5-9 フラグが立った日(その3)~俺の覚悟~
12時少し前、加代からメールが来た。これから行くという。俺は、今日の撮影が中止になって、1週間延期されたとレスした。加代と12時15分頃吉祥寺駅の花火の広場で落ち合った。加代は淡いピンクのニットに白いミニスカートでブラウンのブーツ、そして薄手のトレンチのハーフコートを羽織っている。ゴールドチェーンのブランド物のショルダーが似合っている。俺達はせっかくの加代の恰好がちっとも似合わない、ハモニカ横丁の中華店でエビチリとチャーハンで腹ごしらえをしてウインドウショッピングをする事にした。
「翔ちゃん、どうして中止になったの?」
「う、うん。まあ、コンビネーションの問題でね。」
「なにそれ?」
「姉ちゃんと俺のポーズ決めが上手く行かないんだ。」
「どうして?」
「お互いの気持ちが離れているからだと思う。」
「それ、私のせいなのね。」
「うん、まあ、そうだね。」
「ごめんね。」
「いいんだ。加代が切っ掛けかも知れないけど、結局俺達の問題だから。」
「どうするの?」
「姉ちゃんとよく話し合うつもり。」
「それで解決する?」
「わからない。でも、何とかしないと。」
会話が止まって、しばらく食べるのに専念した。
「ねえ、私、春香に何って言って謝れば良いかなあ?」
「・・・分からない。でも、もう少し時間が必要だと思う。」
「私、嫌な女よね。翔ちゃんは嫌いでしょ、こんな女。」
「加代、そう言う事言わないでくれ。今、俺は加代を1番好きになりたいと思ってる。」
「え?・・・ありがとう翔ちゃん。」
俺達はハモニカ横丁を出てダイヤ街を通って、サンロードを並んで歩いた。11月になって寒さが増してきている。吉祥寺はクリスマス商戦が始まっていて、サンタをイメージした赤と白の装飾や緑の柊と赤い実をあしらったディスプレイが町を煌めかせている。鈴の音のBGMがあちこちから聴こえてくる。普通のカップルなら歩くだけで楽しいはずなのに、俺達はなんか重苦しい。新道の横断歩道の手前で赤信号で止まった。
「なあ、加代。」
「なあに?」
「俺は・・・」
「・・・うん、わかってる。ゆっくりで良いから。」
「そうじゃ無くて・・・優しいか?」
「え?」
「俺は、優しいか?」
「うん。翔太は誰にでも優しいと思う。」
「そうじゃ無くて、俺は加代に優しくできてるか?」
加代は俺の右腕を抱えて俺を見上げた。
「そうしてくれるの?」
「ああ、これから、少しずつかも知れないけど、そうしたい。」
「本当?」
「うん。・・・そうすれば、俺、加代の本当の彼氏になれるよね。」
「うん。なれる、なれるよ・・・」
加代の瞳から突然涙が溢れた。俺は慌ててポケットからハンカチを出して手渡した。隣に立っていた大学生位の女の人が怪訝な顔で俺達を見た。
新道の横断歩道を渡って少し歩いたところで宝飾店がクリスマスセールをしていた。ワゴンにリングやネックレスが積まれている。そこで足が止まった。
「加代、少し早いけどクリスマスプレゼントするよ。」
「どんな?」
「リング買ったら貰ってくれるか?」
「え? いいの?」
「ああ、俺、今日を加代に決めた記念日にしたい。」
「翔太・・・ありがとう、嬉しい。」
結局、ワゴンセールのではなく、店の中のショーケースのを買った。小さいが、9月の誕生石のサファイヤが1つ埋め込む様にデザインされたリングだ。日付と『from S to K』の刻印を入れてもらう事にした。クレジットカードの控えにサインした時、はっきりと加代の彼氏になる覚悟ができたと思う。姉ちゃんを諦めて。
リングが出来上がるのを待っている時、加代のスマホに電話が掛ってきた。加代はディスプレイを見て、
「お母さんから。ちょっと奥に行ってくる。」
加代は店の奥にある電話BOXに行った。宝飾店の電話BOXを使うってのは、映画でしか見たことが無い。偶然とは言え、さすが加代だと思った。なんかセレブっぽい。加代にはこう云う雰囲気が似合う。・・・しばらくして戻ってくるなり、少し弾んだ声で、
「ナタプロから呼び出しだって。」
「ナタプロって確かこの前・・・」
「うん。オーディションを受けたところ。」
「へー、良かったじゃないか。」
「用件は分からないわ。この前の結果は落選だったし。」
「そっか。」
「コンパニオン募集してたから、登録しろって事かしら。」
「JKのコンパニオンは無いんじゃないか?」
