちゃんが手に持ったジャンパーを加代に差し出すと、加代は立ち上がってコートを脱いで姉ちゃんに返し、それを受け取って着た。背中の文字は『カ』だった。どうやら明莉ちゃんの背中は『ア』の様だ。この文字、たぶんアイロンで貼り付ける布製だと思う。
「格好良いジャンパーだね。良く似合ってる。」
「そうですか? 嬉しいですぅ~」
明莉ちゃんはくるりと1回転して見せた。予想通り背中の文字は『ア』だった。俺はよせばいいのに、木村先輩の真似で、つい。
「下は履く物無いの?」
「そっかぁ・・・履かないとダメですかぁ?」
「履かなくても良いよ!」
「翔ちゃん、ダメよ!」
「へいへい。」
「揃いのパンツありますけど、暖房が入ってて暑いんですぅ。」
「分ったから。」
明莉は怪訝な顔で会話の意味が解ってない様だ。
「何ですかぁ?」
「翔ちゃん得意の妄想よ!」
「なぁんだ! 師匠ならゼンゼンOKですぅ~」
「あのなあ!」
俺は溜息が出そうになって、ゆっくり1つ深い息をした。こう云う展開になるって所が木村先輩と俺の実力の差なんだと思う。するとヨッコ先輩が俺を見て、
「師匠? さっきも言ってたけど、何の事?」
「あ、ショウさんは私の数学のお師匠さんなんですぅ。」
「そうですか。それなら納得だわ!」
そこへ小泉さんが入って来た。それに続いて、たぶん『マ』のジャンパーを着た円ちゃんがポットを、パンツスーツの樋口さんが急須と紙コップをトレイに載せて入って来た。木村先輩と横山先輩が立ち上がった。加代と姉ちゃんと俺も立ち上がって小泉さんに席を譲った。『あかま』の3人と樋口さんが紙コップにお茶を入れて配った。樋口さんが小泉さんの横に移動したので、その様子を見ながら、小泉さんが木村先輩に向かって、
「小泉と言います。彼女達のプロデューサーです。」
と言って、名刺を差し出した。
「内務の樋口と言います。」
「僕は木村将司と言います。高田馬場でビート・ストックという学生バンドをやってます。」
「知ってます。大熊キャンパスの霜月祭で大人気でしたよね。」
「あ、来てらしたんですか?」
小泉さんと樋口さんはソファーに腰を下ろしながら、
「OBですから。 あ、どうぞお掛けください。」
「そうですか、大先輩だったんですね。」
木村先輩とヨッコ先輩も座った。
姉ちゃんと俺と明莉ちゃんと加代ちゃんと円ちゃんは入口側の応接セットに座った。小泉さんはお茶を1口すすって、
「ハハハ、OBと言うだけで優越感があるのが不思議ですよね。」
「バンドを始めると卒業するのが難しくなりますから、卒業生は尊敬に値します。」
「ありがとう。ところでそちらは?」
「あ、私、横山頼子と言います。久我高の3年です。中西君と同じ放送部です。」
「つまり、俺の直属の先輩です。」
「木村さんの彼女さんで~す。」と明莉。
「えーっと、つまりこういう事ですね。加代ちゃんの親友のハルさんの弟のショウ君の部活の直属の先輩の横山さんの彼氏が木村さん。」
小泉さんはそう言いながら1人1人を見渡して確認した。木村先輩は例によってその場に居る皆を包み込むように優しく苦笑していた。
「その通りですぅ! 大正解~い。」と円。
「付け加えると、私はショウさんの弟子ですぅ!」と明莉。
「ええぇー、ズル~い! 私だけが蚊帳の外になっちゃうよぅ!」と円。
「そんな事無いよ、円は私と加代さんと同じ『あかま』のメンバーじゃない。」
「そっかぁ。でもぉ、なんか影薄く無い? 私!」
小泉さんが優しく微笑みながらも無意味な争いを始めた2人を睨んだ。明莉と円は顔を見合わせて首を縮めた。樋口さんが優しく保護するような視線を少し凹んだ2人に放っていた。どうやら、樋口さんは『あかま』の隙さえあればはしゃぎ出す手に負えない女子共が小泉さんに叱られた時の優しい母親役の様だ。
「木村君、後輩だからそう呼ばしてもらうけど良いかい?」
「はい。もちろん。」
「加代ちゃんはうちのタレントだから、学生バンドの助っ人ってのには簡単にはOKできないのですが、どういうステージなのかもう少し詳しく説明してくれませんか?」
「はい。吉祥寺の北口駅前広場で23日にプレクリスマスコンサートという企画がありまして、それに応募して採用されたんです。それで、霜月祭の後から準備してきたんですが、今朝ボーカルが風邪で声が出なくなりまして。」
「あ、吉祥寺の『プレクリコン』ですね。それ、実は私共も応募しようと思った企画です。」
「応募って、タレントさんが?」
「タレントと言ってもまだデビュー前ですから、『肝試し』の積りでした。が、ちょっと問題が発生しましてね。」
明莉ちゃんがすまなさそうな顔をした。樋口さんがそれを見逃さずフォローした。
「あ、別の機会がいくらでもあるから気にしなくても大丈夫よ!」
「すみません。」
木村先輩は意味が理解できなくて困り顔だ。
「時間帯はどこですか?」と小泉さん。
「昼過ぎの2時から4時の枠なんですけど。」
「そうですか。若者や家族連れにアピールするには良い時間帯ですね。」
木村先輩が珍しく押し込んだ。
「加代さんを助っ人に何とか貸していただけませんか?」
小泉さんは腕組みをして考え込んだ。
「う~ん・・・では、どうでしょう、加代ちゃんだけじゃなくて、うちのタレント3人をステージに上げてくれませんか?」
「3人と云うのは?」
「あぁ! それって、私達ですよね!」
明莉がそう言うと、明莉、加代、円の3人が立ち上がった。木村先輩は3人を見上げた。暫らく沈黙の時間が流れた。
「・・・こちらこそ、ぜひお願いします。」
「うちのユニットが助っ人って事で良いですね。」
「はい、OKです。」
「やった~! 『あかま』の初ステージ決まりィ!」と明莉。
「楽曲のスコア有りますか?」
「まだオリジナルが無いので、歌える曲のリストを後程お渡しします。」
「わかりました。できるだけスコアもよろしくお願いします。」
「わかりました。樋口くん、社長は今OKですかね。」
「では、確認して此処にお連れします。」
「お願いします。」
樋口さんは立ち上がって、急ぎ足で出て行った。そこに居た全員が目で樋口さんを見送った。




