5-14 復帰した日(その2)~乗り越えたね~
土曜日の朝4時頃彩香に起こされた。
「お兄ちゃん起きろー!」
いつもの様に俺に馬乗りになって体を揺すっている。こうして起こされるのも久しぶりのような気がして、馬になった気分でしばらく彩香の乗馬の揺れを楽しんだ。
「おはよう彩香。今何時?」
「4時過ぎたよぅ!」
「わかった。起きるからどいてくれ。」
「うん。」
カーテンを開けたが外はまだ真っ暗だった。俺はジーンズと厚手のTシャツにニットを被った格好で1階に降りた。顔を洗ってダイニングに行くと、テーブルには彩香と母さんが座って、キッチンに姉ちゃんが居た。
「母さん、おはよう。なんか寒いね。」
「おはよう、翔ちゃん。今日はこれから雨が降るらしいの、大丈夫かしら。」
「ネットの天気予報だと、降るのはお昼位かららしいから、たぶん大丈夫だと思う。」
「翔ちゃん、少し遅れ気味だから、ササッと食べて!」と姉ちゃん。
「うん。」
姉ちゃんはハムとトマトとレタスのオープンサンドをカウンターに出した。俺はまず牛乳を飲んで、急いでそれを食べてコーヒーを飲んだ。
「玄関で待ってるから。」
「うん。」
「お兄ちゃんの分のカイロ持ってるから。」
「了解。ありがとう。」
「翔ちゃん、これ持って行ってね。温かいお茶が入ってるから。」と母さん。
「うん。わかった。」
俺が魔法瓶の水筒をリュックに入れながら玄関に出ると、姉ちゃんの赤いミラーレスのフラシュが光った。俺の無防備な表情をゲットしたそうだ。俺はコートを羽織ってガレージに行き、キャンプ用の折り畳み椅子を持って出かけた。
東の方はなんとなく薄明るくなりかけてはいたが、空は曇っていて星は見えなかった。道はまだ暗かった。三鷹台の駅までに2人位しか人を見かけなかった。
「こんなに早く家を出たの久しぶりだね。」
「え? 前にもこんな事あったっけ?」
「宮古島に行った時。」
「ああ、そうだった。でも、あの時は明るかった。」
「そうね。ずいぶん違うね。」
「しかも、こんなに寒く無かったし。」
「ほんと、寒いね。」
「お兄ちゃん、ヌッカイロあるよ。」
「じゃあ、1つ。」
「はーい。」
俺は使い捨てカイロの袋を破って中身をポケットに入れ、外の皮をザックに入れた。
15分後、姉ちゃんと俺と彩香はダイヤ街の羊羹の列に並んだ。まだ夜明け前の薄暗いダイヤ街に既に20人位の人が並んでいる。ただ、店舗のすぐ前には列はなく、道の斜め反対側の少し広い場所に列ができている。それが羊羹の列かどうか一瞬判断に悩む。俺達3人はその列の先頭の人に確認して最後尾に並んだ。俺達の前に並んでいた人はもう何度も並んでいるそうだ。全然知らない他人同士なのに、羊羹を買うという共通の目的の連帯感のためか、そこに居る皆が仲良しの様に思えるのが不思議だ。俺は折り畳み椅子を広げて、
「サヤ、座るか?」
「うん。」
意外と素直に座ってくれた。周囲が薄暗くて子供には不安な感じがするせいかも知れない。その証拠に、1時間程した6時頃、周囲が急に明るくなり始めると、彩香は列を離れることが多くなった。そして、姉ちゃんのお下がりのデジカメで周辺を写して喜んでいた。もちろん、姉ちゃんの赤いミラーレスも結構活躍していた。こうして俺達3人は交代で座りながら整理券が配られるのを待った。
8時前、店員さんが自転車に乗って到着した。羊羹の列はにわかに騒めき、安堵感が拡がった。先頭から順に購入数を聞かれて整理券が配られた。結局、8時15分頃俺達3人は全部で9本分の羊羹の購入整理券をゲットした。