「そうよね。」
「なんだろうね。」
「ねえ、一緒に来てくれない?」
「いいけど、行っていいのか?」
「聞かれたら、彼氏って紹介するわ!」
「いやいや、様子を見てからにした方が良い。」
加代と俺は顔を見合わせて微笑んだ。
『ナタプロ』と云うのは、『中野タレントプロモーション』と云う芸能プロダクションで、メジャーでは無いが、名前を聞いた事があるタレントも数人所属している。芸能活動だけでなく、イベントや展示会などにコンパニオンを派遣する人材派遣も行っている。先月、加代がタレント募集のオーディションを受けて最終選考まで残ったが落ちた。その時悪い奴に危うくひっかかるところだったって訳だ。
15分程してリングが出来上がった。俺は自分で嵌めようとする加代の手からリングを取り上げて、怪訝な顔をする加代の顔を思いっきり優しい視線で見つめてから、加代の左手をとって、薬指にそれを嵌めた。加代は左手をショーケースの上にかざす様にして嬉しそうにリングを見ながら、
「ありがとう翔太。これ、一生の宝物にするわ!」
「あ、ああ。いい感じだね。これで俺、加代の彼に少し近付けた様な気がする。」
「うん。うんと近付いてくれたと思う。嬉しい。」
そう言って俺を見た加代はこれまでで1番穏やかで可愛かった。俺はこの時、本当に加代に対して優しい気持ちになれたような気がした。
「じゃあ、行こうか?」
「うん。」
加代と俺は腕を組んで宝飾店を出てサンロードを歩いた。
「なあ、加代。」
「なに?」
「今度機会があったら・・・」
「・・・?」
加代は歩きながら俺の腕にぶら下がる様にして、可愛い笑顔で俺を見上げた。
「ご両親に紹介してくれないか?」
「フフフフ、うん、良いよ! ・・・でも、お父さん泣くかも。」
「そうだね。俺、エコサのフロントに立つかも。」
加代は一層強く俺の右手を抱えた。可愛い満面の笑顔だった。
加代と俺は吉祥寺駅に戻って、JR総武線各駅停車でナタプロがある東中野に向かった。加代と並んで電車に座ったのは初めてで、ちょっと密着して座ると、なんかやっとカレカノの幸福感に浸れたような気がした。東中野駅から3分程歩いたナタプロのあるビルの1階は喫茶店で、その店の左横の階段を上がった所に受付があった。
「あのー、電話を頂いて来たのですが、田中と言います。」
受付のお姉さんはディスプレイを見て、
「はい、お待ちしていました。そちらに掛けて少しお待ちください。」
そういって、左手のひらを上にして隅のベンチソファーを示した。加代と俺はそれに並んで座った。電車と同じ様にいつもより少し密着して。受付のお姉さんは誰か担当者に電話したみたいだった。
「加代、リング外しといた方が良くないか?」
「嫌よ。」
「帰りにまたすればいいだろ!・・・ま、また俺が嵌めてあげるから。」
「本当?」
「あ、ああ。」
「じゃあ外すわ。」
加代はリングを外してケースに入れてショルダーに大事そうに仕舞った。しばらくして、受付のお姉さんが加代を見て、
「お待たせしました。4階のレッスン室に上がってください。」
そういって、カードホルダーが付いたネックストラップを2つ差し出した。
「わかりました。」
俺達がそれを受け取ってエレベータに向かうと、
「そのゲストカードは必ず首にかけてください。」
『はい。』
加代と俺はエレベータで4階に上がった。エレベータを降りると、目の前のドアにレッスン室と書いてある。それを押し開けて中に入った。そこに40代と思われる男の人が居た。
「あのー、田中と言います。」
「あ、田中加代さんですね。」
「はい。」
「初めまして、プロデューサの小泉と言います。」
小泉さんは優しく微笑んで、加代に名刺を差し出し、加代はそれを受け取った。名刺には『小泉敏夫』と書いてあるのが加代の肩越しに見えた。それから小泉さんは加代の右後ろに居る俺を見て、
「そちらは?」
「あ、中西と言います。」
「彼氏さんですか?」
「同級生です。」
「まあ、良いでしょう。田中さん、早速ですが歌を聴かせてください。」
「あ、はい。」
「俺はここで待ってれば良いですか?」
小泉さんは少し考えて、素性が判らない奴を放置する事は出来ないと言う判断だと思うが、仕方ないという表情で、
「そうですね、一緒に来てください。」
「はい。」
小泉さんは誠実そうな人に思えた。口調や間の取り方が何となく吉村さんに似ていた。歳も吉村さんと同じ位だと思う。ただし、見掛けはかなり違っていて、小泉さんの方がとっつき易い感じだ。加代と俺はレッスン室の右手にある、入口上に発声室と書かれた小さな防音室の様な部屋に連れて行かれた。部屋の中にはアップライトピアノがあり、壁にアコギと姿見が立てかけてあった。小泉さんは俺を見て、
「えっと、君は・・・」
「中西です。」
「そうか、ごめん。名前がすぐに(頭に)入らなくてね。」
「・・・」
「中西君はその椅子に座っててください。」
「はい。」
俺は小泉さんが指差したピアノ用の四角い椅子に座った。
「田中さんは、今すぐなら何が歌えますか? アカペラで。」
「えーっと・・・」
あまりにも突然でマイペースが保てず、加代は何を歌ったら良いのか分からないみたいだった。
「あのー、俺、『神様のいたずら』なら、ギターで伴奏できますけど。」
「本当ですか? 田中さんはそれで良いですか?」
「あ、はい。」
「じゃあそれを歌ってください。」
小泉さんは、俺が立ち上がるのを制止して、ギターを取って俺に渡した。俺はさんざん練習したアルペジオで気持ちの限りを込めて伴奏した。
加代が歌い始めるとすぐ、小泉さんの表情が変わった。なんかとんでもない物に遭遇したと云う感じだ。俺が初めて加代の歌を聴いた時と同じだと思う。そして、1番が終わるか終らない内に部屋を飛び出して行った。呼吸が止まって酸欠になったのかも知れない。俺と加代はどうして良いのか判らなくて、見詰め合ったまましばらく呆然としていた。間もなく、小泉さんが女子を2人連れて戻って来た。ついでに結構な歳の何処にでも居る感じの小父さんも入って来た。発声室は定員一杯だ。
「紹介します。こちらが植田明莉ちゃん、そしてこちらが米田円ちゃんです。」
「初めまして、田中加代と言います。」
「俺は・・・」
「君はどうでも良い。」
「ですね。」
明莉ちゃんと円ちゃんと加代は互いに握手して挨拶した。
「円ちゃんと私は高1です。加代さんも高1ですか?」と明莉。
「ごめんね、私高2なの。」
「じゃあ、お姉さんだ!」
小泉さんが嬉しそうに、
「これでユニット完成です。」
と言うと、明莉ちゃんと円ちゃんは、
「やったー!」
「ばんざーいですぅー」
と言って喜んでいる。加代と俺は何が何だか分からない。それに、もう1人紹介されてない小父さんが入り口近くに立っているのが気になる。小泉さんはお構い無しに話を進めた。
「えーっと、君は・・・」
「中西です。」
「そうだった。中西君、すまないがもう1度伴奏してくれないか?」
「はい。」
俺はもう1度伴奏した。加代の歌を聴いた明莉ちゃんと円ちゃんは瞳の輝きが増したように見えた。2人共両手を口の前で合わせて組んで、驚いたように涙ぐむように、そして嬉しそうに聴いている。そして歌が終わった。フルコーラス歌った。
「すごーい。すごいよ加代さん。」と明莉。
「これで私達デビュー出来ますよね。」と円。
「それはまだ早いけど、見えてきました。」と小泉さん。
「あのー、私、何の事だか分からなくて・・・」と加代。
「あ、ごめん。まだ何も説明して無かったね。あんまり嬉しかったので忘れてました。」
そこへ30歳位の女の人が入って来た。それと入れ替わりにさっきの小父さんがそっと出て行った。
「小泉さん、準備できました。」
「はい。すぐ行きます。じゃあ、皆こっちに来てください。」
俺達は6階に上がった。そこはパーティションで仕切られたスペースが続くオフィスだった。その1番奥に社長室があった。そこへ入った。正面に社長が座っていた。さっきの小父さんだった。人は見かけじゃないという格言の典型だ。
「社長、田中加代さんと、えっと・・・」
「中西です。」
「そうだ、中西君です。」
社長は俺には全く興味が無い様子で、前の女子3人を見渡して、穏やかに話しかけた。
「円ちゃんと明莉ちゃんと加代ちゃんだね。」
「社長のおっしゃる通りでした。まだ合意は貰ってませんが、この3人に決めたいと思います。」
「そうでしょ!」
社長は満足気に微笑んで、
「田中さん、今日からナタプロ所属のタレントの卵になってください。」
加代は目を丸くして驚いている。
「加代、返事しろよ!」
小泉さんの後ろから俺がプッシュした。
「あ、は、はい。」
ようやく社長が俺の存在を意識してくれた。そして俺を見た。
「ところで、君は中西君って言いましたっけ?」