「スタジオには5本あれば良いよね。」
「だめよ、6本じゃなきゃ。」
「どうして?」
「だって2人分全部じゃなきゃ、気持ちが半減するわ!」
「そっか。」
「じゃあ、わたし行くから。」
「うん。わかった。」
「行ってらっしゃい、お姉ちゃん。」
「うん。行ってくる。」
姉ちゃんは時々振り返りながら東急デパートの方に歩いて行った。俺と彩香は暫らく立ち止まったまま姉ちゃんを見送った。そして俺は彩香を連れて家に帰った。彩香と2人きりのデートは久しぶりだったが、彩香は俺の周囲をチョロチョロ動き回って、迷子になりそうで俺的にはかなり疲れる。だが、時々俺の右腕にまとわり着いて、俺を見上げて見せる屈託ない笑顔がたまらなく可愛い。
「お兄ちゃん、明日また来るの?」
「そうだな、サヤのリング買いにね。」
「うん。お姉ちゃんと同じので良いよ!」
「サヤの誕生石はルビーだから、赤い宝石だ。」
「そうなの?」
「うん。とても深い綺麗な赤らしいぞ!」
「へえー。」
「あんまり高いのは勘弁してくれよ!」
「うん。彩はまだ小さいから、小さいので良いよ!」
「そうか。それはどうもありがとう。」
「その代わり大きくなったらまた大きいのを買って!」
「それは、その時に考えようか。」
「買ってくれたらお嫁さんになったげる。」
「そうか、それは楽しみだ!」
「うん。」
家に帰ると、親父は既に出掛けた後で、母さんが洗濯をしていた。俺はリビングのソファーに座ってテレビを見ながら、母さんが入れてくれたコーヒーを飲んで新聞を広げた。彩香も俺の隣に座ってテレビを見ている。そこまでは覚えている。・・・その彩香に揺り起こされた。
「お兄ちゃん、そろそろ起きないと遅れるよ!」
「お、おお。」
壁の時計を見ると9時半過ぎだった。俺は身支度を整えて出掛ける事にした。
「翔ちゃん待って。私達も行くから。」
「うん。」
俺は玄関で少し待って、母さんと彩香と3人で吉祥寺に出かけた。大笹で羊羹9本を買って、3本を彩香に渡した。母さんは最中の詰め合わせをいくつか買った。
「それじゃあ、スタジオに行く。」
「待って、これも持って行きなさい。」
母さんは大きめの箱の最中が入った紙袋を差し出した。
「これなら切らなくていいから、撮影の合間に食べられるわ。」
「うん。わかった。」
俺は最中を受け取って、羊羹をその紙袋に入れてスタジオに向かった。
「お兄ちゃん、行ってらっしゃい!」
「うん、行ってくる。」
俺は時々振り返って手を振りながら、ダイヤ街を東急デパートの方向に歩いた。母さんと彩香がダイヤ街のアーケードが切れた所で立ち止まってずっと俺を見送っていた。そう言えば、俺のその時の行動は今朝の姉ちゃんと全く同じだった。
俺は10時半過ぎに第1スタジオのドアを押開けて中に入った。姉ちゃんとエッコ先輩が振袖を着て羽子板を持ってポーズを撮っていた。2人共よく似合っている。2人の左横に置かれた大道具の縁台には硯と筆が置いてある。2人共まだ顔に墨は塗られてない。エッコ先輩が俺を見て、意味ありげな笑みを投げかけて来た。おそらく、顔に墨を塗られるのは俺の役だと言いたいのだろう。姉ちゃんもすぐに俺に気付いて微笑んだ。シャッター音の間隔が1段速くなった。
『いい、良いぞ! 2人共急に表情が優しくなった。』
山内さんはファインダー越しに、エッコ先輩と姉ちゃんの表情の変化に敏感に反応した。俺には気付いてない。俺は山内さんの1m程後ろに立って、大笹の紙袋を持ち上げた。姉ちゃんは軽く頷き、エッコ先輩は目を見開いた。
『おい、どうした? 急に凄いことになったぞ!』
山内さんは何か興奮してシャッターを押しまくっている。しかし、すぐに周囲のスタッフの苦笑に気が付いて、ファインダーから目を離して、振り返った。そこには俺が居た。
「おお、翔太君が来たのか。」
「はい。」
「じゃあ15分休憩。ちょっと遅めのお茶にしよう。」
姉ちゃんが手招きしたので、俺は小走りに姉ちゃんの左横に移動した。そして、俺はその場に居るスタッフの皆に声をかけた。
「あのー、皆さん聞いてください。」
エッコ先輩をはじめ、その場に居たスナップチームのスタッフの皆、つまり、長谷さん、野崎さん、木下さん、山内さん、吉岡さんが姉ちゃんと俺に注目した。
「俺達のせいで、1週間延期になってすみませんでした。姉ちゃんとは仲直りしました。それで、ご迷惑をおかけしたお詫びのしるしに、今朝早く2人で並んでこれをゲットして来ましたので、皆さんで食べてください。本当に申し訳ありませんでした。」
姉ちゃんと俺は深くお辞儀をした。
「あら、大笹の羊羹?」と長谷さん。
「おお、すごい。」と山内さん。
「やるじゃん翔太!」とエッコ先輩。
「いや、姉ちゃんも並びまして・・・」
「どっちでも良い。」
「いや、だから2人で並びまして。」
「何時から?」
「5時前です。」
「5時?!・・・本当か?」
「はい。」
その時、スタジオのドアが開いて、吉村さんが入って来た。吉村さんは、皆の様子を見て状況が分かったみたいで、俺に目配せをして微笑んだ。俺も軽く視線を返した。
10時のお茶タイムはたいていコーヒーなのだが、野崎さんと木下さんが急遽お茶を入れてくれた。そして羊羹タイムになった。
「私、これ食べるの5年ぶり位だわ。」と長谷さん。
「オーソドックスで上品な味だわね。」と野崎さん。
「幻だから、数年に1度しか口に入らないわ!」と木下さん。
「初めて食べたけど、やっぱり幻って言うだけの事はあるね。」とエッコ先輩。
皆、特に女子連は嬉しそうだった。山内さんも吉村さんも黙って食べていた。
「吉岡さんも食べてください。」
姉ちゃんが一切れ爪楊枝にさして渡すと、いつもの嬉しそうな返事が返って来た。
「ごっつあんっす!」
そこへエッコ先輩が近寄って、
「吉岡さん、ハルちゃんに惚れないでね! また延期になるから。」
「先輩!」
「てへ! でも、来週もまたこれが食べられるなら私は許すよ!」
「もう!」
吉岡さんは照れていた。皆笑顔だった。朝早く羊羹の列に並んだ甲斐があったと思った。皆に行き渡ったみたいなので、俺も食べようと手を出すと、耳元で囁くように姉ちゃんに止められた。
「翔ちゃん、私達は羊羹は遠慮しましょ!」
「なんで?」
「帰ったらサヤちゃんの分があるから。」
「そうだね。」
俺は仕方なく、最中を食べた。まあ、それはそれで美味かった。
結局11時前に撮影再開になった。俺は羽織袴になった。ブルースクリーンの前で、俺がお札を持って、姉ちゃんが破魔矢を持って・・・つまり初詣のワンシーンだ。
「その破魔矢、本当に射ると音が出るやつだね。」
「へー、そうなんだ。でもなんで判るの?」
『いいねえ、ハルちゃんと翔太君はこうで無くっちゃ!』
「矢の先に付いてるので笛みたいに音が出るんだ。」