「はい。」
明莉ちゃんと円ちゃんが振り返った。
「私、知ってます。スタイルKの『ショウ』君ですよね。」と円。
「えぇー、あ、本当だ!」と明莉。
「ギターもお上手でしたー。」と円。
「そうですか、スタイルKの方でしたか。」と小泉さん。
「モデルさんです。」と明莉。
俺は何と言って良いか分からず、ただ頭を掻いた。
「中西君、差支えなかったら教えて欲しいのですが、田中さんとのご関係は?」と社長。
「学校の同級生で、姉と田中さんと俺の3人でユニットを組んでます。田中さんはボーカルです。」
「そうでしたか。これから田中さんはレッスンして、たぶんタレントとしてデビューする事になるのですが、とすると・・・」
「嬉しいです。加代、あ、田中さんがタレントになるのは俺達も最高に嬉しい事です。」
「そうですか、それなら問題無いですね。」
「はい。」
「小泉君、田中さんと正式契約を急いでください。」
「わかりました。ではこれで失礼いたします。」
小泉さんは両手を広げて皆を追い出す様にして退室を促した。社長室を出ると、さっきの女の人が待っていて、
「B-4が使えます。」
と言って微笑んだ。小泉さんは、
「じゃあ、円ちゃんと明莉ちゃんは後でね。」
「はい。」と明莉。
円ちゃんは俺を見て、
「『ハル』さんはお姉さんだったんですか?」
「・・・ごめん。そういう質問には答えられないんだ。」
「なんでですか?」
「そういう契約なんだ。」
「そうですか。わかりました。」
「すみません。ショウさん、いつかサイン下さい。」
「ああ、そうだね。じゃあ、俺にも皆さんのサイン下さい。」
「はい。もちろん。・・・練習しときます。」
「ショウさんは『俺』派なんですねー」と明莉。
「あ、はい。」
「それじゃあ失礼しまーす。」
そう言って2人はエレベータの方に行った。加代と俺と小泉さんは、パーテで仕切られたB-4と書いてある会議スペースに入った。応接セットが置いてあった。加代と俺はそれに並んで座った。
「今日はどうもありがとう。最後の1人にはどうしても実力派のボーカルをという事で、ずっと探してたんです。加代さんはピッタリです。」
「ありがとうござます。」
「実は、お昼前に社長から田中さんの先月のオーディションの映像を紹介されましてね。」
「そうだったんですか。」と俺。
「田中さんは、これからは、ほぼ毎日レッスンになりますが大丈夫ですか?」
「あ、はい。」
「それでは、本人の意思確認と言う事で、この書類を読んで、合意できればサインして下さい。」
「はい。」
加代は出された意向確認書を読んだ。そして最後にサインした。
「有難うございます。それではこれから私は、田中さんじゃ無くて、加代さんと呼ばせて頂きます。」
「あ、はい。」
「正式な契約書を作成しまして、数日中にご実家に伺いますのでよろしくお願いします。」
「はい。両親にそう伝えます。」
「それから、言い難いのですが、中西君。」
「は?」
「中西君は同級生で友人で、学内ユニットの仲間という以上の関係を公にしないでください。」
「わかりました。良いよね加代。」
「良いの?」
「もちろん。でも、姉ちゃんも入れて1度話し合わないとね。」
「うん、そうだね。」
「3人で良く話し合ってください。デビューすると、予定では加代さんはどんどん有名になります。中西君達とは違う世界に飛んで行ってしまうかも知れません。それを理解してください。」
「わかりました。そうします。」
「加代さん、連絡先は今日お母さんが出られた電話で良いですよね。」
「はい。大丈夫です。」
「住所は・・・そうか、先日のオーディションのエントリーシートが有りますね。」
「はい。」
「それじゃ、今日はこれでOKです。何か質問ありますか?」
「特にありません。」
「あ、俺が聞いても良いですか?」
「はい。もちろん。」
「社長は何というお名前ですか?」
「ああ、そうでしたね。西田隆弘といいます。」
「西田さんですね。」
「はい。」
加代と俺は立ち上がって、
『ありがとうございました。』
「いえいえ、こちらこそ。これからよろしくお願いします。」
加代と俺は小泉さんに深めのお辞儀をしてB-4からエレベータホールに向かった。小泉さんもにこやかにエレベータの前まで見送ってくれた。俺達は2階で降りて受付のお姉さんにゲストカードを返してナタプロを出た。