「これ?」
姉ちゃんが矢先を指さした。おれは優しい目線で姉ちゃんを見て、
「うんそれ。鏑って言うんだと思う。」
「ああ、聞いたことがあるわ! 鏑矢よね。」
「うん。」
姉ちゃんが振り返る様に俺を見上げ、2人の視線が重なった。
『おい、どうした? この1週間で何があったんだ?』
姉ちゃんと俺は密着するように寄り添って、カメラ目線で、
「色々ありまして・・・」と俺が言って、
「前より仲良くなりました。」と姉ちゃんが補足した。
山内さんは数枚シャッターを押した後、ファインダーから目を離して、左手の親指を立てて、
『グッジョブ!』
満面の笑顔だった。
「じゃあ次は新年のご挨拶ね。」
長谷さんの号令で、ふかふかの座布団が3枚敷かれ、俺が真ん中で左が姉ちゃん、右がエッコ先輩で正座した。先輩はさっきまで優しい表情で後ろの方で腕組みをしていた。振袖で。
「翔太、良かったな! モデル生命が復活したな。」
「有難うございます。」
「どういう魔法を使ったんだ?」
「えーっと、『セイイ魔法』です。」
「んんー? それどんなんだ?」
「ですから、誠心誠意のセイイです。」
「ほーぉ、大したもんだ。お前も人をオチョクれるようになったじゃないか!」
そう言うと俺の右太腿を思いっきり抓った。
「痛アッ!」
「翔ちゃん、どうしたの?」と姉ちゃん。
「抓られた。」
「心配かけた罰だ!」と先輩。
『おい、そろそろ挨拶してくれないか?』
「みろ、怒られたじゃないか!」と先輩。
俺は真顔でエッコ先輩を見て。
「エッコ先輩!」
「なんだ?」
「心の準備は良いですか?」
「ん? うん、良いぞ!」
それから姉ちゃんを見て、
「春香姉ちゃんも良いですか?」
「うん、良いよ!」
それからカメラのレンズを見て、
「山内プロ、準備はよろしいですか?」
『おお、いつでも良いぞ!』
俺は、スタジオが静まり、皆がマジ顔になったのを確認した。
「それでは、皆さんカメラ目線で『新年のご挨拶』のご唱和をお願いします。背筋を伸ばしてください。」
『良いぞ!いいぞ! その調子!』
吉岡さんのスイッチでライトの光量が増した。俺はレンズの中心を睨んで、大声で挨拶を述べてお辞儀をした。
「あけおめ、ことよろー!」
一瞬の沈黙の後、スタジオが大爆笑になった。中腰だった山内プロが尻餅をついた。長谷さんはツボにハマってしまって、笑いが止まらなくなった。エッコ先輩と姉ちゃんもドヤ顔の俺を見て笑い転げた。そして・・・しばらくして、
『もっかい、まじめなヤツ頼む。』
『はい』
「あけまして!」と、俺がきっかけを作って、
『おめでとうございます。』
3人はカメラ目線を作ってから大袈裟にお辞儀をした。その間、ライティングの光量が増して、シャッター音の間隔が速くなった。
その後も撮影が続いて・・・結局俺の顔が墨で塗りつぶされて午後1時頃和服の撮影が終了した。
いつもの様に、メークを落として私服に着替えて昼食になった。お茶は温めたペットボトル、弁当は定番の『焼肉デラ』だ。姉ちゃんと俺は並んで座り、2人の中央対面にエッコ先輩が座った。
「ハルちゃん、どうやって翔ちゃんを取り戻したんだ?」
姉ちゃんは1度俺を見て、
「事情があって、返してもらいました。」
「どんな?」
「加代ちゃんがナタプロのタレントに採用になったんです。それで。」
「おお、そうか。つまり翔太が邪魔になったという訳だ。」
「邪魔って事じゃないんですけど、やっぱりアイドルなので。」
「渡りに舟ってこんな事を言うのかもな。」
俺は黙してひたすら弁当をむさぼっていた。
「翔太は結局ラッキーな結果になったな!」
「・・・・・」
「おい、なんとか言え!」
俺は顔を上げて、だがエッコ先輩の視線を避けて、
「はい。ほっとしました。」
「運が良い奴だ!」
「あ、まあ。」
そう言って姉ちゃんを見ると、微笑んでいた。
午後の撮影は少し春めいた感じで、パステルカラーの衣装を幾つか着替えて撮影した。最後に制服のイメージの衣装を着て、新年号付録のトートバックをアピールするスナップを撮って4時過ぎお開きになった。スタジオの外に出ると、冷たい雨が降っていた。
5時前、家に帰ると親父は既に帰っていて、リビングのソファーで居眠りをしていた。母さんはキッチンで夕飯の支度をしていた。
『ただいまー』
「お帰りなさい。どうだった?」
母さんの問いかけに姉ちゃんが嬉しそうに答えた。
「うん。大好評だったよ。」
「それは良かったわね。撮影もうまく出来たの?」
「山内さんがね、『この1週間で何があったんだ』って、嬉しそうだった。」
「そう、良かった。」
母さんは嬉しそうに微笑んだ。姉ちゃんも笑顔で、エプロンをしながらキッチンに入った。俺はリビングのローテーブルから親父を起こさないようにそっと新聞を取って来て、ダイニングテーブルに座って広げた。新聞に目を落としながら、いつもの穏やかな日常が帰って来た事が嬉しかった。やっぱり我が家は何も無いのが1番だ。
「翔ちゃん、はい、お茶。」
「ありがとう、母さん。」
俺はお茶をすすって、
「そうだ、羊羹食べねば。」
「あら、食べちゃったわよ!」
「え、えぇー!」
「残ってるのは、彩ちゃんの分が1切れ位よ。」
「えぇー! 3本全部食べちゃったの?」と姉ちゃん。
「そうよ、だって、あなた達はスタジオで食べたんでしょ!」
姉ちゃんと俺は顔を見合わせた。姉ちゃんも俺もこれ程がっかりした事は無かった。
「仕方ないね。」
「そうね。」
そこへ彩香が2階から降りて来た。
「お帰りお姉ちゃん、お兄ちゃん。」
「おお、ただいま。」
「明日は何時頃行くの?」
「10時過ぎだな。」
「わかった。」
「ねえ彩ちゃん。」
「なあにお姉ちゃん。」
「彩ちゃんの羊羹の残りお姉ちゃんにくれない?」
「良いよ!」
「本当?」
「うん。サヤいっぱい食べたから。」
「ありがとう!」
「ああぁ、良いなあ姉ちゃん。」
「心配しないで、翔ちゃんにもあげるから。」
「本当?」
「うん。」
姉ちゃんは彩香の食べ残しを爪楊枝で半分に切って、小皿に取り分けておれに差し出した。
「これ、貸しよね。」
「ちょっと待て、それ彩香のだろ!」
「今はもう私の羊羹だわ!」
俺は呆れて姉ちゃんを見た。姉ちゃんは得意満面だ。
「・・・へいへい。」
こうして、彩香の食べ残しの羊羹のほぼ半分を味わうことができた。ほぼと言うのは、姉ちゃんはなんか、俺に少し大きめに切ってくれたからだ。だが、それでも本当に少しの断片端だったので感想を述べれる程の味わいが得られなかった。またいつかあの行列に並ばなければと思った。
その夜10時前、俺は姉ちゃんの部屋に居た。彩香も一緒だが、例によって俺の胡坐の中で眠ってしまっている。姉ちゃんはベッドに腰掛けてタオルで包むようにしながら、髪を乾かしている。俺は彩香の髪を撫でている。
「今日は4時過ぎから起きてるから、さすがに眠いね。」
「あら、彩ちゃんと私は3時半に起きたわ!」
「そうでしたか。」
「今日はありがとう。」
「何だっけ?」
「色々してくれて。」
「だったら姉ちゃんもだよ。」
「長谷さんも山内さんも嬉しそうだった。」
「そうだね。俺達いつの間にかスタイルKの重要な何かになってしまったみたいだね。」
「そうね。だから一層気を付けないと皆さんに迷惑が掛かるんだわ。」
「だね。・・・なんか、今週は長かった。」
「色々あったねー、いっぺんに。」
「うん。」
俺は吉村さんの事が喉まで出かかったが飲み込んだ。姉ちゃんには隠し事はしたく無いが、今度の事で、言いたく無い事に加えて、あえて言わない方が良い事もあるって事を覚えたような気がする。
ノックの音がして引き戸が開いた。母さんだ。
「あら、また3人集まってるのね。」
「うん。何となく。でも、彩香は寝ちゃって。」
「あなた達が仲良くしてくれてると助かるわ!」
「俺のせいで、大変すみませんでした。」
そう言って母さんを見ると微笑んでいた。
「あなた達、前より仲良くなったんじゃない?」
「そうみたい。」
姉ちゃんも嬉しそうだ。
「雨降って、何とかかしらね。・・・じゃあ、連れて行くわ。」
そう言うと、母さんは彩香の脇に手を入れて抱きかかえた。
「重くなったわね。」
彩香は安心しきってもうグッスリ眠ってしまっていて、少々の事では起きそうにない。俺は座ったまま母さんを見送った。母さんは彩香を抱えたままで入り口の引き戸の手前で振り返って、
「明日も3人で出掛けるのよね。」
「うん。」
「翔ちゃん、お金大丈夫? 彩香に指輪買うって約束したんでしょ?」
「うん。安いのをね。」
「そうね、失くするかも知れないから、安いので良いわね。」
「うん、その積もりだけど、彩香がどう言うか。」
「私がアドバイスするわ!」
「そうね。それが良いわね。 じゃあ、2人共、おやすみ。」
『おやすみなさい』
「あなた達も早く寝るのよ!」
『はーい。』
母さんが出ていくとすぐ姉ちゃんが小さく手招きした。俺は約束のアレだと思った。なので、姉ちゃんの右隣に行って座った。姉ちゃんはコンディショナーの甘い香りに包まれている。
「はい。手伝って!」
姉ちゃんはブラシを差し出して背中を向けた。俺はそれを受け取って姉ちゃんの髪を梳いた。
「サラサラだね。」
「うん。今度のコンディショナーは良いみたい。」
「母さん?」
「ううん、野崎さんのお勧めよ!」
「へぇー、流石はプロだね。・・・これで良いかな?」
「ありがとう。」
姉ちゃんは髪をまとめて留めて、1度俺を見てから凭れかかった。
「元に戻れたね。私達。」
「元に戻ったんじゃなくて、何かを乗り越えたような気がする。」
「そうね。乗り越えたんだわ!」
「姉ちゃんのおかげだ。」
「そんな事無いわ。翔ちゃんのおかげだわ!」
「じゃあ、2人のおかげって事で。」
「そうね。」
俺を見詰めて微笑む姉ちゃんがとても可愛かった。俺は左手で姉ちゃんの肩を抱き寄せた。姉ちゃんは俺の腰に手をまわして密着した。そして、約束のキスをした。ちょっと無理な体勢だった。
「おやすみ姉ちゃん。」
「おやすみ翔ちゃん、大好きよ!」
「俺も。」
「俺も?」
「だから、姉ちゃんが大好きです。」
「ありがとう。」
「今日は自分の部屋に帰るよ。」
「そうね。朝早かったからね。」
もう1度軽くキスをして、俺は自分の部屋に帰った。ベッドに入るとすぐに眠りに落ちたと思う。




